七哀(詩) 曹植 魏・三国時代 (5)
『文選』では七哀詩、『玉台新詠』では雑詩、『楽府詩集』では怨詩行、と題している。これは楽府題で音楽の関係で「七」哀とされたというのが有力であろう。作時につぃては不明。なお、阮偊、王粲にも「七哀」の詩がある。
男として女に対する、男たちの中での遊びの詩と考える。昔から中国では自分のこととか家族のことを話題にはしなくて、他人称でかたるものである。自分が思うのではなく、人がこう思っているだろう、というようにである。まして、自分の妻がどう思っているとかは表現するものではない。そこのところの大前提がぼけると、意味の通らないものになってしまう。多くの解説書、訳注で違っているのは、この点である。国の皇帝が遊びでなければ表現はしない。閨情詩、艶詩とはそういう「詩遊び」を前提で見なければいけない。謝霊運(4)でも同様のことをのべた。

曹植
明月照高樓,流光正徘徊。
明るく清らかな月が女の居る高殿を照らしている、過ぎゆくときは、その時とともに、茫然と左右に心は揺れ動く。
上有愁思婦,悲歎有餘哀。
高殿の上座敷で、来ない男を思い偲んでつらい思いをしている女がいる。女の悲しみ歎くのは、なぐさめきれないものなのだ。
借問歎者誰,言是客子妻。
試みに問うが、歎いているおんなは、一体誰なのだ。 言うのは、旅だった男の女であった。
君行踰十年,孤妾常獨棲。
あなた(男)が旅だってから十年を越した。ひとりぼっちのわたし(女)は、ずっとひとりで過ごしている。
君若淸路塵,妾若濁水泥。
旅人のあなたは風のまにまに吹かれる塵のようにどこへでも行ける、じっと待つわたしは澱んだ底の泥のようにどこへも行けない。
浮沈各異勢,會合何時諧。
人生の浮き沈みはそれぞれ違う形になるもの、二人の出会いは、いつ、かなうことになるのか。
願爲西南風,長逝入君懷。
願わくば、南西から吹く風となって飛んでゆき、遠いみちのりを行きあなたの胸に抱かれたい。
君懷良不開,賤妾當何依。

あなたが胸を、もし開かないのであれば、気落ちしたわたしのおもいは、一体、どうすればよいのか。




明るく清らかな月が女の居る高殿を照らしている、過ぎゆくときは、その時とともに、茫然と左右に心は揺れ動く。
高殿の上座敷で、来ない男を思い偲んでつらい思いをしている女がいる。女の悲しみ歎くのは、なぐさめきれないものなのだ。
試みに問うが、歎いているおんなは、一体誰なのだ。 
言うのは、旅だった男の女であった。
あなた(男)が旅だってから十年を越した。ひとりぼっちのわたし(女)は、ずっとひとりで過ごしている。
旅人のあなたは風のまにまに吹かれる塵のようにどこへでも行ける、じっと待つわたしは澱んだ底の泥のようにどこへも行けない。
人生の浮き沈みはそれぞれ違う形になるもの、二人の出会いは、いつ、かなうことになるのか。
願わくば、南西から吹く風となって飛んでゆき、遠いみちのりを行きあなたの胸に抱かれたい。
あなたが胸を、もし開かないのであれば、気落ちしたわたしのおもいは、一体、どうすればよいのか。


七哀 
鈴木虎雄博士は、九歌・七発とともに「七」哀は、その篇数を示すものであろうといわれている(岩波文庫「玉台新詠集」上203ページ)。

明月照高樓,流光徘徊。
明るく清らかな月が女の居る高殿を照らしている、過ぎゆくときは、その時とともに、茫然と左右に心は揺れ動く。
明月 「古詩」に「明月何んぞ皎皎たる」。そのほか詩人に詠われる秋の代名詞。○流光正徘徊 移りゆく月光をいう。呂向は注して、月の移動が早いから、光が流れる如くであるという。また流光には、かがやくような明るさをも、その語感としてもっているようだ。何畳の「景福殿の賦」には「灼として明月の流光の如し。」と、飽照の「舞鶴の賦」には「流光の照灼たるに対す。」とあり、李白「古風其十」に「逝川と流光と」川の流れと時の流れということに使っている。は丁度その時。徘徊とは、去りやらぬさま。ここでは高楼の女性の気持ちを示すもの。

上有愁思婦,悲歎有餘哀。
高殿の上座敷で、来ない男を思い偲んでつらい思いをしている女がいる。女の悲しみ歎くのは、なぐさめきれないものなのだ。
上有 (たかどのの)上には…がいる。 ○愁思婦 つらい思いをしている女。 ・愁思 つらい思い。うれえる心。 ○思婦 思い人を偲んでいる妓女。

借問歎者誰,言是客子妻。
試みに問うが、歎いているおんなは、一体誰なのだ。 言うのは、旅だった男の女であった。
借問 試みに問う。問うてみる。歎者 歎いている者○客子 旅人。「曹集」「文選」五臣注は宕子としている。宕は久しく他郷をさすらうこと

君行踰十年,孤妾常獨棲。
あなた(男)が旅だってから十年を越した。ひとりぼっちのわたし(女)は、ずっとひとりで過ごしている。
 起過する。こえること。


君若淸路塵,妾若濁水泥。
旅人のあなたは風のまにまに吹かれる塵のようにどこへでも行ける、じっと待つわたしは澱んだ底の泥のようにどこへも行けない。
 客子たる男のこと。
君若薄路塵、妾若濁水泥。 塵も泥も、乾いているか(男)濡れているか(女)本来一体となるもの。
夫婦一体にたとえる。この場合、塵は浮いて清く、泥は沈んで濁る。次に「勢を異にす。」とはこれをいう。そこでここの二句の意は、旅人は風のまにまに吹かれる塵のようなもの。じっと待つ自分はよどんだ泥のようとなろう。

浮沈各異會合何時
人生の浮き沈みはそれぞれ違う形になるもの、二人の出会いは、いつ、かなうことになるのか。
○勢 形状をいう。○會合 出会い。再会。○ 希望が達せられる。和合する。たわむれる。情交を示唆。


願爲西南風長逝入君懷。
願わくば、南西から吹く風となって飛んでゆき、遠いみちのりを行きあなたの胸に抱かれたい。
西南風 西南の方向は坤にあたり、坤は妻の道なる故かくいうとか、当時曹植は、都の西南にあたる薙丘にいたからとかの説もあるが、おとこが東北の方にいるからと考える方がよい。○長逝 遠いみちのりを行く。まる君懷 あなたのふところ。あなたの胸に。


君懷良不開,賤妾當何依。
あなたが胸を、もし開かないのであれば、気落ちしたわたしのおもいは、一体、どうすればよいのか。
良不 よし・・・・・せざれば。 ・當何…:一体どうすべきか。