李商隠 5 登樂遊原


登樂遊原
向晩意不適,驅車登古原。
夕陽無限好,只是近黄昏。


日暮に近づくにつれて私の心は何故となく苛立つ。馬車を命じて郊外に出、西のかた、楽遊原に私は登ってみた。陵があちこちにある歴史古き高原の空はいましも夕焼けに染まり、落日は言い知れぬ光に輝いている。とはいえ、その美しさは、夕闇の迫る、短い時間の輝きにすぎず、やがてたそがれの薄闇へと近づいてゆくのだけれども。

樂遊原に 登る
晩(くれ)に向(なんな)んとして 意(こころ)適(かな)わず,車を驅(か)りて  古原に登る。
夕陽  無限に好し,只だ是れ  黄昏に近し。
**************************************
樂遊原
地名で長安の東南にある遊覧の地で、高くなっており、長安を眺め渡すことができる古来からの名勝地で漢の武帝のころからすでにそうだという。7/15ブログの地図に示した地点6月24日李白43杜陵絶句 五言絶句で
南登杜陵上、北望五陵間。
秋水明落日、流光滅遠山。
南のかた杜陵の上に登り、北のかた五陵の間を望む
秋水 落日明らかに、流光 遠山滅す
mapchina003

**************************************
杜牧の「將赴呉興登樂遊原」
淸時有味是無能,閒愛孤雲靜愛僧。
欲把一麾江海去,樂遊原上望昭陵。
清時(せいじ)味有るは是(これ)無能
滝(しづか)に孤雲(こうん)を愛し静に僧を愛す
一麾(いっき)を把(と)って江海(こうかい)を去らんと欲し
楽遊原上昭陵(らくゆうげんじょうしょうりょう)を望む
------------------
平穏な時代は無能な者ほど味わいがある、静かに雲を眺めたり僧と話しをした。
地方長官の旗を執っていよいよ出発する時に、楽遊楼に上って昭陵を眺めた
------------------
楽遊原は長安の城郭の内側にあり曲江の北にある。眼下に長安のまちが広がり、すぐ北の方には東市がある。ずっと北には昭陵(太宗李世民の墓)を望む。この小高い場所からは北と西しか望めない。すぐ近くにある場所なので、別れの時、夕日が沈みかけたころに登るのである。

したがって、樂遊原の詩題のものは、落ち込んだ詩になるのである。この作品は、僅かの間、美しく輝く夕陽の素晴らしさを詠んでいるが、左遷を命じられ数日のうちに旅立つ前に上ったのだろう。「朝廷には、意に沿わない連中がたくさんいる。」いらだつ気持ちを抑えつつも、登ってみると素晴らしい景色。その美しさは、夕闇の迫る、短い時間の輝きにすぎず、やがてたそがれの薄闇へ。宦官たちの暗躍を連想させる詩ととらえる。
「夕陽無限好,只是近黄昏。」の聯が現代で年を取っていく心境に使われる。


choan9ryo

向晩意不適、驅車登古原。
日暮に近づくにつれて私の心は何故となく苛立つ。馬車を命じて郊外に出、西のかた、楽遊原に私は登ってみた。
○向晩 夕方。暮れ方。名詞。 ○意 思い。心。気分。 ○不適 調子がわるい。具合が悪い。不快感がある。かなわない。

○驅車 車を駆って。馬車に乗って。馬車を出して。 ○古原 由緒ある古くからの原。ここでは長安の東南にあって、長安を眺め渡すことができる景勝地のことになる。後世、清・王士禛は『即目三首其一』で「蒼蒼遠煙起,槭槭疏林響。落日隱西山,人耕古原上。」と使う。 ○夕陽 夕日。 ○無限好 (白話か)限りなくよい。「好」は、「良」「佳」「善」「美」…等とは意味が違う。「好」は、似合って形の良いことをはじめとして、口語では広く使われることば。「良」は、悪(あく)ではなくて、善良なこと、という具合に使い分けが儼然としている。


夕陽無限好、只是近黄昏。
陵があちこちにある歴史古き高原の空はいましも夕焼けに染まり、落日は言い知れぬ光に輝いている。とはいえ、その美しさは、夕闇の迫る、短い時間の輝きにすぎず、やがてたそがれの薄闇へと近づいてゆくのだけれども。
 ○只是 ただ…ではあるが(しかし)。 ○近黄昏 たそがれに近い。間もなくたそがれになる。



李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
漢文委員会 ホームページ それぞれ個性があります。
kanbuniinkai2ch175natsu07ZERO
dwt05ch175pla01geocity
nat0017176sas00121205
李商隠の女詞特集ブログ連載中
burogutitl185李商隠 毎日書いています。

 李白の漢詩特集 連載中
kanshiblog460李白 毎日書いています。