南朝(梁・元帝) 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 46

七言絶句。


南 朝 
地險悠悠天險長、金陵王気應瑤光。
地勢の恵み自然の要害によるはるかかなたまでの領土、天から気候、風土の恵みにより、長い距離移動、穀物生産による豊かな国。金陵という名は、昔から王気漂う運気の強いところ、天界の斗宿とも合致応じている。
休誇此地分天下、只得徐妃半面粧。

これだけの国力があって、自分の国を誇れるまではない、漢民族が南を制しているだけで天下を二分されたままだ。ご自分の王妃、徐妃でさえ顔の半分だけに化粧をして馬鹿にされたと同様、たかだか全土の半分しか領土にし得なかったということだ。


地勢の恵み自然の要害によるはるかかなたまでの領土、天から気候、風土の恵みにより、長い距離移動、穀物生産による豊かな国。金陵という名は、昔から王気漂う運気の強いところ、天界の斗宿とも合致応じている。
これだけの国力があって、自分の国を誇れるまではない、漢民族が南を制しているだけで天下を二分されたままだ。ご自分の王妃、徐妃でさえ顔の半分だけに化粧をして馬鹿にされたと同様、たかだか全土の半分しか領土にし得なかったということだ


南 朝
地険は悠悠 天険は長し、金陵の王気瑤光に応ず。
誇るを休めよ此の地 天下を分かつと、只だ徐妃の半面の粧を得たるのみ


南朝 七言律詩の「南朝(玄武湖中)」は宋・南斉・陳の宮廷における逸楽を繰り広げるが、この「南朝」詩は梁を舞台とする。



地險悠悠天險長、金陵王気應瑤光。
地勢の恵み自然の要害によるはるかかなたまでの領土、天から気候、風土の恵みにより、長い距離移動、穀物生産による豊かな国。金陵という名は、昔から王気漂う運気の強いところ、天界の斗宿とも合致応じている。
地險悠悠天險長 「天険」、「地険」は守る自然の要害。「悠悠」は「長」と同じく、時間的空間的に長いこと。当時の戦は戦車主体で、その部隊は、戦艦によって移動した。南北朝はそれぞれの川を制した王朝ということができる。北朝は黄河流域を、南朝は長江流域である。隋の煬帝が大運河を完成させて統一するのである。それぞれの首都の位置も大河の要衝の地である。○金陵 南朝が歴代みやこを置いた建康(江蘇省南京市)の雅称。『太平御覧』巻四一が引く『金陵地記』、『太平韓太平寰宇記』昇州が引く『金陵図経』によると、戦国時代、楚の威壬がこの地に「王気」あるのを見て金を埋め、金陵と称した。秦の時に、江東に天子の気があると言われたのを恐れた始皇帝は地脈を断ち、「秣陵」と名を改めた、という。○王気 王者の出る気配を示す気。○応瑤光 「瑤光」は北斗七星(天樞. 天璇. 天璣. 天權. 玉衡. 開陽. 瑤光)にあたる星の名。北斗七星全体もあらわす。天空全体は二十八の宿(しゅう)星座によって区分され(分野)、それが中国全土を区分する「分野」と対応すると考えられた。金陵を含む呉の地は北斗七星を含む斗宿と対応している。


休誇此地分天下、只得徐妃半面粧。
これだけの国力があって、自分の国を誇れるまではない、漢民族が南を制しているだけで天下を二分されたままだ。ご自分の王妃、徐妃でさえ顔の半分だけに化粧をして馬鹿にされたと同様、たかだか全土の半分しか領土にし得なかったということだ。
分天下 中国が南朝と北朝により分割されていたことを指す。○徐妃 梁・元帝の后、徐昭佩。(じょ しょうはい、生年不詳 - 549年)ウィキペディアによると
徐妃は容姿が醜く、元帝は2、3年に1回しか入室しなかった。元帝は片眼だったので、徐妃は元帝がやってくると知ると、半面を化粧して待ったため、元帝は激怒して部屋を出た。徐妃は酒を好み、よく深酒していて、元帝が私室に帰ると、衣中に吐きもどした。徐妃は荊州の後堂瑤光寺の智遠道人と私通した。ひどく嫉妬深く、元帝の寵愛を受けない妾とは酒杯を交わして仲良くした。元帝の子を宿した者がいると分かると、手ずから刃傷を加えた。元帝の側近の曁季江の容姿が美しかったので、またこれと姦通した。季江は徐妃の老いらくの情に困惑して嘆いた。ときに賀徽という者の容姿が美しいことで知られたが、徐妃は賀徽を普賢尼寺に召して、白角の枕頭で詩を贈答しあった。


○韻 長、粧、光。