「春日寄懐」 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 27


845年作。 この詩は母の喪に会って故郷に帰り、家を永楽県に移して、三年四度目の春、武宗会員五年(八四五年)の作。李商隠三十四歳。李商隠はその喪についている蟄居の時期に、詩のスタイルに一つの変化を見せ、中唐の白居易(772-846年)や元積(779-831年)の作風に近い詩を多く作っている。これはその一つ。なお彼の詩はのちに広西省の桂林に行き、以後、後半生の大半を邊疆にすごすに至って完成される。よく言われる李商隠の人物評価に出世のできない境遇に自分を嘆いてということが言われるが、ここまで、27首、愚痴っぽい詩は全くない。艶情詩とは全く違っっている。艶情詩のはってんをさせてきたわけだが、さすがの李商隠も母のもの期間中は抒情詩の佳作を作っている。


春日寄懐
世間榮落重逡巡、我獨邱園坐四春。
世間では、栄えからおとろえへ、衰えから繁栄へと、栄枯盛衰の繰返えされるものだ。私はそういうことに左右されない、故郷に母の喪に服して、隠遁者のようなそぞろに四度目の春を迎えたのだ。
縦使有花兼有月、可堪無酒又無人。
故郷では、春、野花が咲き、夜の月も澄明で美しい。たとい花があり月が輝いても、共に酒をのみつつ鑑賞する親しい友がいたら、心もほぐれはするが、酒と女がいないとなれはらず、どうして春の風情に堪えることができようか。
青袍似草年年定、白髪如絲日日新。
私の着る青い官僚衣は、あたかも春の草に似て、年経るごとに変わるものだが、私のはその色が身についたものとなってゆく。白髪は、年改まるごとに、日ごとに、絹糸のような白髪がふえてゆく。
欲逐風波千萬里、未知何路到龍津。

普通なら現実の荒海のような権力者に媚びいって、千万里のはてまでのような違った考えをして、求むべき宝を、功名と栄誉を逐おうとは思うのだろうが、しかしいまだに、一躍、それをくぐりぬければ竜と化すという、かの登竜門が何処にあるのか、どう進めば行き着けるのか、私はさっぱり分らないのだ。

世間では、栄えからおとろえへ、衰えから繁栄へと、栄枯盛衰の繰返えされるものだ。私はそういうことに左右されない、故郷に母の喪に服して、隠遁者のようなそぞろに四度目の春を迎えたのだ。
故郷では、春、野花が咲き、夜の月も澄明で美しい。たとい花があり月が輝いても、共に酒をのみつつ鑑賞する親しい友がいたら、心もほぐれはするが、酒と女がいないとなれはらず、どうして春の風情に堪えることができようか。
私の着る青い官僚衣は、あたかも春の草に似て、年経るごとに変わるものだが、私のはその色が身についたものとなってゆく。白髪は、年改まるごとに、日ごとに、絹糸のような白髪がふえてゆく。
普通なら現実の荒海のような権力者に媚びいって、千万里のはてまでのような違った考えをして、求むべき宝を、功名と栄誉を逐おうとは思うのだろうが、しかしいまだに、一躍、それをくぐりぬければ竜と化すという、かの登竜門が何処にあるのか、どう進めば行き着けるのか、私はさっぱり分らないのだ。





春日 懐を寄す
世間の栄落 重ねて逡巡、我独り邱園に坐(そぞろ)四春。
縦使(たと)い花有り 兼ねて月有ろうとも、堪う可けんや 酒無く又人無きに。
青袍は草に似て年年定まり、白髪は糸の如く日日に新なり。
逐わんと欲す 風波 千万里、未だ知らず 何の路か竜津に到る。



世間榮落重逡巡、我獨邱園坐四春。
世間では、栄えからおとろえへ、衰えから繁栄へと、栄枯盛衰の繰返えされるものだ。私はそういうことに左右されない、故郷に母の喪に服して、隠遁者のようなそぞろに四度目の春を迎えたのだ。
遮巡 ぐるぐる堂堂めぐりして進展しないこと。○邱園 郷里の田園。○坐四春 坐はそぞろ、慢然と時を過すこと。隠遁者の表現。杜甫「北征」、白居易「別元九後詠所懐」、李商隠が郷里に帰ったのが会昌二年、四度目の春をもそこで迎えたのである。喪は三年したがって春を四度迎えることになったのだろう。。


縦使有花兼有月、可堪無酒又無人。
故郷では、春、野花が咲き、夜の月も澄明で美しい。たとい花があり月が輝いても、共に酒をのみつつ鑑賞する親しい友がいたら、心もほぐれはするが、酒と女がいないとなれはらず、どうして春の風情に堪えることができようか。
縦使 たとい 訓読みの常套。縦令、仮令。


青袍似草年年定、白髪如絲日日新。

私の着る青い官僚衣は、あたかも春の草に似て、年経るごとに変わるものだが、私のはその色が身についたものとなってゆく。白髪は、年改まるごとに、日ごとに、絹糸のような白髪がふえてゆく。
青袍 処士及び下級官吏の服。(青袍似草)の語は漢代の古詩に「青袍は春草に似たり。」とあるのをふまえている。


欲逐風波千萬里、未知何路到龍津。
普通なら現実の荒海のような権力者に媚びいって、千万里のはてまでのような違った考えをして、求むべき宝を、功名と栄誉を逐おうとは思うのだろうが、しかしいまだに、一躍、それをくぐりぬければ竜と化すという、かの登竜門が何処にあるのか、どう進めば行き着けるのか、私はさっぱり分らないのだ。
風波 変化定めなき現実の荒波。○龍津 龍門の急流。「龍門」とは夏朝の皇帝・禹がその治水事業において山西省河津県北西の黄河上流にある龍門山を切り開いてできた急流のことである。にある滝の名。水の流れが激しく、江海の亀や魚はその滝の下に集るが、それを登り切る事ができない。もし上り得れば化して竜となると、「三秦記」に見える。登竜門という言葉はそれから出る。




 李商隠らしい表現である。自分が不遇と読む人がいるだろう。
「可堪無酒又無人」その酒もなく友も居らず、女なくして春の風情に堪えることができようか。
「未知何路到龍津」登竜門が何処にあるのか、どこをどう進めばそこまで行き着けるのか、私にはさっぱり分らないのだ。上官に媚びを売り、宦官に色目を使って出世をしてどうなるというのだ。男性官僚も権力者の庇護の上に出世があったのだ。
 女性の場合艶情詩という形で権力者におもねる女たちの姿を描いたが、それは、六朝以来の女たちの艶情を借りての物語を述べているのである。男性社会については、抒情詩の中では、この詩のように「登竜門がどこにあるかわからないのだよ」とボケをいっているのである。

李商隠は詩人として生きようと思っている、「多くの書冊を選び左右に鱗次して、獺祭魚と号し」することによって、その知識をすべてちりばめたのだ。李商隠らしい詩人的表現である。「私は頑張る、どこをどうしたらこうなる」というのはまったくない。
ボケと、自虐と、頽廃、直接的な方法としては、宗教、古辞の借用があるが、これはすぐ摘発され募集のみならず罰せられている。が権力に対しての表現である。詩人はそれぞれの特徴を出していくのである。