宮詞 李商隠  :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 62
846年 鄭州と長安 李商隠35歳。



宮詞 
君恩如水向東流、得寵憂移失寵愁。
天子の寵愛というものは、大河が東海に流れていくようにながれるもの、水流のように留まらずに去るものなのだ。後宮の妓女たる身は、寵愛を得てからは、心変りを憂え、寵愛を失ってからはまた悲しみ愁えることになる。
莫向樽前奏花落、涼風只在殿西頭。

愁いが重なったとしても宴席において花落の笛曲を奏でたりしてはいけないのだ。寵愛が冷めたこと、それを思う苦しさには耐えられないと江淹の擬古詩に「窃かに愁う涼風の至り」と漢の成帝の妃班婕妤の愁いを詠ったように「切に恐る秋節の至るを。」と歌った秋風が、いま、後宮の西辺に迫ってきているのだ。



天子の寵愛というものは、大河が東海に流れていくようにながれるもの、水流のように留まらずに去るものなのだ。後宮の妓女たる身は、寵愛を得てからは、心変りを憂え、寵愛を失ってからはまた悲しみ愁えることになる。
愁いが重なったとしても宴席において花落の笛曲を奏でたりしてはいけないのだ。寵愛が冷めたこと、それを思う苦しさには耐えられないと江淹の擬古詩に「窃かに愁う涼風の至り」と漢の成帝の妃班婕妤の愁いを詠ったように「切に恐る秋節の至るを。」と歌った秋風が、いま、後宮の西辺に迫ってきているのだ。



(下し文)
君恩は水の如く東に向い流れる、寵を得ては移らんことを憂い寵を失いては愁う。
樽前に向いて花落を奏すること莫かれ、涼風は只だ殿の西頭に在り。



宮詞 李商隠
宮詞 後宮の事を主題とする歌謡。中庸の詩人王建(767頃-830頃)は枢密使の王守澄から宮中のことを漏れ聞き、これを素材として七言絶句の「宮詞」百首を作った。王建の詩は次の通り。
宮詞   王建
金吾除夜進儺名、画袴朱衣四隊行。
院院焼灯如白日、沉香火底坐吹笙。

宮詞   王建
銀燭秋光冷画屏、軽羅小扇撲流蛍。
玉階夜色涼如水、臥看牽牛織女星。

当形式に倣って後世、和凝や花蕊夫人らが「宮詞」百首を作ることになる。歌謡の歌詞を作るのにたくみ一世を風靡した。
李商隠この作品は王建の体にならったもの。宮辞とも書く。この一首は「三体詩」にとられている。



宮詞
君恩如水向東流、得寵憂移失寵愁。
天子の寵愛というものは、大河が東海に流れていくようにながれるもの、水流のように留まらずに去るものなのだ。後宮の妓女たる身は、寵愛を得てからは、心変りを憂え、寵愛を失ってからはまた悲しみ愁えることになる。
向東流 中国大陸は東方が海に面するゆえ、大河はすべて東流する。○憂愁 あらかじめ心配することを憂と云い、悲しみの既に至ってうれうるのを愁という。



莫向樽前奏花落、涼風只在殿西頭。
愁いが重なったとしても宴席において花落の笛曲を奏でたりしてはいけないのだ。寵愛が冷めたこと、それを思う苦しさには耐えられないと江淹の擬古詩に「窃かに愁う涼風の至り」と漢の成帝の妃班婕妤の愁いを詠ったように「切に恐る秋節の至るを。」と歌った秋風が、いま、後宮の西辺に迫ってきているのだ。
向樽前 向は、方向を示す意味を含みつつ、何処そこでの(で)に近い。この場合、酒樽に向かう、酒宴、宴席に向かう、宴席に侍る。○花落 盧照鄰「横吹曲」、『梅花落』が奏されていた。盧照鄰(641―680)河北(范陽)の人。初唐の四傑の一人。
梅花落
梅院花初発、天山雪未開。
雪処疑花満、花辺似雪廻。
因風入舞袖、雑紛向牀台。
匈奴幾万里、春至不知来。

梅院の花が初めて発くも、天山の雪は未まだ開かず
雪ふる処は花満つるかと疑い、花辺は雪の廻るに似たり
風に因りて舞袖に入り、紛に雑じりて牀台に向う
匈奴 幾万里、春至るも来たるを知らず

 
涼風 秋風。梁の江淹(444-505年)の班婕妤の詠扇に擬古詩に「窃かに愁う涼風の至り、我が玉階の樹に吹くことを。」とあるのをふまえる。班礎好は漢の成帝劉鷔(紀元前五紀元七年)の宮妓、趙飛燕に寵を奪われて怨歌行を作った。それに「常に恐る秋節の至るを。」という句が含まれている。○西頭 後宮の西辺。西は閨を示す。寵愛に秋風ということだ。頭はあたり。