武侯廟古栢 李商隠 :紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 67 諸葛亮(2)
853年大中7年42歳 梓州
この詩は、杜甫の詩にイメージを完全に借りているが、李商隠の諸葛亮に関する評価は少し違っている。

武侯廟古栢
蜀相階前栢、龍蛇捧閟宮。
蜀の丞相諸葛亮の廟、そのあがり框の前に柏が植えられている、あたかも龍蛇のように幹をくねらせ、閟宮を守っている。
陰成外江畔、老向惠陵東。
成都を囲む江水のほとりに影をなす茂みがある、老いていまなお先主劉備の恵陵東に忠誠をあらわしている。
大樹思馮異、甘棠憶召公。
大樹は将軍馮異の武勲を思わせ、甘棠の詩はその治世に慕われた召公を憶わせる。
葉彫湘燕雨、枝折海鵬風。
葉は枯れ、湘江の石燕も風雨に撃たれた。枝は折れ、海鵬も大風に打たれてしまった。
玉壘經綸遠、金刀歴敷終。
志は蜀にそびえる玉塁山ほどに遠大であった、しかし、漢王朝の天の定めた帝王の順序はすでに尽きていたのだ。
誰将出師表、一爲問昭融。

ああ誰か、出師の表をもって、忠誠の念の結晶で歴数が変わるのか、天の意思を問うてはどうだろうか。


蜀の丞相諸葛亮の廟、そのあがり框の前に柏が植えられている、あたかも龍蛇のように幹をくねらせ、閟宮を守っている。
成都を囲む江水のほとりに影をなす茂みがある、老いていまなお先主劉備の恵陵東に忠誠をあらわしている。
大樹は将軍馮異の武勲を思わせ、甘棠の詩はその治世に慕われた召公を憶わせる。
葉は枯れ、湘江の石燕も風雨に撃たれた。枝は折れ、海鵬も大風に打たれてしまった。
志は蜀にそびえる玉塁山ほどに遠大であった、しかし、漢王朝の天の定めた帝王の順序はすでに尽きていたのだ。
ああ誰か、出師の表をもって、忠誠の念の結晶で歴数が変わるのか、天の意思を問うてはどうだろうか。


武侯廟の古柏
蜀相 階前の柏、龍蛇 閟宮(ひきゅう)を捧ずる。
陰は成る 外江の畔、老いて向かう 恵陵の東。
大樹 馮異(ふうい)を思い、甘棠(かんどう) 召公を憶う。
葉は彫(しぼむ) 湘燕の雨、枝は折れる 海鵬の風。
玉塁 経綸(けいりん)遠く、金刀 歴数終る。
誰か出師の表を将って、ひとたび為に昭融に問わん。



武侯廟古栢
武侯廟 三国鼎立の蜀の諸葛亮(諡を忠武侯という)を祀った成郡の廟。廟の前には諸葛亮手植えと伝えられる二本の柏の大木があった。○古柏 杜甫のよく知られた七言律詩「蜀相」760年上元元年49歳 
丞相祠堂何處尋,錦官城外柏森森。
映堦碧草自春色,隔葉黄鸝空好音。
三顧頻煩天下計,兩朝開濟老臣心。
出師未捷身先死,長使英雄涙滿襟。

にも「丞相の両堂 何処にか尋ねん、錦官城外 柏森森たり」と書き起こされ、廟のシンボルであったことがわかる。この杜甫の詩の約100年後のことだ。



蜀相階前栢、龍蛇捧閟宮。
蜀の丞相諸葛亮の廟、そのあがり框の前に柏が植えられている、あたかも龍蛇のように幹をくねらせ、閟宮を守っている。
閟宮 みたまや。「閟」は閉ざすの意。杜甫が夔州の劉備・諸葛亮の廟をうたった「古柏行」のなかに成都の廟を思い出して「憶う昨 路は操る錦亭の東、先主(劉備)・武侯同に閟宮」というように、成都の閟宮には劉備と諸葛亮がともに祀られていた。(次の句の説明参照)



陰成外江畔、老向惠陵東。
成都を囲む江水のほとりに影をなす茂みがある、老いていまなお先主劉備の恵陵東に忠誠をあらわしている。
外江 蜀の地を流れる長江の支流のうち、ふつうは綿陽から重慶に至る涪江を内江、成都から宜賓を経る岷江を外江と呼ぶが、成都に即して錦江を内江、郫江を外江と呼ぶ。ここでは成都の城外を流れる郫江を指す。○恵陵 劉備の陵墓。先主廟は中央室に先主、西室に諸葛武侯、東室に後主を祀ったもの。杜甫「登樓」参照。



大樹思馮異、甘棠憶召公。
大樹は将軍馮異の武勲を思わせ、甘棠の詩はその治世に慕われた召公を憶わせる。
馮異 後漢の建国に頁献した武将。功を誇らず、ほかの将が手柄話に興ずるとひとり樹下に退いていたので「大樹将軍」と呼ばれた(『後漢書』馮異伝)。武将としての諸葛亮が大功をあげながら誇らないのをたとえる。○甘棠憶召公 「召公」は召伯のこと。『詩経』召南に、召伯の徳を人々が慕い、ゆかりのある甘棠の木をうたった「甘棠」の詩がある。宣王の時の召穆公虎を指す。二句は詩題の「古柏」に掛けて樹木にまつわる二つの故事を引き、諸葛亮の武将として(「大樹」)、賢臣として(「甘棠」)の功績を讃える。



葉彫湘燕雨、枝折海鵬風。
葉は枯れ、湘江の石燕も風雨に撃たれた。枝は折れ、海鵬も大風に打たれてしまった。
湘燕雨 湘江のほとり、零陵(湖南省零陵県)には、風雨に遭うと燕のように飛び、雨が止むと石になる「石燕」というものがあると、『芸文類緊』巻九二などが引く『湘中記』に見える。○海鵬風 『荘子』遁遥遊篇の冒頭、北冥(北の海)の鯤という巨大な魚は鵬という鳥に変化し、風に乗って南冥に翔るという話にもとづく。



玉壘經綸遠、金刀歴敷終。
志は蜀にそびえる玉塁山ほどに遠大であった、しかし、漢王朝の天の定めた帝王の順序はすでに尽きていたのだ。
玉壘 山の名。四川省理県の東南にある。○経論 天下国家を治め人民をすく方策。李白「梁甫吟」○金刀 卯金刀の略。卯、金、刀の三字を合成すると漢王朝の姓、劉の字になることから、漢王朝を指す。漢王朝を正統に継承していると称していた。○歴数 天の定めた帝王の順序。

 

誰将出師表、一爲問昭融。
ああ誰か、出師の表をもって、忠誠の念の結晶で歴数が変わるのか、天の意思を問うてはどうだろうか。
出師表 諸葛亮が魏を攻撃するに際して蜀の後主劉禅に奉った上表文。忠誠の念の結晶とされる。『文選』巻三七。○昭融 天を指す。杜甫「哥舒開府翰に投贈す二十韻」詩に「策行なわれて戦伐を遺し、契り合して昭融を動かす」。


○詩型 五言排律。○押韻 宮・東・公・凰・終・融。


この詩のように治世と軍事に秀でた英雄を取り上げた詩もあるが、諸葛亮については、杜甫は成都と夔州、

籌筆驛 紀頌之の漢詩李商隠特集 66 諸葛亮(1)
において、4首、今回3首あげたように、いずれの廟にも詣でて、時世を救う人物の欠如を詠っている。
李商隠の場合はいっそう諸葛亮の忠誠心についてたたえつつ、それだけでは国は救えないと重心を移している。いずれにしても、古人を詠じながらそこに唐王朝の行く末を憂いている点については杜甫詩のイメージ通りである。。



古柏行  杜甫
夔州の諸葛武侯の廟にある古柏についてよんだうた。
大暦元年の作。
孔明廟前有老柏,柯如青銅根如石。霜皮溜雨四十圍,
黛色參天二千尺。君臣已與時際會,樹木猶為人愛惜。
雲來氣接巫峽長,月出寒通雪山白。』憶昨路繞錦亭東,
先主武侯同閟宮。崔嵬枝幹郊原古,窈窕丹青戶牖空。
落落盤踞雖得地,冥冥孤高多烈風。扶持自是神明力,
正直原因造化功。』大廈如傾要梁棟,萬牛回首丘山重。
不露文章世已驚,未辭翦伐誰能送。苦心豈免容螻蟻,
香葉終經宿鸞鳳。志士幽人莫怨嗟,古來材大難為用。』
(古柏行)
孔明が廟前に老柏有り、何は青銅の如く根は石の如し。霜皮雨を溜す四十囲、黛色天に参す二千尺。君臣巳に時の与に際会す、樹木猶お人に愛惜せらる。雲来たって気は巫暁の長きに接、月出でて寒は雪山の白きに通ず。』
憶う昨路 繞めぐる錦亭の東、先主 武侯 同じく閟宮ひきゅう。崔嵬さいかいとして枝幹に郊原古りたり、
窈窕ようちょうとして丹青に戸牖こゆう空し。落落 盤踞ばんきょするは地を得たりと経も、冥冥 孤高なるは 烈風多し。扶持自ずから是れ神明の力、正直 元と因る造化の功。』
大廈たいか如もし傾いて梁棟を要せば、万牛首を廻らして丘山重からん。文章を露さざれども世己に驚く、未だ翦伐を辞せざるも誰か能く送らん。苦心豈に免れんや螻蟻ろうぎを容るるを、香葉曾て経たり鸞鳳を宿せしめしを。』



登樓
成都の城楼にのぼって見る所と感ずる所とをのべた。広徳二年春の作。
花近高樓傷客心,萬方多難此登臨。
錦江春色來天地,玉壘浮雲變古今。
北極朝廷終不改,西山寇盜莫相侵。
可憐後主還祠廟,日暮聊為梁甫吟。
(楼に登る)
花高楼に近うして客心を傷ましむ、万方多難此に登臨す
錦江の春色天地より来たり、玉塁の浮雲古今変ず
北極の朝廷は終に改まらず、西山の山寇相侵すこと莫れ
憐れむ可し後主還た祠廟、日暮聊か梁父の吟を為す