無題(八歳倫照鏡)李商隠 18
幼い少女が社会に翻弄され成長してゆく。それは女の悲しみを伴って成長しなければならないことなのだ。

無題
八歳倫照鏡、長眉己能畫。
八歳という年齢を隠すため少しでも年上に満たれるため眉を眺め大きめに上手に書きました。
十歳去踏青、芙蓉作裙衩。
十歳で、芸妓としては出れないので、郊外の草むらの上で蓮の花のように衣の裾を開かされたのです。
十二學弾筝、銀甲不曾卸。
十に歳になると芸妓としてお琴にも励み、もうお琴の爪を外せないくらい練習もした。
十四蔵六親、懸知猶未嫁。
十四歳で一切の血縁親族と縁を切り芸妓になった。まだ身請けは早くて無理なのだ。
十五泣春風、背面鍬韆下。

十五になったら芸妓の仕事が多くなって思わず泣いてしまう。ブランコ遊びでもいやな時は顔をををそむけていた。

八歳という年齢を隠すため少しでも年上に満たれるため眉を眺め大きめに上手に書きました。
十歳で、芸妓としては出れないので、郊外の草むらの上で蓮の花のように衣の裾を開かされたのです。
十に歳になると芸妓としてお琴にも励み、もうお琴の爪を外せないくらい練習もした。
十四歳で一切の血縁親族と縁を切り芸妓になった。まだ身請けは早くて無理なのだ。
十五になったら芸妓の仕事が多くなって思わず泣いてしまう。ブランコ遊びでもいやな時は顔をををそむけていた。

(下し文)無題
八歳にして倫かに鏡に照つし、長眉 己に能く画く
十歳にして去きて青を踏み、芙蓉もて裙衩と作す
十二にして筝を弾くを学び、銀甲 曾て卸さず
十四にして六親に蔵る、懸めて知る 猶お未だ嫁がざるを
十五にして春風に泣き、面を背く 鍬韆の下
 
無題 これまでの無題詩とは少し趣きを異にしている。女の悲しみを知りそめる迄の少女の生長を描く。漢末に焦仲卿の妻の為に作る」と題ざれる詠人知らずの歌謡があり、それは、「十三にして能く素を織り、十四にして裁衣を学ぶ(下略)。」と年を追って生長を記すことから始まる。これ儒教の精神で女の成長を述べたものである。李商隠は儒教精神の個人滅私、現実と合わない節度・礼節の強要、これらが支配者にとって有利なように利用され、また、国家の成りたちにも影響し安定国家したものにならなかった、さらに、礼節の裏側におびただしい奢侈がなされて庶民は困窮したのである。

 それを意識していたであろう。謝朓から李白に受け継がれた女の詩、李商隠はそれをさらに具体性を持たせて発展させている。李白10から20にかけて、採連曲、越女詞のイメージをとっている。屈原や、漢時代の詩とは全く異質なものなのでそれでは、李商隠は全く理解できない。女性についても、儒教では女は字も学べません。学問をしてはいけない、圧倒的大多数の女性は文盲であった。社会進出の唯一の手段は芸妓になることしかないのである。貧しい生活から逃れる手段は少女の時代から始まるのであり、少女のうちに稼げるのだ。女性が貧困から逃れる道であった。

八歳倫照鏡、長眉己能畫。
八歳という年齢を隠すため少しでも年上に満たれるため眉を眺め大きめに上手に書きました。
 人目をぬすんでする。○長眉 まゆずみで眉を長く描く化粧。

十歳去踏青、芙蓉作裙衩。
十歳で、芸妓としては出れないので、郊外の草むらの上で蓮の花のように衣の裾を開かされたのです。
 ゆく。(売春にゆく。)俗語的な言い方。〇踏青 青は青草・摘草をすること。春、郊外に出て草の上で売春をしたのである。これをピクニックに行くと訳したら、この少女の悲しみをあらわすことはできない。○芙蓉 蓮の花の異名。可憐な女性を示す言葉。○裙衩 裳すそ。スカートにあたる部分。蓮の花が開くようにすそを開いたのである。

十二學弾筝、銀甲不曾卸。
十に歳になると芸妓としてお琴にも励み、もうお琴の爪を外せないくらい練習もした。
弾筝  筝は十三絃の琴。弾はつまはじく。男性側から見た女性との性行為を示す。○銀甲 鹿の骨で作られた琴の爪。銀甲はその詩語である。○不曾卸 卸ははずす。一向にはずそうとしない。

十四蔵六親、懸知猶未嫁。
十四歳で一切の血縁親族と縁を切り芸妓になった。まだ身請けは早くて無理なのだ。
蔵六親 りくしん 六親眷族のこと。一切の血縁親族と絶縁する。 蔵は身をかくすこと。○懸知 予想し推察する。

十五泣春風、背面鍬韆下。
十五になったら芸妓の仕事が多くなって思わず泣いてしまう。ブランコ遊びでもいやな時は顔をををそむけていた。
背面 顔をそむけること。○鍬韆 ぶらんこ。がんらい春にする楼閣の芸妓の遊戯の具である。宮廷の芸妓の場合鍬千、秋千といった。李煜『蝶恋花』参照。李商隠の特集のあと、李煜特集の予定。白楽天「寒食夜」にもある。春の恋の遊びと考える。裾が乱れ、素足が見える。素足はセックスアピールであった。蛇足であるが、白くて小さい脚、これは唐時代に大流行したもの、素足は纏足の女性を示し、遊びはブランコであった。李白、越女詞其一(屐上足如霜、不着鴉頭襪),其四(東陽素足女)を参照。ちなみに男は蹴鞠。

<儒教的な訳し> 矛盾と意味不明。
八つの頃から、かあさんの、鏡をそっとのぞくようになりました。花嫁の真似をしたりして、黛を塗っみましたら、ちゃんと上手にかけました。
十の時には、郊外へ、摘草に行きました。着物の裾の方には芙蓉のはなが咲いたようでした。
十二のとし、お琴のけいこを始めました。そうしていつでもお琴の爪をはめたままでした。
十四になった頃からは、外に出ないばかりか親族からも視線をさけるようになりました。その頃嫁に行くこと推察できたけどをまだいかなかった。
今年、十五の春になりました。でも、何故か悲しくて、春風吹く庭のブランコの、その下で、顔をそむけて泣いてます。