其 二
沈約憐何遜、延年毀謝荘。
清新倶有得、名譽底相傷。

其の二

沈約は何遜を憐れみ、延年は謝荘を毀(そし)

清新 倶に得る有るも、名誉 底(なん)ぞ相い傷(そこない)

 
南朝斉を代表する詩人沈約は同じ南朝斉の何遜の詩に心惹かれ、南朝宋を代表する詩人顔延之は同じ南朝宋の謝荘の作を謗るのである。
清新さというのは何遜も謝荘もその言葉にある、その名誉はどうして軽々に傷つけられようか、けっして損なわれるものではない。



沈約憐何遜、延年毀謝荘。
南朝斉を代表する詩人沈約は同じ南朝斉の何遜の詩に心惹かれ、南朝宋を代表する詩人顔延之は同じ南朝宋の謝荘の作を謗るのである。
沈約(しんやく441年 - 513年) 南朝を代表する文学者、政治家。呉興武康(現在の浙江省武康県)の人。字は休文。沈氏は元来軍事で頭角を現した江南の豪族であるが、沈約自身は幼いときに父を孝武帝に殺されたこともあり、学問に精励し学識を蓄え、宋・斉・梁の3朝に仕えた。南斉の竟陵王蕭子良の招きに応じ、その文学サロンで重きをなし、「竟陵八友」の一人に数えられた。その後蕭衍(後の梁の武帝)の挙兵に協力し、梁が建てられると尚書令に任ぜられ、建昌県侯に封ぜられた。晩年は武帝の不興をこうむり、憂愁のうちに死去したという。その彼が若い「何遜」に対して、「吾れ卿の詩を読む毎に一日に三復するも猶お己む能わず」と絶賛したという(『梁書』何遜伝)。「憐」は対象に対して深く心を惹かれること。気の毒に思うの意味はその一部に過ぎない。 ○何遜(かそん?~518)中国南北朝時代の文学者。東海郯の人。字は仲言。曾祖父は何承天。幼少より文才に優れ、8歳で詩を作り、20歳の時、州から秀才に選ばれた。南斉の永明年間に、当時の文壇の重鎮であった范雲に文才を認められ、年齢を超えた交際を結ぶ。現存する詩は110首あまり。生涯の大半を地方の幕僚として勤めたことから、友人や同僚たちとの間の応酬・離別の詩や行旅を主題とする詩が多くを占める。その詩風は、寒門の出身者であるが故の、官途の不遇から発せられた心情表現がしばしば見られることが特徴である。その一方で、詩中における自然描写は、精巧であるとともに、豊かな抒情性をたたえており、謝朓とならび、唐詩の先駆とみなされている。

延年毀謝荘 「延年」は謝霊運とともに南朝宋を代表する文人顔 延之(がん えんし384年 - 456年)中国南北朝時代、宋の文学者。字は延年。本籍地は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市)。宋の文帝や孝武帝の宮廷文人として活躍し、謝霊運・鮑照らと「元嘉三大家」に総称される。また謝霊運と併称され「顔謝」とも呼ばれる。○謝荘(421~466) 南朝宋を代表する文人。字は希逸。陳郡陽夏の人。謝弘微の子。はじめ始興王劉濬のもとで法曹行参軍となった。太子・劉劭が父・文帝を殺して自立すると、司徒左長史に任ぜられた。武陵王劉駿が劉劭を討つべく起兵すると、檄文を改作して京邑に宣布した。孝武帝(劉駿)が即位すると、吏部尚書に任ぜられた。明帝のとき、中書令に上った。「木方丈図」を作り、中国で最も古い木刻地形図として知られた。また詩文をよくした。『謝光禄集』。顔延之が謝荘をけなした逸話は、『南史』謝荘伝に見える。謝荘の「月の賦」の評価を孝武帝が尋ねると、顔延之は「美なるは則ち美なり。但だ、荘は始めて『千里を隔てて明月を共にす』を知る」と答えた。孝武帝がその話を謝荘に伝えるや否や、謝荘はすかさず「延之は「秋胡の詩」を作り、始めて「生きては久しく離別することを為し、没しては長えに帰らざるを為す」を知る」と応じた。帝はそれを聞いて手を打って喜んだという。「始めて……知る」とはその句を作ってわかりきったことがはじめてわかった。それにはあきれるとそしりあったもの。謝荘「月の賦」は『文選』巻一三、顔延之「秋胡詩」は同巻二一に収められ、いずれも二人の代表作。



清新倶有得、名譽底相傷。
清新さというのは何遜も謝荘もその言葉にある、その名誉はどうして軽々に傷つけられようか、けっして損なわれるものではない。
清新 表現の新鮮さをほめる言葉。杜甫が李白を萸信になぞらえて
春日憶李白 杜甫
白也詩無敵,飄然思不群。清新庚開府,俊逸鮑參軍。
渭北春天樹,江東日暮雲。何時一尊酒,重與細論文?

(春日李白を憶う)
白や詩敵なし 諷然として思羣ならず。
清新は庚開府 俊速は飽参軍。
洞北春天の樹 江東日暮の雲。
何の時か一得の酒 重ねて与に細かに文を論ぜん。

「清新なるは萸開府、俊逸なるは飽参軍(飽照)」の詩に基づいている。○名譽底相傷 何遜は称えられ謝荘はけなされたが、それぞれにすぐれた文学、たとえ批判を被っても真価は揺らがない「底」は「何」と同じく疑問、反語をあらわす。絶句に用いられる俗語的な語。

作品の価値はその批評の仕方によって違う。一方は褒め合い、他方はけなし合う。しかしその清新さは後世の人々からは正当な評価を受ける。他者から受ける批評とは関わりないという李商隠の思いが籠められているか。


○詩型五言絶句
・押韻  荘・傷。




其 二
沈約憐何遜、延年毀謝荘。
南朝斉を代表する詩人沈約は同じ南朝斉の何遜の詩に心惹かれ、南朝宋を代表する詩人顔延之は同じ南朝宋の謝荘の作を謗るのである。
清新倶有得、名譽底相傷。

清新さというのは何遜も謝荘もその言葉にある、その名誉はどうして軽々に傷つけられようか、けっして損なわれるものではない。

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