牡丹 李商隠22七言律詩

李商隠の最初の支援者だった令狐楚(765-837年)の宅で催された宴会の席上、そこにいた妓女たちを独特の視線から詠って作られたものである。

長安の開化坊(稗の名)では令狐楚の宅の牡丹が最も見事だと、唐の段成式の「酉陽雑爼」佚文に見える。牡丹になぞらえ、乱交を詠ったのだ
 この詩は、一聯ごとのオムニバス映画四場面である。
 第一場面は二つの故事を使って状況を想像させるもので、衛夫人の故事で高貴な人の閨の状況を、続いて楚の貴公子と船頭との王性愛の故事を借用して夫人と芸妓の同性愛を述べている。
第二場面、艶めかしい踊り、(その愛し合う様子)
第三場面、たくさんの蝋燭は芸妓であり、ハーレム状態、たくさんの男女の絡み合いを詠う。
第四場面、ここに参加していた私はどの妓と楽しむか得意の詩でお誘いしよう、というものである。
 李商隠の詩は解説を先に読んで、本文を読んでみると面白い。


牡丹 
錦幃初巻衛夫人、繍被猶堆越鄂君。
昔、衛公の美夫人南子が、拝謁に来た孔子をにこやかに迎えた。錦織りの帷が巻きあげられ、中から牡丹がばっと咲いているかのようであった。その牡丹の刺繍のかけ布団は、こんもりもりあがっていて、昔、楚の貴公子郡君が、舟中で讃歌を謳った越人の漕手を長い繍衣でおおって抱擁したときのように被っていた。
垂手亂翻雕玉佩、折腰争舞鬱金裙。
花の舞踊のように調べに合わせて、垂手の舞いに、ちりばめられた硬玉のおび玉のように蕗を光らせた細長い牡丹の柔が乱れ翻える。腰を折り、体をくねらせ、渋い黄色のうす絹の腰巻、牡丹の花の刺繍、女たちの花弁が争い舞うのである。
石家蝋燭何曾剪、筍令香櫨可待薫。
晋の時代の贅沢もの石崇は、薪代りに蝋燭を使い、芯が減ればすぐ蝋燭を取り替えたというが、ずらりと並んだ蝋燭のような女たちは、そのように明るく輝いている。魏の薫る君たる筍或が香炉の香り立つのを待つまでもなかったように、女たちもまた自然と素晴しく甘い芳香を漂わしている。
我是夢中傳彩筆、欲書花片寄朝雲。

私は、夢うつつの中に参加している、いささか得意な詩の筆を取り、この私の恋心を牡丹の花媚に書きしるし、巫山の神女のように美しい女性に、その手紙をとどけようと思っている。



昔、衛公の美夫人南子が、拝謁に来た孔子をにこやかに迎えた。錦織りの帷が巻きあげられ、中から牡丹がばっと咲いているかのようであった。その牡丹の刺繍のかけ布団は、こんもりもりあがっていて、昔、楚の貴公子郡君が、舟中で讃歌を謳った越人の漕手を長い繍衣でおおって抱擁したときのように被っていた。

花の舞踊のように調べに合わせて、垂手の舞いに、ちりばめられた硬玉のおび玉のように蕗を光らせた細長い牡丹の柔が乱れ翻える。腰を折り、体をくねらせ、渋い黄色のうす絹の腰巻、牡丹の花の刺繍、女たちの花弁が争い舞うのである。

晋の時代の贅沢もの石崇は、薪代りに蝋燭を使い、芯が減ればすぐ蝋燭を取り替えたというが、ずらりと並んだ蝋燭のような女たちは、そのように明るく輝いている。魏の薫る君たる筍或が香炉の香り立つのを待つまでもなかったように、女たちもまた自然と素晴しく甘い芳香を漂わしている。

私は、夢うつつの中に参加している、いささか得意な詩の筆を取り、この私の恋心を牡丹の花媚に書きしるし、巫山の神女のように美しい女性に、その手紙をとどけようと思っている。



牡丹 
錦幃初巻衛夫人、繍被猶堆越鄂君。
垂手亂翻雕玉佩、折腰争舞鬱金裙。
石家蝋燭何曾剪、筍令香櫨可待薫。
我是夢中傳彩筆、欲書花片寄朝雲。

牡丹
錦幃
きんい 初めて巻く衛夫人、繍被しゅうい 猶お堆うずたかし越鄂君。
手を垂れて乱れ翻
ひるがえる雕玉ちょうぎょくの佩おび、腰を折りで争い舞う鬱金裙うつきんくん
石家の蝋燭
ろうそく 何か曾て剪りし、筍令の香炉 薫るを待つ可けんや。
我は是れ 夢中に彩筆を伝う、花片に書して朝雲に寄せんと欲す。
 

錦幃初巻衛夫人、繍被猶堆越鄂君。

昔、衛公の美夫人南子が、拝謁に来た孔子をにこやかに迎えた。錦織りの帷が巻きあげられ、中から牡丹がばっと咲いているかのようであった。その牡丹の刺繍のかけ布団は、こんもりもりあがっていて、昔、楚の貴公子郡君が、舟中で讃歌を謳った越人の漕手を長い繍衣でおおって抱擁したときのように被っていた。
錦幃 錦織のとばり。 ○初巻 初めて巻き上げる。初体験。 ○衛夫人 原注があり晋の魚豢の「典略」を引く。「孔子衛にり、衛公の夫人南子に見ゆ。夫人は錦の帷の中に在り。孔子は北面して稽首す。夫人は帷の中より再拝す。環佩の聲璆然たり。」北面は臣下が君にまみえる時の方位。稽首は最敬礼の形式の一つ。環佩はおびにつけた玉の類。○繍被 牡丹の花のあでやかな刺繍がなされたかけ布団。 ○ そのかけ布団がこんもり盛り上がっている。その下で絡み合っていることを示す。○鄂君 一句楚の貴公子鄂晳の故事。江に舟を浮べて管絃の遊びをした時、たまたま鐘鼓の音がとだえた。その時、舟の漕ぎ手の越の国の者が、王子と同じ船に乗った喜びを歌に唄って鄂君を讃えた。鄂君は長い袖袂をあげてその歌手を抱擁し、繍被で姿をおおったという。故事の男色を出しているということは、富士人と芸妓の同性愛を示すものと思われる。儒教者はこれを無理矢理、花とか、舞、あるいは男女という解釈をしているが、そういう概念を取り払ってみていくことの方が李商隠の詩を理解しやすい。


垂手亂翻雕玉佩、折腰争舞鬱金裙。
花の舞踊のように調べに合わせて、垂手の舞いに、ちりばめられた硬玉のおび玉のように蕗を光らせた細長い牡丹の柔が乱れ翻える。腰を折り、体をくねらせ、渋い黄色のうす絹の腰巻、牡丹の花の刺繍、女たちの花弁が争い舞うのである。
 手を垂れる。大垂手・小垂手という舞曲のかたちがあるのにひっかけ言ったもの。○折腰 梁の呉均の「西京雑記」に、漢の高祖劉邦の妃、戚夫人が翹袖折腰の舞いに巧みだったという記事がある。単に腰を曲げる意味だけでなく、舞踊の一つの形式を意味すると思われる。折の字はもと招の字になっているが、朱鶴齢の説に従って改め持○鬱金裙 香草鬱金草の花のような渋い黄色のうす絹の腰巻。


石家蝋燭何曾剪、筍令香櫨可待薫。
晋の時代の贅沢もの石崇は、薪代りに蝋燭を使い、芯が減ればすぐ蝋燭を取り替えたというが、ずらりと並んだ蝋燭のような女たちは、そのように明るく輝いている。魏の薫る君たる筍或が香炉の香り立つのを待つまでもなかったように、女たちもまた自然と素晴しく甘い芳香を漂わしている。
石家蝋燭 西晋時代、豪奢な行為で有名な文人石崇(249-300年)の故事。当時、照明用として贅沢だった蝋燭を薪代りに使って炊事をしたことが、劉宋の劉義慶の「世説新語」に見える。○何曾 不曾にほぼ同じ。そん事が何時あったろうか、ありはしない。○筍令香炉 後漢の筍彧(163-212年)あざな文若の故事。若くして侍中守尚書令となった。魏の曹操(455-220年)の軍参謀役を後に勤めたが、曹操は常に彼を筍令とよんだという。東晋の習鑿歯の「譲陽記」には、筍彧の坐った跡には、馥郁たる香りが三日間も消えずにただよったとある。性同一を示す。ここでも同性愛を詠う。乱交という意味であろう。


我是夢中傳彩筆、欲書花片寄朝雲。
私は、夢うつつの中に参加している、いささか得意な詩の筆を取り、この私の恋心を牡丹の花媚に書きしるし、巫山の神女のように美しい女性に、その手紙をとどけようと思っている。
夢中伝彩筆 梁の文人江掩(444-505年)にまつわる伝説による表現。唐の李延寿の「南史」にょると、ある夜、江俺の夢枕に、神仙のことに詳しかった晋の文人郭漢(277-324年)が現われ、「私の筆を長い間、君に借しておいたが返して欲しい。」と言った。江掩が懐中を探ると、五色の色どりある筆が出て来たのでそれを渡した。以来、江俺の詩文には全く精彩がなくなったという。李商隠は弱冠の頃、令狐楚の知遇をえ、彼の慫慂で四六駢儷文に手を染めた。恐らくはそれを指す(摘浩の説)。○朝雲 巫山の神女が、楚の懐王の昼寝の夢に現われ、その帰り際に、「あしたには朝雲となり、ゆうべには行雨となり、朝朝暮暮、陽台の下にあらん。」と言った、宋玉の高唐の賦に発する習見の故事をふまえる。