無 題(紫府仙人號寶鐙) 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-93




 不老不死の仙薬と称して、回春作用のある薬を肯定し飲ませ、性行為に対しての薬依存症にさせる。宦官たちは皇帝を無力化させるため媚薬をのませたのだ。
 仙界における仙女宝鐙が五雲漿を飲み飛んできてくれるのか、金丹を飲んで飛んでゆくのか、媚薬について恋を絡めながら、皇帝は何人も中毒になってい行く。このことを前提にこの詩を読んだら李商隠の詩は奥深いものとなる。

無 題
紫府仙人號寶鐙、雲漿未飲結成冰。
紫府の仙女は宝燈という號をもっている。五雲漿の媚薬は氷に結晶していてまだ飲めないでいる。
如何雪月交光夜、更在瑤臺十二層。

媚薬を飲んでいないので、どうしたら、雪の光となり月光となってこの夜交わり合えるのだろうか。いつまでもいるだけであった、神山崑崙の瑤台、十二段に。


無 題
紫府の仙人宝鐙(ほうとう)と号す、雲漿 未だ飲まざるに結びて氷と成る。
如何ぞ 雪月 光を交うるの夜、更に瑤台十二層に在るや。




無 題(紫府仙人號寶鐙) 訳註と解説

(本文)
紫府仙人號寶鐙、雲漿未飲結成冰。
如何雪月交光夜、更在瑤臺十二層。

(下し文)
紫府の仙人宝鐙(ほうとう)と号す、雲漿 未だ飲まざるに結びて氷と成る。
如何ぞ 雪月 光を交うるの夜、更に瑤台十二層に在るや。


(現代語訳)
ー直訳ー
紫府の仙女は宝燈という號をもっている。五雲漿の媚薬は氷に結晶していてまだ飲めないでいる。
媚薬を飲んでいないので、どうしたら、雪の光となり月光となってこの夜交わり合えるのだろうか。いつまでもいるだけであった、神山崑崙の瑤台、十二段に。


 (紫宸殿、紫蘭殿、紫微殿後宮にあるものである。紫は、皇帝の統治の色である。「紫府」と王朝を示しながら天子を仙人として宮妓を仙女としている。)
いつもこの媚薬を飲んで交わっていた。なぜ、この頃は交われないのかきっと天子はこの媚薬を飲んでいないのではないか。今夜、飲もうと思ったら、長く放置しているから固まってしまっていた。待っているだけだとつらい、どうしたら、月や雪の光となって情交できるのだろう。いつまでもこの場所で待ち続けているのだ。


(訳註)
紫府仙人號寶鐙、雲漿未飲結成冰。

紫府の仙女は宝燈という號をもっている。五雲漿の媚薬は氷に結晶していてまだ飲めないでいる。
紫府 道教の仙人の居所の名。『海内十洲記』に南海にある長洲は一名青丘ともいい、その風山には「紫府宮有り。天真仙女、此の地に遊ぶ」。○宝鐙 本来は仏の名。『仏説仏名経』に見える。道教と仏教はしばしば語彙を共有する。また仏前に供える灯火をもいう。その名で呼ばれる女性はこの詩の発語者にとって光明となる存在であるばかりか、輝かしい人として当時広く人気があったことを意味するか。○雲漿 不老不死を可能にする仙界の飲み物。『太平御覧』巻八六一の引く『漢武故事』に、漢の武帝が西王母に不死の薬を尋ねた時、西王母が挙げた薬名のなかに「五雲の漿」が見える。



如何雪月交光夜、更在瑤臺十二層。
媚薬を飲んでいないので、どうしたら、雪の光となり月光となってこの夜交わり合えるのだろうか。いつまでもいるだけであった、神山崑崙の瑤台、十二段に。
雪月交光夜 雪と月の光の交錯は李商隠に少し先立つ眺合の「雪を詠ず」詩に「月と光を交え瑞色を口王す」。それもこの世ならざる景が顕現したかにうたう。○更在 いつまでも居続ける。地上でも雪月光を交うる清澄な夜に、何もこの場所にいなくてもよいのに。○瑤台 李白「古朗月行」「清平調詞其一」につかう。崑崙山にある神仙の居所。『拾遺記』に「崑崙山……傍らに瑤台十二有り、各おの広さ千歩。皆な五色の玉もて台の基と為す」というように十二層の楼台。十二は道教の聖数に由来する。ここでは李白、謝朓の「玉階怨」のイメージを重ねているように見える。


(解説)
○詩型 七言絶句。
○押韻 鎧、氷、層。


李商隠が35歳の時に武宗が仙薬で中毒死している。李商隠が、生まれて35年の間に6人の皇帝が仙薬による中毒死、もしくは薬殺、得体のしれない病死など何らかの不審死をしているのである。
直接的な表現はできないので舞台を変え、状況を変え、宦官による宮廷の腐敗、頽廃を批判している。新しい皇帝は、慣性力排除に掛かるのであるが、短年度の間で殺されたのである。
道教の神仙思想と不死思想による金丹は唐王朝に道教の国教化をもたらせた。ここに滑り込むように宦官たちは滑り込み巧みに勢力を巨大化させたのである。
 無 題(紫府仙人號寶鐙)は、こうした仙薬について、表立った批判ができないので仙女を題材にしているのである。


晩唐と道教の概略、その影響
道教は老荘の学説と、神仙説と、天師道との三種の要素が混合して成立した宗致である。老荘の教は周知の如く、孔子孟子の儒教に対する反動思想として起ったものである。
 これは仁義・礼節によって修身冶平天下を計る儒教への反動として、虚静、人為的な工作を避け天地の常道に則った生活によって、理想社会の出現を期待する。特に神仙説は、より具体的な形、東方の海上に存在する三神山(瀛州、方壺(方丈)、蓬莱)ならびに西方極遠の地に存在する西王母の国を現在する理想国とした。ここには神仙が居住し、耕さず努めず、気を吸い、霞を食べ、仙薬を服し、金丹を煉(ね)って、身を養って不老長生である、闘争もなければ犯法者もない。このような神仙との交通によって、同じように神仙と化し延寿を計り得るのであるとする。これ以外には施すべき手段はなく、これ以外の地上の営みはすべて徒為(むだ)であるとしているのである。これらのことは、詩人の詩に多く取り上げられ、ここに言う金丹は、ヒ素、水銀などが練りこまれている、常用していくと中毒死するもので、唐の後宮では数々の皇帝が、これにより中毒死、あるいは、暗殺されている。李商隠の時代、朝廷では、牛僧儒と李徳裕の両派閥の政争とされているが、道教の政治加入による傀儡同士政争で、これに朝廷内の実質権力は、数千人に膨らんだ宦官の手にあったのである。