馬嵬(海外徒聞更九州) 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 51



馬嵬
海外徒聞更九州、他生未卜此生休。
唐というこの九州よりなる大世界の外に、神仙世界の九州さらにあると玄宗は道教の修験者から聞いていた。だがそれは聞いただけのこと、次の未来生のどこで生れかわるかわからいままに、ここで人生は終わってしまった。
空間虎旅鳴宵拆、無復鶏人報暁籌。
落ち伸びたこの馬蒐の地で兵士たちに迫られて、来世をともに誓った愛妃をうしない、王車守衛の兵士のならす宵の拍子木をも、むなしく一人で聞かねはならなかった。朝になっても、逃げ延びる最中でのことゆえ鶏をかたどった朱の冠をかむり寝所にまで夜明けの時を知らせる守衛の者もいなかった。
此日六軍同駐馬、當時七夕笑牽牛。
この日、天宝十五載六月十四日、近衛兵は禍の根は楊貴妃にあると、憤怒していっせいに馬を駐め、楊貴妃がくびり殺されるまで、もはや前に進もうとはしなかった。かつて七夕の宵、高楼によりそいつつ、玄宗と場景妃は、一年に一度しか織女にあえぬ牽牛の運命を笑い、瀬世夫婦となって共に住もうと誓い合ったのだったが。
如何四紀為天子、不及慮家有莫愁。
四紀、凡そ五十年にわたる年月の間、天子として九州に君臨しておりながら、どうしたことか、洛陽の富家、盧姓の者が、「十五にして嫁し十六にして子を産んだ。」と古い歌謡にも歌われる、その名もめでたき莫愁なる美女を迎え入れて過したその幸福さに及ばないのは。


唐というこの九州よりなる大世界の外に、神仙世界の九州さらにあると玄宗は道教の修験者から聞いていた。だがそれは聞いただけのこと、次の未来生のどこで生れかわるかわからいままに、ここで人生は終わってしまった。
落ち伸びたこの馬蒐の地で兵士たちに迫られて、来世をともに誓った愛妃をうしない、王車守衛の兵士のならす宵の拍子木をも、むなしく一人で聞かねはならなかった。朝になっても、逃げ延びる最中でのことゆえ鶏をかたどった朱の冠をかむり寝所にまで夜明けの時を知らせる守衛の者もいなかった。
この日、天宝十五載六月十四日、近衛兵は禍の根は楊貴妃にあると、憤怒していっせいに馬を駐め、楊貴妃がくびり殺されるまで、もはや前に進もうとはしなかった。かつて七夕の宵、高楼によりそいつつ、玄宗と場景妃は、一年に一度しか織女にあえぬ牽牛の運命を笑い、瀬世夫婦となって共に住もうと誓い合ったのだったが。
四紀、凡そ五十年にわたる年月の間、天子として九州に君臨しておりながら、どうしたことか、洛陽の富家、盧姓の者が、「十五にして嫁し十六にして子を産んだ。」と古い歌謡にも歌われる、その名もめでたき莫愁なる美女を迎え入れて過したその幸福さに及ばないのは。


馬蒐
海外 徒らに聞く更に九州ありと、他生は未だ卜せず 此の生は休む。
空しく聞く 虎旅の宵栃を鳴らすを、復た鶏人の暁籌を報ずる無し。
此の日 六軍、同じく馬を駐め、当時 七夕に牽牛を笑う。。
如何ぞ 四紀 天子と為って、慮家の莫愁あるだに及ぼざる。


馬蒐 陝西省興平県西方にある地名。天宝十四年(七五五年)安禄山(7-七五七年)の叛乱軍に潼関(駅西省、洛陽と長安の中間にある関所)を占領きれた玄宗皇帝は、あわただしく出奔して馬鬼までおちのびた。帝の寵姫楊貴妃はここで嬲り殺された。
それはそこまで落ち伸びた将士たちが飢え疲れて憤激し、この動乱を招いた請任は楊氏一族にあるとし、貴妃の兄である宰相揚国忠父子を殺し、また揚貴妃の死を迫ったので、やむなく玄宗は死を賜ったのである。詩一篇はこの悲劇を批判的詠史詩として歌う。



海外徒聞更九州、他生未卜此生休。
唐というこの九州よりなる大世界の外に、神仙世界の九州さらにあると玄宗は道教の修験者から聞いていた。だがそれは聞いただけのこと、次の未来生のどこで生れかわるかわからいままに、ここで人生は終わってしまった。
九州 天下ということ。作者の原注があり、戦国諸子の一人、陰陽家の代表者である鄒衍の言葉「九州の外に更に九州有り。」(「史記」の孟子筍卿列伝に見える)を引いている。陰陽家の考えでは、文明世界は赤県神州つまり中国を中心とした九つの州に分たれ、それを海がとりまいている。その外側にまた九つの州があり、更にその外部を大嵐海(大海)がとりまいているとされる。○他生未卜 他生は、今生以外の諸々の世界に生まれかわること。過去生・未来生双方に言うが、ここでは未来生。卜の字をあるテキストは決の字に作る。○ おしまいになる。



空間虎旅鳴宵析、無復鶏人報暁籌。 
落ち伸びたこの馬蒐の地で兵士たちに迫られて、来世をともに誓った愛妃をうしない、王車守衛の兵士のならす宵の拍子木をも、むなしく一人で聞かねはならなかった。朝になっても、逃げ延びる最中でのことゆえ鶏をかたどった朱の冠をかむり寝所にまで夜明けの時を知らせる守衛の者もいなかった。
空関 空はあるべき実体なきこと。ここは共に聞くべきその人なくで、という意味。○虎旅 宮城及び王事守衛の軍隊。○鳴宵拆 宵塀は宵に就寝を警告する拍子木。○鶏人 官門を警衛し、祭祀の夜、暁を報ずる役目の者「周礼」春官に見える。○暁籌 籌は時刻を示す木札。毎朝未明に鶏人が朱色の冠を戴き、鶏の鳴声をまねておいて、それを天子の寝所に伝送する。尚衣すなわち天子の御服を掌るものが、御服を進め、かくて群臣が朝見するのである。



此日六軍同駐馬、當時七夕笑牽牛
この日、天宝十五載六月十四日、近衛兵は禍の根は楊貴妃にあると、憤怒していっせいに馬を駐め、楊貴妃がくびり殺されるまで、もはや前に進もうとはしなかった。かつて七夕の宵、高楼によりそいつつ、玄宗と場景妃は、一年に一度しか織女にあえぬ牽牛の運命を笑い、瀬世夫婦となって共に住もうと誓い合ったのだったが。
六軍 六編成よりなる近衛兵。すなわち左右の竜武、左右の神武、左右の神楽、六つの近衛師団をいう。○駄馬 馬をとどめる。前記のごとく、馬鬼で将軍陳玄礼が、粉氏を談しょうと論うたことを指す。六甲の兵は戦を持って排倒し、その要求の通るまで、前へ進もうとしなかった。中庸の詩人自辟易の「長恨歌」は、この時の有様を「六翠発せず如何ともするなく、宛転たる蛾眉 馬前に死す。」と歌っている。○当時 当はある二つのものが対応関係にあることを示す言葉。過去の時間から一つの時をとり出して、現在と対置させるとき、それが当時である。〇七夕 たなはたの宵。天宝十年の七夕の宵、玄宗と楊貴妃は、驪山の離宮の長生殿で永遠の夫婦となろうと、誓い合ったという。白居易の長恨歌では「七月七日長生殿、夜半人無く私語の時。天に在りては願わくは作らん此巽の鳥、地に在りては願わくは為らん連理の枝。」と歌われている。○牽牛 ひこぼし。日本でもよく知られる七夕伝説の星。白居易の長恨歌を敢行した中庸の陳鵜の「長恨歌伝」に、楊貴妃の死後、なおその面影を忘れ得なかった玄宗は、道教の修験者に命じて彼女の魂をたずねさせた話をのせる。蓬莱山の仙女と化した楊貴妃にあった修験者が、証拠に他人の知らぬ事柄をひとつと乞うた時、貴妃は、かつて天宝十年の七夕の夜、願わくは世世夫婦とならん、とひそかに誓ったことがあると告げた。使者が帰って この言葉を奏上した時、帝の心は貢蕩した、と。一句はこの故事をふまえる。



如何四紀為天子、不及慮家有莫愁
四紀、凡そ五十年にわたる年月の間、天子として九州に君臨しておりながら、どうしたことか、洛陽の富家、盧姓の者が、「十五にして嫁し十六にして子を産んだ。」と古い歌謡にも歌われる、その名もめでたき莫愁なる美女を迎え入れて過したその幸福さに及ばないのは。
〇四紀 一紀は歳星(木星)が天とまわりする期間、十二年。玄宗皇帝の在位は閲元元年(七一三年)より天宝十四年(七五五年)までで、ほぼ四紀といえる。○盧家有美愁 盧家は魏晋時代の北方豪族八姓の一つに数えられる名門。莫愁はいにしえの洛陽の女児の名。梁の武帝衝衍(464―549)の河中の水の歌)に、「河中の水は東に向って流る、洛陽に女児あり名は莫愁。十五にして嫁して盧家の婦となる。十六にして子を生む字は阿候」云云とある。なお、この故事を利用しつつ、愁い莫という語の意味をもきかしている。