代贈二首 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 98


其二
東南日出照高樓、樓上離人唱石州。
冬の夜長冬枯れの寂しさのただよう高楼にやっと日の出で日差しがさして来た。北方の塞の見張り台にいるだろう出征の兵士のあのひと、待ちわびる女同士では「石州」を歌い唱和している。
總把春山掃眉黛、不知供得幾多愁。
あなたのいない今、あまたの男を相手にしてきたが眉墨でまゆを画く、自分も年を取ってきた、幾多の愁いを伴ってここまで来たのだがどこまで知ってくれているだろう。


(下し文)
東南 日出でて高楼を照らす、楼上の離人 石州を唱う。
総て春山を把って眉黛を掃う、知らず 幾多の愁いを供し得たるかを。


(現代語訳)
冬の夜長冬枯れの寂しさのただよう高楼にやっと日の出で日差しがさして来た。北方の塞の見張り台にいるだろう出征の兵士のあのひと、待ちわびる女同士で「石州」を歌い唱和している。
あなたのいない今、あまたの男を相手にしてきたが眉墨でまゆを画く、自分も年を取ってきた、幾多の愁いを伴ってここまで来たのだがどこまで知ってくれているだろう。


(普通に訳すと以下のように意味不明になる。)
東南から昇った太陽が高い楼閣を照らし出す。楼の上に一人のこされた女は、別離の悲しみをうたった「石州」 の歌を口ずさむ。
あげくに春の山のかたちにまゆずみを引いてみる。なだらかに引かれたその眉はいかほどの悲しみを生んできたことか。
(同じ場所の楼閣なら、上句、下句二度云う必要はない。)


東南日出照高樓、樓上離人唱石州。
冬の夜長冬枯れの寂しさのただよう高楼にやっと日の出で日差しがさして来た。北方の塞の見張り台にいるだろう出征の兵士のあのひと、待ちわびる女同士では「石州」を歌い唱和している。
東南日出 東南の日の出は冬の日の出を示す。冬になると北方の異民族は南下して戦が激しくなった。冬の夜長の高楼にやっと日の出が来たのだ。冬枯れの寂しさの高楼。○楼上 前句の高楼と異なるもの。北方の塞の見張り台である。○離人 なじみで好きだった男が出征兵士となっている。○石州 山西省から陝西省の北部一帯を示す。若き李商隠の赴任地。万里の長城が黄河を渡る付近も入る。この地の北側はムウス砂漠である。この地は冬以外戦争はない地点である。唐代無名氏の楽府に「石州」がある。辺境の地に出征した男を待ちわびる妻の思いをうたったもの。


總把春山掃眉黛、不知供得幾多愁。
あなたのいない今、あまたの男を相手にしてきたが眉墨でまゆを画く、自分も年を取ってきた、幾多の愁いを伴ってここまで来たのだがどこまで知ってくれているだろう。
総把 全てを束にして握る。○春山 男女の情欲の気持ちのかたまり。○掃眉 まゆをかく。 ・眉黛眉毛を剃って墨で描いたまゆ。眉には年を取ってくるという意味を含む。


○詩型 七言絶句。
○押韻 楼、州、愁。


李商隠は27,28歳のころ、王茂元に招かれてこの地方に来ている。その娘を娶っている。12年後に妻が没している。また、31歳母の死で喪に服したのちは、不遇に徹した。

 「代」とは、何を表現するのであろうか。芸妓にとって代わって文を出す場合があると思えないし、喩えればなんででも表現はできるから、芸妓ではないのであろう。
 政治的な発言も直接的に表現すれば、明日の命はないのである。李商隠は自分の置かれている立場について、あるいは、劉蕡など自己の主張を堂々としていたものが次第に発言できなくなっていく状況を芸妓を使って表現しているのである。

 李商隠にとって、わかる人にわかってもらえばよいのである。だから、難解、解読不能、意味不明な詩が出現するのである。芸妓の艶情詩に載せておくったのであろう。
 そう考えてれば、李商隠の詩はとても味わい深いものとなっていくのである。裏表の二面ではなく、その裏に奥行きがあるということだ。
(詳しくは別の機会に譲る)