陳後宮 李商隠  :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 54


陳後宮
茂苑城如畫、閶門瓦欲流。
茂苑が広がる都は絵のように美しく、呉の都の西の閶門の瓦は水が流れうるおうようにかがやいていた。
還依水光殿、更起月華棲。
水と光とする宮女との戯れを御殿により愛でた、月と華をと宮女たちを賞美する楼閣までさらに建てたのだ。
侵夜鸞開鏡、迎冬雉獻裘。
夜の更けるまで鑾を刻した鏡を開いてお化粧が続き、冬になると雉の首の裘という奇態な物も献上されました。
従臣皆牛酔、天子正無愁。

家来どもはみな酔い心地、無愁天子さまはその名の通り何の愁いもありませんでした。



茂苑が広がる都は絵のように美しく、呉の都の西の閶門の瓦は水が流れうるおうようにかがやいていた。
水と光とする宮女との戯れを御殿により愛でた、月と華をと宮女たちを賞美する楼閣までさらに建てたのだ。
夜の更けるまで鑾を刻した鏡を開いてお化粧が続き、冬になると雉の首の裘という奇態な物も献上されました。
家来どもはみな酔い心地、無愁天子さまはその名の通り何の愁いもありませんでした。





陳の後宮
茂苑 城は画の如し、閶門 瓦 流れんと欲す。
還た水光殿に依り、更に月華楼を起つ。
夜を侵して 鸞 鏡を開き、冬を迎えて 雉 裘を献ず。
従臣 皆な半ば酔い、天子 正に愁い無し。


陳後宮 

後宮」は政治を営む場とは異なる、天子の私的生活の場。陳の後主(陳叔宝)が歓楽に溺れて国を亡ぼしたことは、南朝(梁・元帝) 李商隠 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 47

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茂苑城如畫、閶門瓦欲流。
茂苑が広がる都は絵のように美しく、呉の都の西の閶門の瓦は水が流れうるおうようにかがやいていた。
茂苑 左思「呉都賦」(『文選』巻五)に「朝夕の播き池を帯び、長洲の茂れる苑を佩びる」とあって以来、呉の都建業の庭園としてなかは固有名詞として扱われる。○ 町のこと。○閶門 呉の都の西の門。
 

還依水光殿、更起月華棲。
水と光とする宮女との戯れを御殿により愛でた、月と華をと宮女たちを賞美する楼閣までさらに建てたのだ。
水光殿・月華楼 この名の宮殿楼閣は史書に見えず、水光、月華を楽しむ宮殿、楼閣の意か。陳の後主が次々と宮廷を造営し、そのために様々な税を課したことは『南史』陳本紀に記される。


 
侵夜鸞開鏡、迎冬雉獻裘。
夜の更けるまで鑾を刻した鏡を開いてお化粧が続き、冬になると雉の首の裘という奇態な物も献上されました。
鷲開鏡 南朝宋二池泰の「鸞鳥詩序」(『芸文類聚』巻九〇所引)に見える話を用いる。昔、罽賓の国の王が一羽の鸞を捕えたが、鳴かない。夫人が鸞は仲間を見ると鳴くといいますから鏡を置いたらどうでしょぅと言った」皆は鏡のなかの姿を見ると、悲痛な声を発して鳴き続け、夜中に身を震わせるとそのまま息絶えた、という。李商隠頻用の故事。白居易「太行路」にもみえる。ここでは鑾鏡(鸞の模様が刻まれている鏡)を指す。「鸞開鏡」は「開攣鏡」を倒置したもの。○雉献裘 西晋・武帝の時、雉の頭の裘が献上されたが、武帝は珍奇な衣服は典礼に禁じられているとして宮殿の前で焼き捨てた(『晋書』武帝紀)。「雉献裘」は「献雉裘」を倒置したもの。
この聯で用語が上句、下句で倒置されている。酔っていて間違った用語も気付かないということ。



従臣皆牛酔、天子正無愁。
家来どもはみな酔い心地、無愁天子さまはその名の通り何の愁いもありませんでした。
○無愁 北斉の後主高緑は琵琶の演奏を好み、みずから「無愁の曲」を作曲した。そこで世間では彼を「無愁天子」と称したという。「北斉二首」参照。

北斉二首其一 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ特集 44
北斉二首其二 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ特集 45

○韻 流、裳、愁、楼。



「南朝(玄武湖中)」詩と同じく、陳とは別の王朝の故事も使いながら、南朝、ことに陳王朝の、快楽に溺れて存亡の危機にも気づかないありさまをうたう。都の全体の傭轍から城門、宮殿、そして室内へとしだいに焦点が絞られていくそれぞれの句は麗しく表現されているが、「夜を侵して」の二句は常軌を逸するまでに快楽が追求されるのをいう。

など、李商隠のしばしはうたうところ。