有感二首 其一 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 101




有感二首 其一       
九服歸元化、三霊叶睿圖。
地上では九畿の果てまですべてのものが、世界の根元の働きに帰し、日月星、あるいは天地人が叡智に満ちた天子の目論見に叶うものである。
如何本初輩、自取屈氂誅。』
いまの御代になぜ、宦官を謀殺した漢の袁紹と同じことになった連中であったはずが、宦官の誣告で殺された劉屈氂同様の事態をみずから招いたのか。
有甚當車泣、因勞下殿趨。
むかし、漢の袁盎は文帝を諌めた、車に同乗した宦官の趙同は泣く泣く車から降りたが、それ以上にうるさく諌めたのが李訓だった。それが、天子に宮殿を下りて逃げ回り宦官に利用されご苦労をかけことになってしまったのだ。
何成奏雲物、直是減萑蒲。
なにゆえに、李訓は「瑞兆として甘露が降った」と奏上したのか。朝臣たちを萑蒲の草を刈りとるように激滅されたのはこれによるものではないか。
證逮符書密、詞連性命倶。
宦官らは証人をしらみつぶしに逮捕する周到な文書が発せられることになったし、証言に名前が出て、数珠つなぎとして、次々に朝臣の命は奪われたのだ。
竟緑尊漢相、不早瓣胡雛。』
匈奴の王も感嘆させた漢の宰相王商、それに劣らぬ見事な風貌の李訓に信を置いたはかりにこんな事態を呼び起こした。蔑称で「胡の雛」といわれたが、その一方、いずれ晋をおびやかすと予言され怖がられたが、攻める役割の鄭注のこの子供以下の無能さをを見抜く者はなかった。(鳳翔の節度使に詩、宦官殲滅軍の準備をさせたが、すべての行動は宦官に把握されていた。)
鬼籙分朝部、軍蜂照上都。
宦官は鬼籍に入った者と無関係者と選り分け帳を作り朝臣は二分され、操作のかがり火で大唐帝国の都は赤々と照らされたのだ。
政云堪慟哭、未免怨洪爐。』

この惨状を痛ましくおもっても、慟哭すら許されるものではないのだ、それでもなお、大きな溶鉱炉のような怨みのたかまりを述べずにはいられないのだ。

其の一

九服 元化に帰し、三霊 睿図に叶う。

如何ぞ 本初の輩、自ら取る 屈の誅。』

車に当たりて泣かしむるより甚だしき有るも、困りて殿を下りて趨るを労せしむ。

何ぞ成さん 雲物を奏するを、直だ是れ蒲を減す。

証逮えられ符書密なり、詞連なれば性命供にす。

竟に漢相を尊ぶに縁る、早に胡雛を弁ぜず。』

 朝部を分かち、軍烽 上都を照らす。

敢えて慟哭に堪うと云わんや、未だ洪爐を怨むを免れず。』



現代語訳と訳註 解説


(本文)
九服歸元化、三霊叶睿圖。』
如何本初輩、自取屈氂誅。
有甚當車泣、因勞下殿趨。』
何成奏雲物、直是減萑蒲。
證逮符書密、詞連性命倶。』
竟緑尊漢相、不早瓣胡雛。』
鬼籙分朝部、軍蜂照上都。
敢云堪慟哭、未免怨洪爐。』
 
(下し文)
九服 元化に帰し、三霊 睿図に叶う。』
如何ぞ 本初の輩、自ら取る 屈氂の誅。
車に当たりて泣かしむるより甚だしき有るも、困りて殿を下りて趨るを労せしむ。』
何ぞ成さん 雲物を奏するを、直だ是れ萑蒲を減す。
証逮えられ符書密なり、詞連なれば性命供にす。
竟に漢相を尊ぶに縁る、早に胡雛を弁ぜず。
鬼籙 朝部を分かち、軍烽 上都を照らす。
敢えて慟哭に堪うと云わんや、未だ洪爐を怨むを免れず。
  
(現代語訳)
地上では九畿の果てまですべてのものが、世界の根元の働きに帰し、日月星、あるいは天地人が叡智に満ちた天子の目論見に叶うものである。
いまの御代になぜ、宦官を謀殺した漢の袁紹と同じことになった連中であったはずが、宦官の誣告で殺された劉屈氂同様の事態をみずから招いたのか。
むかし、漢の袁盎は文帝を諌めた、車に同乗した宦官の趙同は泣く泣く車から降りたが、それ以上にうるさく諌めたのが李訓だった。それが、天子に宮殿を下りて逃げ回り宦官に利用されご苦労をかけことになってしまったのだ。
なにゆえに、李訓は「瑞兆として甘露が降った」と奏上したのか。朝臣たちを萑蒲の草を刈りとるように激滅されたのはこれによるものではないか。
宦官らは証人をしらみつぶしに逮捕する周到な文書が発せられることになったし、証言に名前が出て、数珠つなぎとして、次々に朝臣の命は奪われたのだ。
匈奴の王も感嘆させた漢の宰相王商、それに劣らぬ見事な風貌の李訓に信を置いたはかりにこんな事態を呼び起こした。蔑称で「胡の雛」といわれたが、その一方、いずれ晋をおびやかすと予言され怖がられたが、攻める役割の鄭注のこの子供以下の無能さをを見抜く者はなかった。(鳳翔の節度使に詩、宦官殲滅軍の準備をさせたが、すべての行動は宦官に把握されていた。)
宦官は鬼籍に入った者と無関係者と選り分け帳を作り朝臣は二分され、操作のかがり火で大唐帝国の都は赤々と照らされたのだ。



有感二首 其一(語訳と訳註)

有感二首
有感 思うところ有り。
835年、甘露の変にまつわる詩であることが示される。杜甫の「有感五首」も当時の政治状況に対する感慨を述べる作。○乙卯年 835年大和九年(文宗)李商隠24歳 科挙試験のため長安にいる。11月甘露の変が勃発。文宗および官僚が企図した宦官誅殺未遂事件。宦官が反撃朝臣を大量に殺した。本件が失敗したことにより中唐期以降、唐における宦官勢力の全権力掌握がほぼ確実となった。
丙辰年 その翌年、836年開成元年(文宗)。


九服歸元化、三霊叶睿圖。』
地上では九畿の果てまですべてのものが、世界の根元の働きに帰し、日月星、あるいは天地人が叡智に満ちた天子の目論見に叶うものである。
九服 中国の周囲すべての地。古代中国では中心に一辺千里の正方形を置いて王畿とし、それを囲む同心の正方形を五百里ずつ拡大していって、侯服・甸服(でんぶく)・男服・采服(さいふく)・衛服・蛮服・夷服(いふく)・鎮服・藩服(はんぶく)の九つをいう。九畿。「服」は天子に服属するの意。○元化 世界の根元の働き。ここでは天子の徳化を指す。〇三霊 日月星、あるいは天地人。世界の根幹となる三つの霊妙な存在。○睿図 叡智に満ちた天子のもくろみ。


如何本初輩、自取屈氂誅。
いまの御代になぜ、宦官を謀殺した漢の袁紹と同じことになった連中であったはずが、宦官の誣告で殺された劉屈氂同様の事態をみずから招いたのか。
本初 後漢の末期、全権力を握った袁紹のこと。袁紹は大将軍何進とともに宦官誅穀を謀り、何進は宦官によって殺されたが、袁紹は宦官を一人のこらず殺した。ここでは礼部侍郎李訓及び太僕卿鄭注をなぞらえる。○屈氂 劉屈氂。前漢の武帝の甥。武帝を呪詛していると宦官に誣告され、腰斬の刑に処せられた(『漢書』劉屈氂伝)。李訓、鄭注が宦官を打倒しようとして逆に宦官の手によって誅滅されたことをなぞらえる。
 
有甚當車泣、因勞下殿趨。』
むかし、漢の袁盎は文帝を諌めた、車に同乗した宦官の趙同は泣く泣く車から降りたが、それ以上にうるさく諌めたのが李訓だった。それが、天子に宮殿を下りて逃げ回り宦官に利用されご苦労をかけことになってしまったのだ。
当車泣 前漢、袁盎の故事を用いる。袁盎は漢の文帝に仕え直諫が多くした。妾夫人と王妃との関係を諌め、宦官の趙同に天子の車に乗せてはならぬと諌め、趙同は泣く泣く車から降りた(『史記』袁盎伝)。ここでは李訓はそれよりうるさく文宗を諌めた。○下殿趨  梁の武帝蕭衍にまつわる故事を用いる。534年中大通六年、熒惑(火星)が南斗星に重なった。この不吉な徴侯を見て武帝は「熒惑 南斗に入れば、天子 殿を下りて走る」という諺を引き、はだしのまま宮殿から下りて不祥を祓った(『資治通鑑』)。ここでは李訓、鄭注らが攻め入った際に宦官仇士良が文宗を宮殿から連れ出したことを指す。


何成奏雲物、直是減萑蒲。
なにゆえに、李訓は「瑞兆として甘露が降った」と奏上したのか。朝臣たちを萑蒲の草を刈りとるように激滅されたのはこれによるものではないか。
雲物 雲の様子。『周礼』春官・保章氏に「五雲の物を以て、吉凶を弁ず」、その鄭玄の注に「物は色なり」。それを観察することによって吉凶を判断する。『左氏伝』倍公五年に「凡そ分(春分と秋分)、至(夏至と冬至)、啓(立春と立夏)、閉(立秋と立冬)には、必ず雲物を書す」。ここでは甘露が降ってきたという瑞兆を指す。瑞兆の真偽の確認には宦官全員が確認することが慣例であったことから軽はずみな策略した。○萑蒲 盗賊のすみか。萑は草の多いさまをいう。ここでは草を朝臣としている。


證逮符書密、詞連性命倶。』
宦官らは証人をしらみつぶしに逮捕する周到な文書が発せられることになったし、証言に名前が出て、数珠つなぎとして、次々に朝臣の命は奪われたのだ。
証逮一句 証は証人。符書は官庁の文書。証人まで逮捕すべく周到な文書が発せられたこと。○詞連一句 証人の言葉からつながりがわかると、命まで奪われる。

竟緑尊漢相、不早瓣胡雛。』
匈奴の王も感嘆させた漢の宰相王商、それに劣らぬ見事な風貌の李訓に信を置いたはかりにこんな事態を呼び起こした。蔑称で「胡の雛」といわれたが、その一方、いずれ晋をおびやかすと予言され怖がられたが、攻める役割の鄭注のこの子供以下の無能さをを見抜く者はなかった。(鳳翔の節度使に詩、宦官殲滅軍の準備をさせたが、すべての行動は宦官に把握されていた。)
漢相 漢の宰相王商。王商は立派な風貌をしていたので来朝した匈奴の単于が畏敬し、成帝は「此れ真に漢相なり」と称えた(『漢書』王商伝)。ここでは李訓を比す。李訓も風采にすぐれ、弁舌巧みであったことから文宗は将来を託したという(『旧唐書』李訓伝)。○弁胡雛 五胡十六国の時代、後趙の帝位に就いた羯の石勒の故事。少年の頃、物売りをしているとその声を聞いた王衍は、「さきの胡雛、吾れその声視の奇志有るを観る。恐らくは将に天下の息をなさん」と言って収監しようとしたがすでに去ったあとだった(『晋書』載記四)。「胡雛」はえびすの幼子。胡人の子供に対する蔑称。ここでは攻める役割のものが蔑称の胡の子供並みであると鄭注のことを示す。


鬼籙分朝部、軍蜂照上都。
宦官は鬼籍に入った者と無関係者と選り分け帳を作り朝臣は二分され、操作のかがり火で大唐帝国の都は赤々と照らされたのだ。
鬼籙 善鬼の選り分け帳、過去帳。○朝部 朝班(朝臣の隊列)をいうか。○軍煙 いくさののろし。○上部 みやこ。長安を指す。


敢云堪慟哭、未免怨洪爐。』
この惨状を痛ましくおもっても、慟哭すら許されるものではないのだ、それでもなお、大きな溶鉱炉のような怨みのたかまりを述べずにはいられないのだ。
敢云堪慟哭 働笑することによって関係者とされるから、泣くことさえ許されない。悲惨ことである、の意。○洪燵 大きな溶鉱炉。怨みのたかまり。「異俗二首」其の二でも使う。
 


○詩型 五言排律。上平十虞
○押韻 化、圖。/誅、趨。/蒲、倶。/相、雛。/部、都、爐。


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甘露の変 概略
宦官の王守澄に権力を握られており、その専横を憎んでいた。その文宗の意を受ける礼部侍郎李訓及び太僕卿鄭注は仇士良という宦官を王守澄と対立させ、両者を抗争させ共倒れさせるという謀議を献策した。この下準備として鄭注は軍を動員できる節度使(鳳翔節度使)となった。
 
この策は当初順調に推移し、王守澄は実権を奪われ冤罪により誅殺された。この後、返す刀で王守澄の葬儀に参列した仇士良及び主立った宦官勢力を、鄭注が鳳翔より兵を率いて粛清する予定であったのだが、功績の独占を目論んだ李訓は、鄭注が出兵する王守澄の葬儀前に宦官を一堂に会させる機会を作るため、「瑞兆として甘露が降った」ことを理由に宦官を集めようとした。これは瑞兆の真偽の確認には宦官全員が確認することが慣例であったからである。
 
太和9年11月壬戌の日、左金吾衛大将軍の韓約が朝会にて、「左金吾役所(左金吾衛)裏庭の石に昨夜、甘露が降った」と上奏、慣例に従い殆どの宦官が確認に赴いた。
 
この時、左金吾衛の裏庭には幕が張られ、その陰に郭行余、羅立言らが兵を伏せていた。しかし、幕間から兵が見えてしまい、事態に気づいた仇士良らは文宗を擁して逃亡、宦官に取り囲まれた文宗は李訓、鄭注らを逆賊とする他なく、李訓らは殺された。
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