天涯 李商隠  :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 59
853年梓州李商隠43歳。

春日在天涯、天涯日又斜。
春は君との思い出のある季節だ。わたしは地の果てにいる。そんな地の果てにいても太陽がかたむいてくると君との夜が思い出される。
鴬啼如有涙、爲濕最高花。
鴬はここにも啼くのだが、君の歌はここでは聞けない、琴の音を聞いていると涙がでて啜り泣いてしまう。そ君との濡れ場は考えるだけでも一番高い所に咲く花のように手にも取れない。


春は君との思い出のある季節だ。わたしは地の果てにいる。そんな地の果てにいても太陽がかたむいてくると君との夜が思い出される。
鴬はここにも啼くのだが、君の歌はここでは聞けない、琴の音を聞いていると涙がでて啜り泣いてしまう。そ君との濡れ場は考えるだけでも一番高い所に咲く花のように手にも取れない。


天涯
春日 天涯に在り、天涯 日 又斜めなり。
鶯は啼いて 涙有る如く、為に湿す 最高の花。

春日在天涯、天涯日又斜。
春は君との思い出のある季節だ。わたしは地の果てにいる。そんな地の果てにいても太陽がかたむいてくると君との夜が思い出される。
○天涯 地の果て。当時は四方に果てがあると考えられていた。当時は女性が旅行することはないので、都か、江南の、女性に天涯という表現の方が分かりやすいことであろう。東川節度使柳仲邸の幕下、梓州(四川省三台県)にいた頃の作。


鴬啼如有涙、爲濕最高花。
鴬はここにも啼くのだが、君の歌はここでは聞けない、琴の音を聞いていると涙がでて啜り泣いてしまう。そ君との濡れ場は考えるだけでも一番高い所に咲く花のように手にも取れない。
鴬啼如有涙 この句は司馬相如と卓文君の恋物語に基づいている。鶯は司馬相如の『鳳求凰』の琴の音を意味する。また、鶯は歌の上手い芸妓をも示す。このような地の果てに来て、逢うこともできないでいることに対する涙。李商隠は、司馬相如の物語、ラブレターで卓文君を射止めたことを引きながら、この詩を今はあえない芸妓に贈ったものであろう。
爲濕最高花。 この句は相手を最高に持ち上げたものである。濕は性交を示す。花は女性自身、


 

(李商隠解説)
数年徐州で判官をし、851年長安に帰り、令狐綯の力で大学博士に任官する。852年より梓州に赴任する。この時期になると出世というものからはずれ、自己について嘲笑的態度へと変化させることにより自己満足をする、従来の出来事の裏側のある隠された部分を故事、性的描写など李商隠らしく批判的なものを覆いつつあらわしていたものが消えていく物足りない詩になっていく。

李商隠が後半生 において政治詩をほとんど遺していない事との関連性も想起 しうるのである。