賈生 李商隠  :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64
847年 鄭州と長安 李商隠36歳。


賈生
宣室求賢訪逐臣、賈生才調更無倫。
漢の孝文帝は賢者を求めて、いったんは讒言を信じて長沙へ流謫した買誼をよびもどし、公正室で彼を召見した。賈誼の才能は群を抜いており、比べる者も全く見当らないのである。
可憐夜半虚前席、不問蒼生問鬼神。

だが、憐れむべきことであった、賈誼は得意の弁舌を振って、夜半にまでいたり、帝が思わず、坐席を前のめりにさせるほどであったのであったが、質問されたのは、人民を治める政事についてではなかった、天地の陰と陽の神々についてだけだった.


漢の孝文帝は賢者を求めて、いったんは讒言を信じて長沙へ流謫した買誼をよびもどし、公正室で彼を召見した。賈誼の才能は群を抜いており、比べる者も全く見当らないのである。
だが、憐れむべきことであった、賈誼は得意の弁舌を振って、夜半にまでいたり、帝が思わず、坐席を前のめりにさせるほどであったのであったが、質問されたのは、人民を治める政事についてではなかった、天地の陰と陽の神々についてだけだった。
(彼の才能はそのように帝の好奇心を満足させるために利用されたに過ぎなかった。官僚になろうとする者は、人民のためのまつりごとについて、勉強している。どの時代の皇帝も女と奢侈と利己的な要求だけするものだ。朝廷内を正道に戻すことから始めるべきだ。)



賈 生
宜室 賢を求めて 逐臣を訪ぬ、賈生の才調 更に倫無し。
憐れむべし、夜半 虚(むな)しく席を前(すす)めしを、蒼生を問わずして鬼神 を問う



賈生 漢の孝文帝劉恒(紀元前202-157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した



宣室求賢訪逐臣、賈生才調更無倫。
漢の孝文帝は賢者を求めて、いったんは讒言を信じて長沙へ流謫した買誼をよびもどし、公正室で彼を召見した。賈誼の才能は群を抜いており、比べる者も全く見当らないのである。
宜室 天子の居間。未央宮前殿の正等○遂臣中央からおい出された臣下。〇才調才能、ことに文学の才能。



可憐夜半虚前席、不問蒼生問鬼神。
だが、憐れむべきことであった、賈誼は得意の弁舌を振って、夜半にまでいたり、帝が思わず、坐席を前のめりにさせるほどであったのであったが、質問されたのは、人民を治める政事についてではなかった、天地の陰と陽の神々についてだけだった。(彼の才能はそのように帝の好奇心を満足させるために利用されたに過ぎなかった。官僚になろうとする者は、人民のためのまつりごとについて、勉強している。どの時代の皇帝も女と奢侈と利己的な要求だけするものだ。朝廷内を正道に戻すことから始めるべきだ。)
虚前席 席はしきもの。人の談話を傾聴して次第に坐席を前に移すことを前席という。○蒼生 人民。○鬼神 かみ。鬼は陰の神、神は陽のかみ。