景陽井 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 48


景陽井
景陽宮井剰堪悲、不盡龍鸞誓死期。
宮殿の中の井戸に愛妃張麗華・孔貴人と共に身を隠した陳の後主の物語は、悲しさに耐えてなおも余りある出来事である。竜の国王、鸞の愛妃は万一の時、共に死のうと誓っていたが、その誓いは果されるものではなかった。
腸断呉王宮外水、濁泥猶得葬西施。
女のやるせなさの話は、呉王夫差と西施との物語は呉が滅びてから、西施は不祥の者として宮殿の外、五湖の水に沈められたものである、呉王の墓陵近くその湖の濁った泥水であるが西施は葬られたわけだから考えようによっては救いがあるということなのだ。


宮殿の中の井戸に愛妃張麗華・孔貴人と共に身を隠した陳の後主の物語は、悲しさに耐えてなおも余りある出来事である。竜の国王、鸞の愛妃は万一の時、共に死のうと誓っていたが、その誓いは果されるものではなかった。
女のやるせなさの話は、呉王夫差と西施との物語は呉が滅びてから、西施は不祥の者として宮殿の外、五湖の水に沈められたものである、呉王の墓陵近くその湖の濁った泥水であるが西施は葬られたわけだから考えようによっては救いがあるということなのだ。


景陽の井
景陽の宮井(きゅうせい) 剰お悲しむに堪えたり、尽くさず 竜鸞 誓死の期を。
腸断す 呉王 宮外の水、濁泥 猶お西施を葬るを得たり。





景陽井
景陽井 江蘇省江寧県の北、陳の宮殿の井戸の名。
隋の軍隊が国都建虚(南京)に侵入した夜もなお訪宴に耽っていた陳の後主は、逃げおくれて愛妃張麗華・孔貴人とともにこの井戸に隠れた。
588年10月、隋の文帝は南北中国統一をめざし、次子の晋王楊広を総大将とする総勢51万8000の軍を侵攻させた。589年、元日には隋軍が大挙して長江を渡り国都建康に迫った。後主は「犬羊のごとき者ども(隋軍を指す)が我が国に勝手に侵入し、京師(国都の周辺地域を指す)の近郊をぬすみとっている。ハチやサソリのごとき毒のある者は、時機を選んで(隋軍を)掃討・平定するがよい。内外ともに厳重に警戒するように」と命詔したが、迎撃に出た陳の将紀瑱が撃破され、隋軍の前線司令官賀若弼が、陳の捕虜を寛大に扱ったこともあり、形勢不利を悟った陳の軍勢からは投降者が相次いだ。首都の建康が陥落するに及び、大臣の1人である尚書僕射の袁憲は「隋軍の兵士達が宮廷に侵入してきても、決して乱暴なことはしないでしょう。しかも今は陳国にとって最も重大な時でございます。陛下におかれましては、服装を正して正殿に着座し、梁の武帝が侯景を引見した時の例にお倣い下さいますように」と後主に進言したが、後主は従わず「剣の刃の下では当たっていくことはできない。私には私の考えがあるのだ」と言って、宮中の奥にある空井戸に隠れようとした。袁憲は繰り返し諫め、さらに後閤舎人の夏侯公韻が、自分の体で井戸を覆って妨害したが、彼を押しのけて張麗華・孔貴人の両夫人とともに井戸の底に隠れていたところ、結局、宮殿に侵入してきた隋軍に発見されて捕虜となった。張麗華は楊広の命により青渓中橋で斬られた(『陳書』および『南史』の后妃伝)。





景陽宮井剰堪悲、不盡龍鸞誓死期。
宮殿の中の井戸に愛妃張麗華・孔貴人と共に身を隠した陳の後主の物語は、悲しさに耐えてなおも余りある出来事である。竜の国王、鸞の愛妃は万一の時、共に死のうと誓っていたが、その誓いは果されるものではなかった。
 字義は、残った余剰、・多すぎるもの。○竜鸞 竜は天子を喩えていう言葉。鸞は鳳凰の雌の雛。張麗華・孔貴人をいう。○誓死 ともに死のうという誓い。期は約束。春秋時代の呉王夫差を指す。呉王宮外の水とは五湖のこと。



腸断呉王宮外水、濁泥猶得葬西施。
女のやるせなさの話は、呉王夫差と西施との物語は呉が滅びてから、西施は不祥の者として宮殿の外、五湖の水に沈められたものである、呉王の墓陵近くその湖の濁った泥水であるが西施は葬られたわけだから考えようによっては救いがあるということなのだ。
腸断 はらわたが悲しみにねじ切れる。李商隠は男女の情交ができない状況のいたたまれなさ、やるせなさの場合に使う。ここでは、陳の後主が愛妃張麗華・孔貴人と引き裂かれ、越の国のために呉王に献上され役目を果たしたら、越国王夫人により五湖に簀巻で沈められたそれぞれの女のやるせなさを言う。この時代の女の役割は性の道具と考えられていた。○葬西施 西施は春秋時代の越の美琴越王勾践は呉に敗れてのち、呉王夫差が好色であることを知り、美女を献じて内政を乱そうとし、蒋轟をして西施を献ぜしめた。呉王は果して彼女の色香におぼれて、越に滅ぼされた。趙煜「呉越春秋」に見える。呉の滅亡後、西施は江に沈められたと伝説される。



越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた西村の施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。

呉が滅びた後の生涯は不明だが、越王勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中国では蛤のことを西施の舌とも呼ぶようになった。