過楚宮 李商隱 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 56
七言絶句。


過楚宮
巫峽迢迢舊楚宮,至今雲雨暗丹楓。
巫峡 はるか遠くに荒淫によりみだれた旧き楚の宮殿があった、今の唐王朝のは雲と雨のような牛李の党派闘争、カエデを真っ赤に色濃くするように宦官たちが金丹によって宮廷を乱れさせている。
微生盡戀人間樂,只有襄王憶夢中。
(屈原のように意志を貫いて死んだ人がいるが)生きているなかでわずかな人は俗世間の楽しみに執着し尽くすことができる、そうはいっても襄王のように追われた王位を取り返すことに集中した人もあるのである。


巫峡 はるか遠くに荒淫によりみだれた旧き楚の宮殿があった、今の唐王朝のは雲と雨のような牛李の党派闘争、カエデを真っ赤に色濃くするように宦官たちが金丹によって宮廷を乱れさせている。
(屈原のように意志を貫いて死んだ人がいるが)生きているなかでわずかな人は俗世間の楽しみに執着し尽くすことができる、そうはいっても襄王のように追われた王位を取り返すことに集中した人もあるのである。



巫峡 迢迢として旧き楚の宮、今に至る 雲雨にして暗き丹楓。
微かに生きるは人の間の楽しみに恋するを尽す、只有るは襄王 憶夢に中る。
宮島(3)
 写真はイメージで詩と関係ありません。 

巫峽迢迢舊楚宮,至今雲雨暗丹楓。
巫峡 はるか遠くに荒淫によりみだれた旧き楚の宮殿があった、今の唐王朝のは雲と雨のような牛李の党派闘争、カエデを真っ赤に色濃くするように宦官たちが金丹によって宮廷を乱れさせている。
巫峽 瞿塘峡・巫峡・西陵峡とあり、巫峡(ふきょう)は中国・長江三峡の二番目の峡谷。重慶市巫山県の大寧河の河口から湖北省巴東県官渡口まで全長45km。上流側の巫山県は四川盆地東端にあり、巫山山脈をはじめ東西方向に伸びる細長い褶曲山脈多数が並行して走っている。巫峡の両側にある景勝地は「三台八景十二峰」と呼ばれ、特に雲の中に聳える神女峰が代表的な存在である。
迢迢 はるかなさま。楚宮をここでは長江から眺めみている。別に湘江から見たものもある。○楚宮 楚 (紀元前223年まで)は、中国に周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在した王国。現在の長江下流域、湖北省、湖南省を中心とした広い地域を領土とした楚の宮殿。紀元前278年に楚の都・郢(現在の湖北省江陵県県内)が秦軍に攻め落とされると、屈原は国を救う望みがなくなったことを感じ、旧暦五月五日の端午節に『懐沙』(石をいだく)を書き、汨羅江に身投げしたことを詠う詩が多い。李商隠は唐王朝に対して楚宮を喩えるために詩題としているのであろう。つまり楚宮という歴史を過ぎても今も荒淫の歴史は続くとしている。○雲雨 雲と雨。 唐代の憲宗期から宣宗期(808年から849年)にかけて起こった政争、牛李の党争を示す。牛僧孺・李宗閔の牛党と李徳裕の李党の間で激しい権力闘争が行われ、官僚のすべてが色分けされ、政治的混乱をもたらし、唐滅亡の要因となったと評される。 ○丹楓 南方の水辺の植物。葉が厚く茎が弱く風が吹くと啼くように鳴る。初めは綠で、霜に逢えば美しく紅葉する。李商隠は宦官を比喩しているから、皇帝を金丹により、薬物中毒にさせたことを喩えている。唐王朝約300年は宦官の金丹による宮廷頽廃の歴史でもある。


微生盡戀人間樂,只有襄王憶夢中。
(屈原のように意志を貫いて死んだ人がいるが)生きているなかでわずかな人は俗世間の楽しみに執着し尽くすことができる、そうはいっても襄王のように追われた王位を取り返すことに集中した人もあるのである。
 執着する。こいしい。○人間 俗人の世界。李白「山中問答」「望廬山瀑布其一」○ たのしみ。おだやか。のぞむ。ねがう。論語「知者楽水、仁者楽山。」ここではたのしみ。
襄王 襄王 紀元前7世紀、周朝の第18代王。前637年、襄王は翟軍を率いて鄭を征伐し、翟人の娘を翟后としたが、軍事的に力を持つ翟后に追われ鄭に出奔し、晋に救援を求め、晋の文公が戎・翟を放逐し復位することができた。『春秋左氏伝』。 ○憶夢中 襄王は復位することができたが、いま、つまり唐王朝が宦官により無力化していることを天子にその実質権力を取り戻すことが夢なのである。ここの解釈を襄王は巫峡の神女とセックスができたがそんな夢みたいなことを望まずに現実を見なさいと訳されているのを見ますが、それは間違い。人間:憶夢 楽:中;たのしむ:あたる。

○韻 宮、楓、中。
五重塔(2)
  
写真はイメージで詩と関係ありません。