紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 35 「贈劉司戸萱」 李商隠(812~858)

贈劉司戸蕡  李商隠

贈劉司戸蕡 
江風揚浪動雲根、重碇危檣白日昏。
激しく大江を吹く風は、波を措きあげ、遠く水平線で水と接する雲の裾も、その波に揺れ動く。舟の重量しい錨、高い帆柱も、ものすさまじい風に翻弄されて真昼にもなおうす暗い危険な船旅に託するようにして去っていった。
已断燕鴻初起勢、更驚騒客後歸魂。
ふるさとの燕の国から飛び立たんとしたその鴻の初めの威勢よい翼も、陰険な世の風にへし折られてしまった。その上、更に南の柳州に追いやる命令がきて、昔、むなしく南方にとどまっていつまでも都へ帰れなかった屈原の亡魂を、驚かすというようなことになった。宦官の巣食った漢の朝廷でも、いや唐の朝廷は一体誰を呼び戻そうとするのだろう。
漢廷急詔誰先入、楚路高歌自欲翻。
誰よりも先に、漢の孝文帝が賈誼をよび戻したように、よび戻す人物は君であるはずだ。都を離れた楚の地方から柳州まで行く道すがら、かつて接輿がいつわり狂ってそうしたように、ただひとり声高らかに歌う君の声が風にひるがえり大空に飛び散ることだろう。
寓里相逢歓復泣、鳳巣西隔九重門。

万里の彼方で、偶然めぐり会って涙ながらに歓んだのに、また万里の僻地に別離の涙を流している。天子を宦官たちに取り巻かれた朝廷は、もはや無縁のものとして遙か西の方に隔絶されてしまった。その九重の門によって閉ざしてしまった。



激しく大江を吹く風は、波を措きあげ、遠く水平線で水と接する雲の裾も、その波に揺れ動く。舟の重量しい錨、高い帆柱も、ものすさまじい風に翻弄されて真昼にもなおうす暗い危険な船旅に託するようにして去っていった。
ふるさとの燕の国から飛び立たんとしたその鴻の初めの威勢よい翼も、陰険な世の風にへし折られてしまった。その上、更に南の柳州に追いやる命令がきて、昔、むなしく南方にとどまっていつまでも都へ帰れなかった屈原の亡魂を、驚かすというようなことになった。宦官の巣食った漢の朝廷でも、いや唐の朝廷は一体誰を呼び戻そうとするのだろう。
誰よりも先に、漢の孝文帝が賈誼をよび戻したように、よび戻す人物は君であるはずだ。都を離れた楚の地方から柳州まで行く道すがら、かつて接輿がいつわり狂ってそうしたように、ただひとり声高らかに歌う君の声が風にひるがえり大空に飛び散ることだろう。
万里の彼方で、偶然めぐり会って涙ながらに歓んだのに、また万里の僻地に別離の涙を流している。天子を宦官たちに取り巻かれた朝廷は、もはや無縁のものとして遙か西の方に隔絶されてしまった。その九重の門によって閉ざしてしまった。


劉司戸葉に贈る
江風は浪を揚げて雲根を動かし、重き碇と危き檣は白日に昏し。
己に断つ 燕鴻初めて起つの勢、更に驚かす 騒客後に帰るの魂。
漢延の急詔 誰か先ず入る、楚路の高歌 自ら翻えらんと欲す。
万里 相い逢いて歓んで復た泣く、鳳巣は西に隔つ 九重の門



贈劉司戸蕡
劉司戸蕡 柳州の司戸参軍、劉貫は字去華。(生没年不詳)。幽州昌平(北京の附近)の人。敬宗皇帝、宝暦二年(826年)の進士。「春秋左伝」に精通する学者であり、正義漢だった。文宗皇帝の太和二年(828年)賢良方正の試験に応じて、時の宦官の政治干渉を痛烈に批判した。



江風揚浪動雲根、重碇危檣白日昏。
激しく大江を吹く風は、波を措きあげ、遠く水平線で水と接する雲の裾も、その波に揺れ動く。舟の重量しい錨、高い帆柱も、ものすさまじい風に翻弄されて真昼にもなおうす暗い危険な船旅に託するようにして去っていった。
雲根 横雲の裾。西晋の詩人張協(255-310年)の雑詩に「雲根は八極に臨み、雨足は四溟に濯ぐ。」と先例がある。劉宋の孝武帝劉駿(430-464年)の楽山に登るの詩に、雲根を石の意味に用いた例があるが、ここにはあたらない。ただし古く雲は石から発生すると考えられていたので、まったくそういう意味を含まないとはいえない。○白日 太陽。



已断燕鴻初起勢、更驚騒客後歸魂。
ふるさとの燕の国から飛び立たんとしたその鴻の初めの威勢よい翼も、陰険な世の風にへし折られてしまった。その上、更に南の柳州に追いやる命令がきて、昔、むなしく南方にとどまっていつまでも都へ帰れなかった屈原の亡魂を、驚かすというようなことになった。宦官の巣食った漢の朝廷でも、いや唐の朝廷は一体誰を呼び戻そうとするのだろう。
燕鴻 燕の地の鴻。劉貫が幽州の出身で、先秦時代に南燕の国のあったから喩えた表現で河北省を燕と呼ぶ。○騒客 離騒の作者である楚の屈原のことをいう。○後帰魂 屈原の弟子であったといわれる宋玉が、追放中の屈原の魂を招びもどそぅとしで、「招魂」の賦を作ったことをふまえた表現。



漢廷急詔誰先入、楚路高歌自欲翻。
誰よりも先に、漢の孝文帝が賈誼をよび戻したように、よび戻す人物は君であるはずだ。都を離れた楚の地方から柳州まで行く道すがら、かつて接輿がいつわり狂ってそうしたように、ただひとり声高らかに歌う君の声が風にひるがえり大空に飛び散ることだろう。
漢廷急詔 漢の文人賈誼(紀元前201-169年)が長沙王の太傅として左遷させられ、三年後、再び召された事にもとづく表現。○楚路高歌 楚の狂接輿が遊説中の孔子にあった時「鳳よ鳳よ、何ぞ徳の衰えたる。往者は諌むべからず、来者猶お追うべし。己みなん、己みなん。今の攻に従わん者あやうし。」と歌った故事にもとづく。「論語」微子篇、及び少しかたちをかえて「荘子」人間世篇に見える故事。



萬里相逢歓復泣、鳳巣西隔九重門。
万里の彼方で、偶然めぐり会って涙ながらに歓んだのに、また万里の僻地に別離の涙を流している。天子を宦官たちに取り巻かれた朝廷は、もはや無縁のものとして遙か西の方に隔絶されてしまった。その九重の門によって閉ざしてしまった。
鳳巣 鳳は宮廷をいう。巣は宦官の巣くっていること。〇九重門 天子の宮殿には九つの門がある(「礼記」月令篇)。