「李花」 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 24(花街の年増女の艶情)

 花街にまつわる年を重ねた女の艶情について詠っている。



李径獨來数、愁情相與懸。
すももの花咲く小道にいくたびか花街に私は独りやって来た。一つ、二つ、枝から垂れている白いその花のように女たちも年を取る、零落する者の愁いも共におとろえていく。
自明無月夜、強笑欲風天。
その花は、月のない夜暗い小道に明るくはっきりと浮び出で、花と女の笑い顔がある、天のその気に後押しされて、誰だってその気になるはずだ。
減粉與園籜、分香沾渚蓮。
己れの花粉をへらしては、園に生えたたけのこにあたえるように男たちに接する、また、男たちはその香りを分けて、池のなぎさの蓮の女たちをうるおそうとする。
徐妃久己嫁、猶自玉爲鈿。

歳を重ねても多情淫乱だった梁の元帝の妃だった徐妃と同じようにここにきてすでにずいぶん年を重ねているのに、老いてなお多情、キラキラの簪をつけ、左右のものにだれかれとなく情けをかけてくる。



すももの花咲く小道にいくたびか花街に私は独りやって来た。一つ、二つ、枝から垂れている白いその花のように女たちも年を取る、零落する者の愁いも共におとろえていく。
その花は、月のない夜暗い小道に明るくはっきりと浮び出で、花と女の笑い顔がある、天のその気に後押しされて、誰だってその気になるはずだ。
己れの花粉をへらしては、園に生えたたけのこにあたえるように男たちに接する、また、男たちはその香りを分けて、池のなぎさの蓮の女たちをうるおそうとする。
歳を重ねても多情淫乱だった梁の元帝の妃だった徐妃と同じようにここにきてすでにずいぶん年を重ねているのに、老いてなお多情、キラキラの簪をつけ、左右のものにだれかれとなく情けをかけてくる。


李 の 花
李径 独り来ること数々、愁情 相与に懸る。
自から明かなり 月無き夜、強いて笑う 風ならんと欲するの天。
粉を減じては園籜に与え、香を分ちては渚蓮を沾す
徐妃 久しく己に嫁して、猶お自ら玉を鈿と為す

 

李径獨來数、愁情相與懸。
すももの花咲く小道にいくたびか花街に私は独りやって来た。一つ、二つ、枝から垂れている白いその花のように女たちも年を取る、零落する者の愁いも共におとろえていく。
李径 すももの花さく小道。遊郭へ行く小道のこと。 ○ しばしばの意として入声によんだ。かぞえると上声によんで晶ずる。○相与 愁いと花とがときた。


自明無月夜、強笑欲風天。
その花は、月のない夜暗い小道に明るくはっきりと浮び出で、花と女の笑い顔がある、天のその気に後押しされて、誰だってその気になるはずだ。
強笑 強はむりにも。笑は花開くことのたとえ。女性が、笑って白い歯を出すこと。


減粉與園籜、分香沾渚蓮。
己れの花粉をへらしては、園に生えたたけのこにあたえるように男たちに接する、また、男たちはその香りを分けて、池のなぎさの蓮の女たちをうるおそうとする。
 たけのこの皮。その皮にふく粉を籜粉という。○渚蓮 渚はみぎわ。釈道源の注にいう、「李の開くは蓮と時を同じゅうせず。此れ其の色を彷彿せるのみ。」と。 


徐妃久己嫁、猶自玉爲鈿。
歳を重ねても多情淫乱だった梁の元帝の妃だった徐妃と同じようにここにきてすでにずいぶん年を重ねているのに、老いてなお多情、キラキラの簪をつけ、左右のものにだれかれとなく情けをかけてくる。
徐妃 梁の元帝蕭繹(508-554年)の多情の妃。唐の李延寿の「南史」に、徐妃は僧侶智遠道人と私通し、また帝の侍臣李江と姦通した。その嫉妬深さ多情さは、当の李江が「柏直(土地の名)の狗は年老いてもよく猟するように、徐娘は婆さんになっても矢張り多情だ。」と非難した程だったという。徐妃は後に自殺を命ぜられて死んだ。○ かんざし。



ウィキペディアには少し詳しいので参照
徐 昭佩(じょ しょうはい、生年不詳 - 549年)は、南朝梁の元帝蕭繹の妃。本貫は東海郡郯県。
侍中・信武将軍の徐緄の娘として生まれた。天監16年(517年)12月、湘東王妃となった。武烈世子蕭方等と益昌公主蕭含貞を生んだ。貞恵世子蕭方諸の母の王氏が元帝の寵愛を受けていたが、王氏が死去すると元帝は徐妃のせいにした。蕭方等が死去すると、徐妃は病がちになった。太清3年(549年)5月、罪を問われて自殺を迫られ、井戸に身を投げて死去した。江陵の瓦官寺に葬られた。元帝は『金楼子』に彼女の淫行を書かせた。
 
伝説
 徐妃は容姿が醜く、元帝は2、3年に1回しか入室しなかった。元帝は片眼だったので、徐妃は元帝がやってくると知ると、半面を化粧して待ったため、元帝は激怒して部屋を出た。徐妃は酒を好み、よく深酒していて、元帝が私室に帰ると、衣中に吐きもどした。徐妃は荊州の後堂瑤光寺の智遠道人と私通した。ひどく嫉妬深く、元帝の寵愛を受けない妾とは酒杯を交わして仲良くした。元帝の子を宿した者がいると分かると、手ずから刃傷を加えた。元帝の側近の曁季江の容姿が美しかったので、またこれと姦通した。季江は徐妃の老いらくの情に困惑して嘆いた。ときに賀徽という者の容姿が美しいことで知られたが、徐妃は賀徽を普賢尼寺に召して、白角の枕頭で詩を贈答しあった。
 
伝記資料
 『梁書』巻7 列伝第1 皇后
 『南史』巻12 列伝第2 后妃下