北斉二首其一 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 44

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○北斉 北朝の王朝の一つ。550年に鮮卑族の高氏が東魂から政権を奪って樹立、三十年足らず後の577年に北周によって滅ぼされた。事実上の最後の帝、後主高緯は政治に関心も能力もなく、歌舞音曲を愛した。みずから「無愁の曲」を作って合唱させたので「無愁天子」(脳天気の君)と称された(『北斉書』後主紀)。

宜帝は華北の支配をめぐり北周と争う一方、北方に勃興した突厥を撃破するなど、軍事面では優勢であったものの、国内では「勲貴」と呼ばれる鮮卑系武人と漢族を中心とする文人官僚が内部抗争を繰り広げた。北斉後期になると、さらに「恩倖」と呼ばれる皇帝側近の勢力が抗争に加わり、これら三者による対立が激化して北斉の求心力は低下した。後主の代には、名将斛律光ら勲貴層が粛清され、北周や南朝の陳に対する軍事的優位を失った上、その後も漢人官僚と恩倖による内紛が続き、国内は混乱した。このような状況の中、北周の武帝の侵攻に対応できず敗北を続け、577年に滅亡した。

 李商隠は、宜帝、唐王朝の状態が詩の題材と同様な状態であったと考えている。エロティシズムを持った詩も単一で捉えず、重ねて読んでいくとはっきりと宜帝批判、党派の政争、宦官の排除を訴えている。『王台新詠』を利用し、自己の主張を覆い隠したのであろう。
宮廷の荒淫によって国が滅ぶのは、李商隠は最もわかりやすい例としてよく取り上げる題材の一つである。
 
北斉二首其一 
一笑相傾國便亡、何勞荊棘始堪傷。
美女の一笑で国が傾け滅ぼすということがよくある。国の内部で党派の政争をしたり、宦官の讒言を聞き忠義のものをしりぞける、皇帝の荒淫により宮廷が淫乱れ、都がいばらだらけになってから滅亡を悲しむことにそんな手間などかからない。
小憐玉體横陳夜、己報周師人晋陽。

北斎後主の寵姫小燐、連日艶やかな肢体を横たえ続けたすでに北周の軍勢が晋陽に侵入との知らせが来ていたその夜のことだ。


美女の一笑で国が傾け滅ぼすということがよくある。国の内部で党派の政争をしたり、宦官の讒言を聞き忠義のものをしりぞける、皇帝の荒淫により宮廷が淫乱れ、都がいばらだらけになってから滅亡を悲しむことにそんな手間などかからない。
北斎後主の寵姫小燐、連日艶やかな肢体を横たえ続けたすでに北周の軍勢が晋陽に侵入との知らせが来ていたその夜のことだ。

北斉二首 其の一
一笑して相い傾くれは国便ち亡ぶ、何ぞ労せん 荊棘にして始めて傷むに堪うるを。
小燐の玉体 横陳する夜、己に報ず 周師 晋陽に入ると。


一笑相傾國便亡、何勞荊棘始堪傷。
美女の一笑で国が傾け滅ぼすということがよくある。国の内部で党派の政争をしたり、宦官の讒言を聞き忠義のものをしりぞける、皇帝の荒淫により宮廷が淫乱れ、都がいばらだらけになってから滅亡を悲しむことにそんな手間などかからない。
一笑 笑みは美女の蠱惑(こわく)的な表情。周の幽王は寵愛する褒姐が笑ったことがないので、危急を知らせる煙火を燃やして諸侯を集めた。馳せ参じた人々が何事もないのにきょとんとしているのを見て褒姐が初めて「大笑」した。それを喜んでたびたび怪火を焚いたがもはや誰も集まらなくなって滅亡を招いたという話がある(『史記』周本紀)。白居易「長恨歌」にも楊貴妃について「陣を廻らせて一笑すれば百媚生ず」。○相傾 前漢・李延年は「北方に佳人有り、絶世にして独立す。ひとたび顧みれば人の城を傾け、再び顧みれば人の国を傾く」とうたって、自分の妹を漢の武帝に薦め、妹は李夫人となって寵愛を受けた(『漢書』孝武李夫人伝)。「傾城」「傾国」の語は、歌の本来の意味は、美しい人を見ようとして町中、国中の人が一箇所に集中し、そのために町や国が文字通り傾いてしまうこと。○荊棘 「荊」も「棘」もとげのある雑木。二字合わせると子音が重なる双声の語となる。呉の忠臣伍子背が呉王夫差に向かって諌めた言葉に、姦臣に囲まれていたら「城郭は丘墟となり、殿には荊棘生ぜん」(『呉越春秋』夫差内伝)とある。都城の荒廃をいうことと、荊は牛李闘争を示し、棘は宦官による宮廷内の執務の横暴、讒言による貶め、数々の暗殺、などを示す。。



小憐玉體横陳夜、己報周師人晋陽。
北斎後主の寵姫小燐、連日艶やかな肢体を横たえ続けたすでに北周の軍勢が晋陽に侵入との知らせが来ていたその夜のことだ。
小憐 北斉の後主高給が寵愛した馮淑妃の名。燐は同音の蓮とも書かれる。もとは穆皇后の侍女であったが、聡明で琵琶、歌舞に巧みなのが気に入られて穆皇后への寵愛がおとろえ、後宮に入った。その寵愛ぶりを『北史』后妃伝の馮淑妃の伝は「後主 之に惑い、坐すれば則ち席を同じくし、出ずれば則ち馬を並べ、生死一処を得んことを願う」と記す。○玉体 美女の肉体。○横陳 性行為の際の横たわりあらわにする。しとどにする。もっぱら女性についていう。徐陵「王台新詠序」に「西子(西施)微かに顰め、甲帳に杭陳するを得」など、「玉体」も「横陳」も南朝の艶詩を集めた『王台新詠』によく見える。○周師入晋陽 武平七年(576)冬、北周の宇文昌が北斉に攻め入って、その本拠地である晋陽(山西省太原市)を奪った。後主は都を置いていた鄭(河北省臨淳県)に逃げたが、人心離反し、やむなく退位した。年明けて鄴も奪取され、後主は帝位を継いでいた八歳の子高恒や馮淑妃とともに南朝の陳に逃げようとしたが途中で捕えらえられた。

○詩型・押韻 七言絶句。 亡・傷・陽。