楚宮 李商隠  :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 55
七言律詩。

楚宮
湘波如涙色漻漻、楚厲迷魂逐恨遙。
湘江の水は劉蕡の涙であり、国を救おうとする涙はどこまでも透き通った色である。そこに身を投げた楚の人屈原の怨霊は迷い続けており、どこまでも恨みを追いかけている。
楓樹夜猿愁自断、女羅山鬼語相邀。
水辺の楓に鳴く宮廷に巣食う宦官たちのような夜の猿は、胸破れんはかりに悲痛な声、讒言の声を叫んでいる。女羅のつるをまとった山鬼が淫乱な宮女ように言葉巧みに誘いかける。
空歸腐敗猶難復、更困腥臊豈易招。
腐敗した肉体は宮廷のようで二度と元のように戻ることにならない、そのうえ魚に食いちぎられのように宦官の行為はけがらわしく正当な魂を招き返すことができようか。
但使故郷三戸在、綵絲誰惜懼長蚊。

もし屈原の郷里にのこった家がたった三軒だとしても、蛟龍をたじろがせる色鮮やかな糸で縛った食べ物を、彼の眠る水中に供え続けるようにあきらめてはいけない。


湘江の水は劉蕡の涙であり、国を救おうとする涙はどこまでも透き通った色である。そこに身を投げた楚の人屈原の怨霊は迷い続けており、どこまでも恨みを追いかけている。
水辺の楓に鳴く宮廷に巣食う宦官たちのような夜の猿は、胸破れんはかりに悲痛な声、讒言の声を叫んでいる。女羅のつるをまとった山鬼が淫乱な宮女ように言葉巧みに誘いかける。
腐敗した肉体は宮廷のようで二度と元のように戻ることにならない、そのうえ魚に食いちぎられのように宦官の行為はけがらわしく正当な魂を招き返すことができようか。
もし屈原の郷里にのこった家がたった三軒だとしても、蛟龍をたじろがせる色鮮やかな糸で縛った食べ物を、彼の眠る水中に供え続けるようにあきらめてはいけない。


湘波 涙如 色漻漻(りょうりょう)たり、楚厲(それい)の迷魂 恨みを逐いて遙かなり。
楓樹 夜猿 愁いて自ら断たる、女羅 山鬼 語りて相邀う。
空しく腐敗に帰す 猶お復し難し、更に睲臊(せいそう)に困しめらる 豈に招き易からんや。
但だ使し故郷に三戸在らば、綵絲(さいし) 誰か惜まん 長蛟を懼れしむるを。


楚宮
楚宮 周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在した王国。現在の湖北省、湖南省を中心とした広い地域を領土とした楚の宮殿。紀元前278年に楚の都・郢(現在の湖北省江陵県県内)が秦軍に攻め落とされると、屈原は国を救う望みがなくなったことを感じ、旧暦五月五日の端午節に『懐沙』(石をいだく)を書き、汨羅江に身投げした。李商隠には「楚宮」と題する詩がこのほかに三首、「楚宮を過ぎる」と題する詩が一首あるが、いずれも楚の宮中の奪惨と荒淫を題材とするものである。
屈原の国を救いたい思いは肉体が腐敗しても生き残るものであり、今のひともその遺志を継いでいかねばならない。ここでも屈原は、劉司戸蕡を喩えているのであり、楚宮は唐王朝である。李商隠は、秦に攻撃されて危ない状況でも繰り広げられていた楚の宮廷の奢侈で的外れな政治を改革したかった屈原を喩えることにより、心ある人に訴えた。
 


湘波如涙色漻漻、楚厲迷魂逐恨遙。
湘江の水は劉蕡の涙であり、国を救おうとする涙はどこまでも透き通った色である。そこに身を投げた楚の人屈原の怨霊は迷い続けており、どこまでも恨みを追いかけている。
湘波 湘江の波。湘江は南方から洞庭湖に注ぐ川。屈原が身を投げた汨羅はその支流。○如涙 李商隠の何だの語の使用にはたくさんの色の違った涙があり、国を救おうとする涙は澄み切った色である。 ○色謬謬 水の澄み切った様子。李賀「南山田中行」に
秋野明、秋風白。 塘水膠膠蟲嘖嘖。
雲根苔蘚山上石、冷紅泣露嬌啼色。
荒畦九月稻叉牙、蟄螢低飛隴徑斜。
石脈水流泉滴沙、鬼燈如漆點松花。
「秋の野は明るく、秋の風は白し。塘水は膠膠として虫嘖嘖たり」。○楚厲迷魂 楚の屈原の怨魂をいう。「厲」は非業の死を遂げた魂。

 

楓樹夜猿愁自断、女羅山鬼語相邀。
水辺の楓に鳴く宮廷に巣食う宦官たちのような夜の猿は、胸破れんはかりに悲痛な声、讒言の声を叫んでいる。女羅のつるをまとった山鬼が淫乱な宮女ように言葉巧みに誘いかける。
楓樹 南方の水辺の植物。葉が厚く茎が弱く風が吹くと啼くように鳴る。○夜猿 「猿」も南方のもので、その鳴き声は悲痛なものとされる。日本の猿と違い手が長く、長く引っ張る啼き方をする。○女羅山鬼 「女薙」は蔓植物の名。李白「白雲歌送劉十六歸山」に湘江を渡り、楚山に入る。女羅衣にするとよい。「山鬼」は山中に住む女の神。李賀「神絃」にある。鬼は死者を示す。○ 招く、呼ぶ。
 

空歸腐敗猶難復、更困腥臊豈易招。
腐敗した肉体は宮廷のようで二度と元のように戻ることにならない、そのうえ魚に食いちぎられのように宦官のこういはけがらわしく正当な魂を招き返すことができようか。
空帰腐敗 死後、肉体が腐敗すること。○ 死者の魂を蘇らせる儀式。『礼記』喪大記に見える。○腥臊 なまぐささ。けがらわしい。○ 死者の魂を招く。宋玉が屈原を悼んで作ったのが『楚辞』の「招魂」。



但使故郷三戸在、綵絲誰惜懼長蛟。
もし屈原の郷里にのこった家がたった三軒だとしても、蛟龍をたじろがせる色鮮やかな糸で縛った食べ物を、彼の眠る水中に供え続けるようにあきらめてはいけない。
三戸 戦国末、楚の南公という予言者が「楚は三戸と雖も、秦を亡ぼすは必ず楚なり」(楚の人の秦に対する怨みは深いので、たとえ三戸だけになっても秦を滅ぼすだろう)と言った言葉にもとづく(『史記』項羽本紀)。○綵絲誰惜懼長蛟 『芸文類架』巻四に引く『続斉諸記』 の逸話を用いる。屈原の命日五月五目が来るたびに、楚の人は竹筒に米を包んで霊を弔っていた。後漢の建武年間、三閭大夫(屈原)と名乗る人があらわれ、「毎年いただいているものは蛟龍に盗られてしまう。もしお恵みをいただけるならは、楝(おうち)の葉で蓋をして五色の糸で縛ってほしい。この二つは蛟龍が嫌うものだから」と言った。以後、その言葉とおりに粽を作る風習が生まれた、という。
 
○韻 膠、遥、遊、招。


李商隠が劉蕡と知りあったのは湖南観察使であった楊嗣復のもとでであった。なお揚嗣復は劉蕡の座主すなわち進士登第の時の試験官だった。李商隠は5,6年ぶりの再会を夢見て尋ねた。しかし、尋ねた人はいなかった。朝廷内で意識ある人は次々に左遷されたりしていく。
 まるで、魂が消えていくようだ。
劉蕡は令狐楚、牛僧濡らの幕下で大切に扱われたが、宦官の恨みはすさまじく、結局柳州(広西壮族自治区柳州市)司戸参軍に流謫されてその地で歿した。死後六十数年を経た唐末に至って左諌議大夫を追贈されたことが示すように、権力を恐れない義人として名声は伝えられた。
 屈原のように正しいことを貫けることはできないのか。