有感二首 其二 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 102


有感二首 其 二
丹陛猶敷奏、彤庭歘戦争。
朱塗りのきざはしのもと、「甘露降る」との上奏が続いていたその時、突如、宮中の紅のお庭は戦場になり血で染まった。
臨危封盧植、始悔用龐萌。
存亡の危機に臨んだ天子は、宦官にも横暴な董卓にも抗した盧植のような忠臣を役づけた、ここにいたってはじめて光武帝の信頼を裏切った龐萌のごとき逆賊を用いたことを悔いたのだ。
御仗収前殿、兇徒劇背城。
禁軍は正殿を奪還したものの、追いつめられた叛逆徒は激戦を続けた。
蒼黄五色棒、掩遏一陽生。』
右往左往、あわてふためいて五色の警棒が振り回される。混乱は冬至に至って陽気が生じる天子の運行をも押しとどめた。
古有清君側、今非乏老成。
いにしえより、天子の家臣でありながらよこしまな家臣を一掃した例はあるものだ、今なお忠実な老臣が乏しいということではない。
素心雖未易、此擧太無名。
もともとの忠誠心に変わりがないとはいえ、このたびの振る舞いはなんの大義名分もない。
誰瞑銜冤目、寧呑欲絶聲。
罪なくして殺された人たちは、おとなしく目を閉じ、口をつぐんでいられようか。むしろ、彼らが消え入りそうな声を黙って飲み込んでしまうことなどあるものか。
近聽開壽讌、不廢用咸英。』

ところがなんと近ごろ聞いた話では、天子の生誕を祝う宴が宮廷で開かれ、「咸池」、「六英」など、恒例の歌舞音曲を控えることすらしなかったのだと。


有感二首 其 二 現代語訳と訳注


(本文)
丹陛猶敷奏、彤庭歘戦争。
臨危封盧植、始悔用龐萌。
御仗収前殿、兇徒劇背城。
蒼黄五色棒、掩遏一陽生。」
古有清君側、今非乏老成。
素心雖未易、此擧太無名。
誰瞑銜冤目、寧呑欲絶聲。
近聽開壽讌、不廢用咸英。」
  
(下し文)其の二
丹陛 猶お敷奏するに、彤庭(とうてい)歘(たちま)ち戦い争う。
危きに臨みて盧植(ろしょく)に対し、始めて悔ゆ 龐萌(ほうぼう)を用いしを。
御仗(ぎょじょう) 前殿を収め、兇徒 背城に劇す。
蒼黄たり 五色の棒、掩遏(えんあつ)す一陽生ずるを。』
古えより君側を清むる有り、今も老成乏しきに非ず。
素心 末だ易らずと雖も、此の挙 太(はなは)だ名無し。
誰か冤を銜(ふく)む目を瞑せん、寧(なん)ぞ絶えんと欲する声を呑まん。
近ごろ聞く 寿讌を開きて、咸英を用いるを廃せずと。』

  
(現代語訳)
朱塗りのきざはしのもと、「甘露降る」との上奏が続いていたその時、突如、宮中の紅のお庭は戦場になり血で染まった。
存亡の危機に臨んだ天子は、宦官にも横暴な董卓にも抗した盧植のような忠臣を役づけた、ここにいたってはじめて光武帝の信頼を裏切った龐萌のごとき逆賊を用いたことを悔いたのだ。
禁軍は正殿を奪還したものの、追いつめられた叛逆徒は激戦を続けた。
右往左往、あわてふためいて五色の警棒が振り回される。混乱は冬至に至って陽気が生じる天子の運行をも押しとどめた。
いにしえより、天子の家臣でありながらよこしまな家臣を一掃した例はあるものだ、今なお忠実な老臣が乏しいということではない。
もともとの忠誠心に変わりがないとはいえ、このたびの振る舞いはなんの大義名分もない。
罪なくして殺された人たちは、おとなしく目を閉じ、口をつぐんでいられようか。むしろ、彼らが消え入りそうな声を黙って飲み込んでしまうことなどあるものか。

 
(語訳と訳註)
丹陛猶敷奏、彤庭歘戦争。

朱塗りのきざはしのもと、「甘露降る」との上奏が続いていたその時、突如、宮中の紅のお庭は戦場になり血で染まった。
丹陛 天子の宮殿の正殿の正面階段。赤く塗られているので「丹陛」という。○敷奏 朝臣が天子に奏上すること。太和9年11月壬戌の日、左金吾衛大将軍の韓約が朝会にて、「左金吾役所(左金吾衛)裏庭の石に昨夜、甘露が降った」と上奏。○彤庭 宮中の地面は赤く塗られていたが血の色に染まった。


臨危封盧植、始悔用龐萌。
存亡の危機に臨んだ天子は、宦官にも横暴な董卓にも抗した盧植のような忠臣を役づけた、ここにいたってはじめて光武帝の信頼を裏切った龐萌のごとき逆賊を用いたことを悔いたのだ。
盧植 後漢末の忠臣。何進が昏官誅殺を謀って殺されると臣官は少帝を宮中から連れ出したが、盧植は追いかけて宦官を殺し、少帝を奪回した。また董卓が少帝を廃して陳留王(献帝)を立てようとした際、朝臣がみな黙していた時に盧植のみが断固として反対を唱えた(『後漢書』盧植伝)。ここでは令狐楚に比す。この句には「是の晩 独り故の相影陽公を召して入らしむ」の自注がある。「影陽公」は影陽郡開国公に封ぜられていた令狐楚。『旧唐書』令狐楚伝に「(李)訓の乱の夜、文宗は右僕射鄭覃と(令狐)楚を召して禁中に宿せしめ、制勅を商量す。上は皆な用て宰相と為さんと欲す」。○龐萌 後漢初期の人。龐萌は、謙遜温順な人柄により光武帝から信任と寵愛を受け、「可以託六尺之孤、可以寄百里之命、臨大節而不可奪也、君子人與、君子人也」(若い孤児を託せ(=後見を任せ)、百里四方の国の命(=政令つまり政事)を任せられるは、龐萌この人なり)とまで言わしめている。その後、龐萌は平狄将軍に任命された。任務失敗により、楚郡太守孫萌を殺害し、蓋延を撃破して、劉紆陣営に寝返ってしまう。寵臣から叛逆者へ変身した人物。ここでは鄭注、李訓を比喩している。


御仗収前殿、兇徒劇背城。
禁軍は正殿を奪還したものの、追いつめられた叛逆徒は激戦を続けた。
御杖 皇帝の儀仗兵。宦官と禁中の軍を指す。○前殿 正殿。ここでは含元殿。○背城 城を背にして死にものぐるいの戦いをする。


蒼黄五色棒、掩遏一陽生。』
右往左往、あわてふためいて五色の警棒が振り回される。混乱は冬至に至って陽気が生じる天子の運行をも押しとどめた。
蒼黄 あわてふためくさま。ここでは五色の棒にかけて、蒼、黄という色を用いた。〇五色棒 曹操は、洛陽の県尉であった若い時、五色の棒を用意して法を犯す者を厳しく取り締まり、有力な宦官蹇碩の叔父まで夜行の禁を犯したとして撲殺した。○掩遏 押さえつけて止める。〇一陽生 冬至に至って陽気が生じる。甘露の変の起こったのは陰暦十一月二十一日、冬至に近いので事件を連想させる。


古有清君側、今非乏老成。
いにしえより、天子の家臣でありながらよこしまな家臣を一掃した例はあるものだ、今なお忠実な老臣が乏しいということではない。
○清君側 君主のそばの奸臣、姦臣を除去する。○老成 経験が多く物事によく馴れている。ここでは令狐楚を指す。「老賊」にたいする「老成」。


素心雖未易、此擧太無名。
もともとの忠誠心に変わりがないとはいえ、このたびの振る舞いはなんの大義名分もない。
素心 もともとの思い。○無名 大義名分が立たない。


誰瞑銜冤目、寧呑欲絶聲。
罪なくして殺された人たちは、おとなしく目を閉じ、口をつぐんでいられようか。むしろ、彼らが消え入りそうな声を黙って飲み込んでしまうことなどあるものか。
誰瞑銜 瞑目は目を閉じるだけで何もしようとしない。銜は口を開かないこと。○冤目 冤は無実の罪。銜冤は罪もなく殺害された王渡ら朝臣を指す。○寧呑欲絶聲 「声を呑む」とは声に出せないほどの悲しみ。


近聽開壽讌、不廢用咸英。』
ところがなんと近ごろ聞いた話では、天子の生誕を祝う宴が宮廷で開かれ、「咸池」、「六英」など、恒例の歌舞音曲を控えることすらしなかったのだと。
寿讌 天子の生誕を祝う宴会。○咸英 古代の雅楽。黄帝の「咸池」と帝嚳の「六英」。 『荘子』(天運篇)に、「帝張咸池楽洞庭野」(黄帝、咸池の楽[黄帝の作った天上の音楽]を洞庭の野に張る)とある。咸池 音楽の名前。 咸は「みな」、池は「施す」を意味し、この音楽は黄帝の徳が備わっていたことを明らかにするもの。帝嚳の「六英」古代中国の伝説上の五聖君を尊称として「帝嚳」とし、六英等歌曲としてうたった。

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○詩型 五言排律。
○押韻 奏、争。萌。城。生。/成。名。聲。英。


(参考)
令狐楚(れい こそ、766年 - 837年)は、中国・唐の詩人。原籍は敦煌(甘粛省)の人。しかし、一族は早くに宜州華原(陝西省耀県)に移り住んでいたので、華原の人とも言う。字は殻士(かくし)。貞元7年(791年)の進士。太原(山西省)節度使の幕僚となって文才を徳宗に認められ、憲宗朝では中書舎人から同中書門下平章事(宰相)に至った。穆宗朝では朝廷内の派閥争いのため地方に転出、各地の節度使を歴任し、敬宗朝では一時復活したが、山南西道節度使に任ぜられて、任地の興元(陝西省南鄭)で没した。