紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 38 「杜司勲」李商隠(812~858)
849年李商隠38歳 848の冬から849年9月まで、京兆尹留後三軍事奏署掾曹(長安駐屯の軍の書記)でいた。
杜司勲  李商隠38



杜司勲
高楼風雨感斯文、短翼差池不及群。
雨降り風吹きすさぶ高楼であなたの詩を拝見して深く感動いたしました。私の詩文ではあなたに比べて翼が短く不揃いになってしまい、翼を並べて一緒に飛びたいと思いますが、遺憾ながら、とうていー緒におよぶことはできないでしょう。
刻意傷春復傷別、人間唯有杜司勲。

とりわけ、身は俗臭を脱し、万物が成長を迎える時期なのにそれができないものの傷みを詠う詩、あるいは、また、悲しき別離を傷む詩を、こころに刻むことができる、あなたこそ、人の世の哀楽を知る唯一の人だとおもっております。

雨降り風吹きすさぶ高楼であなたの詩を拝見して深く感動いたしました。私の詩文ではあなたに比べて翼が短く不揃いになってしまい、翼を並べて一緒に飛びたいと思いますが、遺憾ながら、とうていー緒におよぶことはできないでしょう。
とりわけ、身は俗臭を脱し、万物が成長を迎える時期なのにそれができないものの傷みを詠う詩、あるいは、また、悲しき別離を傷む詩を、こころに刻むことができる、あなたこそ、人の世の哀楽を知る唯一の人だとおもっております。



杜司勲
高楼の風雨 斯文に感ず
短翼 差池(しち)として 群するに及ばず  
刻意 春を傷み 復た別れを傷む
人間(じんかん) 唯(た)だ有り 杜司勲


○杜司勲 晩唐の大詩人杜牧(803~852年)あざな牧之。京兆の人。憲宗期に名臣と称された宰相杜佑の孫で文宗皇帝の太和元年(827年)の進士。初め沈伝帥(769-827年)、牛僧儒(779-847年)の幕下で僚官となり、ついで侍御史に任ぜられた。のち司勲員外郎に左遷、上書した辺防策が認められて中央に召され、中書舎人で卒した。「焚川文集」二十巻がある。その詩情は豪遇洒脱で、人は小杜と呼んで杜甫と区別する。死に臨んで、自分でから墓誌を作り、また作品の多くを焚いて終ったと伝えられる(新旧「唐書」杜佑伝および「唐才子伝」)。司勲員外郎は行箕を司る官名。この詩は宜宗皇帝の大中三年(849年)李商隠38歳頃の作品。


高楼風雨感斯文、短翼差池不及群。
雨降り風吹きすさぶ高楼であなたの詩を拝見して深く感動いたしました。私の詩文ではあなたに比べて翼が短く不揃いになってしまい、翼を並べて一緒に飛びたいと思いますが、遺憾ながら、とうていー緒におよぶことはできないでしょう。
斯文 杜牧から送られた詩をいう。○差池 「差池」は燕が飛ぶときに、尾羽が互い違いになってふぞろいである様子をいう。「詩経」雅風燕燕にある。
燕燕于飛   差池其羽
之子于帰   遠送于野
瞻望不及   涕泣如雨 

 

刻意傷春復傷別、人間唯有杜司勲。
とりわけ、身は俗臭を脱し、万物が成長を迎える時期なのにそれができないものの傷みを詠う詩、あるいは、また、悲しき別離を傷む詩を、こころに刻むことができる、あなたこそ、人の世の哀楽を知る唯一の人だとおもっております。
刻意 こころを刻むようにして事にはげむ。「荘子」刻意欝に「意を刻し行を尚び、世を離れ俗に異なる。(二句略)此れ山谷の士にして世の人に非ず。」と。○傷春亦傷別 ・傷春 春は万物が成長を迎える時期、その時期でも私には春が来ないことに傷つくという心境を詩にする。男女の情愛に対して傷む詩。・傷別 悲しき別離を傷む詩を、〇人間 天上世界に対する人の世界。仙界に対する俗人界。○ これひとり。