「西亭」 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 30 西亭に関する新解釈


西亭
此夜西亭月正圓、疎簾相伴宿風煙。
梧桐莫更翻清露、孤鶴従来不得眠。


西亭
此の夜 西亭 月正に円し、
疎簾 相伴ないて風煙に宿る
梧桐よ 更に清露を翻えす莫れ
孤鶴 従来 眠るを得ず



A 解釈。

此夜西亭月正圓、疎簾相伴宿風煙。
今夜、独り西の亭に宿を取った仲秋の夜。夜空の月は翳なくまんまるい。私は隙間の多い簾を友として、風ばみ、霧の立つここに独りとまる。
西亭 洛陽の崇譲(洛陽城南東、図の下右から2番目の坊)にある妻の実家王家の家があった。これは妻の死を悼んだ悼亡の詩である。○風煙 風にたなびく秋霞

漢魏隋唐の洛陽城
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梧桐莫更翻清露、孤鶴従来不得眠。
自然に私の頬に涙がこぼれるのに、庭の梧桐の樹よ、清らかな露の涙をこれ以上こぼさないでほしい。妻をうしなった鶴はかねがね眠れないでいるのだから。



以上が、これまでの解釈である。
 李商隠は一句、語にいろんな意味を込める。これが亡き妻を悼んだ悼亡の詩であるというのはおかしい。李商隠は不遇であった、不満を胸にしている、(李商隠「蝉」参照)亡き妻を悼んでいる、という条件下でこの詩を読むと上の意味になるのであるが、以下のようにも解釈できる。



B 解釈。

西亭
此夜西亭月正圓、疎簾相伴宿風煙。
この中秋の夜、西亭に来ている、月はこの部屋の丸窓を照らしている。目の粗い簾をくぐって、香煙とともに女が入ってきた。
梧桐莫更翻清露、孤鶴従来不得眠。

この夜はまるで玄宗と楊貴妃のように清々しい混じり合いを朝までしよう、いつもは、群れから離れた孤独な鶴のようなものなので眠ないのだから。



この中秋の夜、西亭に来ている、月はこの部屋の丸窓を照らしている。目の粗い簾をくぐって、香煙とともに女が入ってきた。
この夜はまるで玄宗と楊貴妃のように清々しい混じり合いを朝までしよう、いつもは、群れから離れた孤独な鶴のようなものなので眠ないのだから。




此夜西亭月正圓、疎簾相伴宿風煙。
この中秋の夜、西亭に来ている、月はこの部屋の丸窓を照らしている。目の粗い簾をくぐって、香煙とともに女が入ってきた。
西という意味は、東の窓辺(書斎)勉強をするという意味であるが、西の窓辺、西亭というのは、色町、邸宅の閨、牀床がつきものである。○疎簾 立派な簾ではなく、粗末な作りの粗い簾、高級なところであれば、帳ということになる。娼屋という意味にとれる。 ○正圓 閨にある丸い窓のこと。


梧桐莫更翻清露、孤鶴従来不得眠。
この夜はまるで玄宗と楊貴妃のように清々しい混じり合いを朝までしよう、いつもは、群れから離れた孤独な鶴のようなものなので眠ないのだから。
梧桐 元代の戯曲「梧桐雨」というのがあり、玄宗と楊貴妃の物語であるが、李商隠の時代にまだこの戯曲があったわけではないが、閨の部屋に使われた柱や梁のことを指し、この言葉から、男女の情交をイメージさせる。○莫更 さらに~なかれという意味と、夜明けまでしていたいという意味がある。○清露 情交の際のあせ。○孤鶴 群れを離れた孤独な鶴。○不得眠 何時もつがいの鶴が孤独になるとねむることができない。




 最初のA の解釈では、全くつまらない意味の詩であり、妻の死を悼んだ悼亡の詩を詠うならもっと詩が違っているだろう駄作にしか思えない。


 しかし、B の解釈では、李商隠の最も得意とするもので、詩人としての幅、奥行きが断然出てくる。詩としても、なかなかいいものになってくる。

 儒教者的な解釈は李白、李商隠には当てはまらない。