無題(含情春晼晩)李商隠 16
李商隠が旅先の南京周辺の家妓であろう女性の部屋にひそかに入り交わったということを詠っている。


無題
題知らずと題して、人目を忍ぶ情交を詠う。
含情春晼晩、暫見夜蘭干。
心に思い浮かべるとたまらない晩春の夕ぐれどき、私は、はやる心を抑えながら、女性のいる部屋へ続く渡り廊下あたりで、様子をうかがった。やがてあたりは暗くなり星のきらめきがはっきりするようになった。(夜はふけてきた。)
樓響將登怯、簾烘欲過難。
高殿の部屋に登ろうとするけれど、階段のきしむ音が意外に大きくて、怖気づいてしまう。女性のもとへ行途中、かがり火、部屋にあかり、簾から光などで、廊下をすり抜けるのがむつかしいけど何とか行きたい。
多羞釵上燕、眞愧鏡中鸞。
浮気心で忍んでする束の間の逢瀬だから、会えた喜びで髪に挿されたかんざしの双燕のように、鏡に彫られた鳳凰が並んで飛ぶように二人は恥じらいの真中であった。
歸去横塘暁、華星送寶鞍。

帰ろうとすると、築堤の上の道は夜明けになろうとしている。私を見送ってくれるのは、東の空の薄明の中に、一番華しく輝く暁の明星が同じようにきらきら光る私の馬の鞍の飾りを送ってくれている。

題知らずと題して、人目を忍ぶ情交を詠う。
心に思い浮かべるとたまらない晩春の夕ぐれどき、私は、はやる心を抑えながら、女性のいる部屋へ続く渡り廊下あたりで、様子をうかがった。やがてあたりは暗くなり星のきらめきがはっきりするようになった。
(夜はふけてきた。)
高殿の部屋に登ろうとするけれど、階段のきしむ音が意外に大きくて、怖気づいてしまう。女性のもとへ行途中、かがり火、部屋にあかり、簾から光などで、廊下をすり抜けるのがむつかしいけど何とか行きたい。
浮気心で忍んでする束の間の逢瀬だから、会えた喜びで髪に挿されたかんざしの双燕のように、鏡に彫られた鳳凰が並んで飛ぶように二人は恥じらいの真中であった。
帰ろうとすると、築堤の上の道は夜明けになろうとしている。私を見送ってくれるのは、東の空の薄明の中に、一番華しく輝く暁の明星が同じようにきらきら光る私の馬の鞍の飾りを送ってくれている。


(下し文)無題
情を含む春晼晩、暫く見る夜の蘭干たるを
楼は響きて将に登らんとして怯じ、簾は烘して過らんと欲するも難し
多に羞ず 釵上の燕、眞に愧ず 鏡中の鸞。
帰り去る横塘の暁、華星 寶鞍を送る。

無題

題知らずと題して、人目を忍ぶ情交を詠う。李商隠の無題詩は地域的に、長安でのものと、節度使
書記官としての任地先、或いは旅さきでのものとに分けられる。これは旅先と思われるもの。

含情春晼晩、暫見夜蘭干。
心に思い浮かべるとたまらない晩春の夕ぐれどき、私は、はやる心を抑えながら、女性のいる部屋へ続く渡り廊下あたりで、様子をうかがった。やがてあたりは暗くなり星のきらめきがはっきりするようになった。
(夜はふけてきた。)
含情 水をロに含むように、思いを心中に籠めること。○晼晩 一日乃至は一つの季節(多く春に用う)が暮れゆくさま。晼は日が西に傾くこと。○暫見 しばらく見る。様子をうかがうこと。○蘭干 縦横に散り乱れる。星または月が輝いてきらきらするさま。涙がとめどなく流れるさま。屋敷内の渡り廊下と掛けことば。

樓響將登怯、簾烘欲過難。
高殿の部屋に登ろうとするけれど、階段のきしむ音が意外に大きくて、怖気づいてしまう。女性のもとへ行途中、かがり火、部屋にあかり、簾から光などで、廊下をすり抜けるのがむつかしいけど何とか行きたい。
簾烘 烘はかがり火。照らす或いは香をたきたてる。途中の部屋の簾が明るくて忍んで行きづらいことをいう。


多羞釵上燕、眞愧鏡中鸞。

浮気心で忍んでする束の間の逢瀬だから、会えた喜びで髪に挿されたかんざしの双燕のように、鏡に彫られた鳳凰が並んで飛ぶように二人は恥じらいの真中であった。
○多羞 ○釵上燕 女性のかんざしについている飾りの彫物とたるに飛んできた燕、旅人、女性が隠れて別の男性と付き合うこと、年上の女が若い男と付き合う、などの意味を含み合わせる。○鏡中鸞 金属製の鏡の背面に彫られた鸞の模様が「双鳳文鏡」であり、離ればなれのつがいの鸞がお互いを求め合う姿を彫刻しているものが多い。「鸞鏡」は、愛し合う(時にはなれねばならない)男女の思いを映し出す鏡をしめす。鸞は理想郷に棲む想像上の鳥。羽の色は赤色に五色を交え声は五音に合うという。白楽天「太行路」に鏡中鸞を引き合いにし男女について詠っている。

歸去横塘暁、華星送寶鞍。
帰ろうとすると、築堤の上の道は夜明けになろうとしている。私を見送ってくれるのは、東の空の薄明の中に、一番華しく輝く暁の明星が同じようにきらきら光る私の馬の鞍の飾りを送ってくれている。
横塘 地名。江蘇省江寧県西南の築堤の名。三国、呉の太帝孫権(182-252)のとき築かれた。なお、盛唐詩人崔顥(未詳-754)の詩に「君家は何処の住す、妾は住みて横塘に在り。」と。あるいは晩唐の詩人許渾に「縁蛾青鬢 横糖に酔う。」等の句があり、その他、晩唐詩人、杜牧(803-852)や温庭筠の詩の用例からみて、このあたりには当時、一種の享楽機関が発達していたらしく思われる。○華星 暁の明星

○韻 晩、干、難、燕、鸞、鞍。

 この詩は、歓楽街とは限らないが、人目を忍んでいる、つまりお金を伴わないで、忍び込んでいる。
貴族、高官、商家などの女性との偲び合いである。
 李商隠は根強く残っている儒教的精神に対して批判的な姿勢をもってこの詩を作っている。
 権力を嵩に横暴を極めている高官に対する批判をこの詩にあらわしているのではなかろうか。