重有感 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 103


重有感
玉帳牙旗得上游、安危須共主分憂。
天子の陣幕を張りめぐらし節度使の将軍軍旗を立て、形勢有利な地を占める情勢である、この国の安危存亡の時、天子と一つにならねばならない憂慮せねはならぬことを分かつ段階ではないのだ。
竇融表巳東関右、陶侃軍宜次石頭。
謀叛軍征討を進言した竇融の進言というべき上書はすでに関右の地、この長安の都に届いていた。反乱平定に向かう陶侃の軍は石頭城に集結しように都のほど近くに集結すべきだ。
豈有蚊龍愁失水、更無鷹隼興高秋。
みずちの聖なる蚊龍が水から引き離されるように天子が宮殿を脱出するなどということなどあってはならないが、秋の空を悠然と飛んでいる猛禽の連中がまだ朝廷内にのこっている。
晝號夜哭兼幽顯、早晩星關雪涕収。

真昼の号泣、夜中の慟哭、死んだ者、殺された者も生きていても、ともに悲痛な状況なのだ。いつの日か、星に守られた皇宮を、涙をぬぐった我が手に収めたいと思うのだ。
  


重ねて感有り

玉帳 牙旗 上溝を得たり、安危 須く主と共に憂いを分かつべし。

竇融(とうゆう)の表は己に関右に来たり、陶侃(とうかん)の軍は宜く石頭に次(やど)るべし

豈に蚊龍の水を失うを愁うる有らんや、更に鷹隼(ようじゅん)の高秋を与にする無からんや

昼号夜哭 幽顕(ゆうけん)を兼ぬ、早晩か 星関 涕を雪(すす)ぎて収めん




重有感 現代語訳と訳注、解説

(本文)
重有感

玉帳牙旗得上游、安危須共主分憂。
竇融表巳東関右、陶侃軍宜次石頭。
豈有蚊龍愁失水、更無鷹隼興高秋。
晝號夜哭兼幽顯、早晩星關雪涕収。
  
(下し文)
重ねて感有り

玉帳 牙旗 上溝を得たり、安危 須く主と共に憂いを分かつべし。
竇融(とうゆう)の表は己に関右に来たり、陶侃(とうかん)の軍は宜く石頭に次(やど)るべし
豈に蚊龍の水を失うを愁うる有らんや、更に鷹隼(ようじゅん)の高秋を与にする無からんや
昼号夜哭 幽顕(ゆうけん)を兼ぬ、早晩か 星関 涕を雪(すす)ぎて収めん
  
(現代語訳)
天子の陣幕を張りめぐらし節度使の将軍軍旗を立て、形勢有利な地を占める情勢である、この国の安危存亡の時、天子と一つにならねばならない憂慮せねはならぬことを分かつ段階ではないのだ。
謀叛軍征討を進言した竇融の進言というべき上書はすでに関右の地、この長安の都に届いていた。反乱平定に向かう陶侃の軍は石頭城に集結しように都のほど近くに集結すべきだ。
みずちの聖なる蚊龍が水から引き離されるように天子が宮殿を脱出するなどということなどあってはならないが、秋の空を悠然と飛んでいる猛禽の連中がまだ朝廷内にのこっている。
真昼の号泣、夜中の慟哭、死んだ者、殺された者も生きていても、ともに悲痛な状況なのだ。いつの日か、星に守られた皇宮を、涙をぬぐった我が手に収めたいと思うのだ。
  

  

(語訳と訳註)

重有感
玉帳牙旗得上游、安危須共主分憂。

天子の陣幕を張りめぐらし節度使の将軍軍旗を立て、形勢有利な地を占める情勢である、この国の安危存亡の時、天子と一つにならねばならない憂慮せねはならぬことを分かつ段階ではないのだ。
玉帳 軍営のなかで将軍の慢幕。節度使の陣営を指す。○牙旗 将軍の軍旗。族竿の頭部に元々は象牙で作った飾りをつけたのでかくいう。○上游 川の上流が原義。そこから形勢の有利な地をいう。
 
竇融表巳東関右、陶侃軍宜次石頭。
謀叛軍征討を進言した竇融の進言というべき上書はすでに関右の地、この長安の都に届いていた。反乱平定に向かう陶侃の軍は石頭城に集結しように都のほど近くに集結すべきだ。
竇融 (とう ゆう、紀元前15年 - 62年)中国の新代から後漢時代初期にかけての武将、政治家。後漢建国に功を挙げた武将。帝を潜称した隗囂をただちに攻めるべく光武帝に進言し、全幅の信頼を寄せていた。(『後漢書』)。ここでは宦官に不満を抱いた昭義節度使の劉従諫が、宰相の王涯らは何の罪があって殺されたのかと問う上書を再三文宗に呈したことをいう。又、836年宦官の仇士良を弾劾する。○関右 函谷関より西の地。ここでは都を指す。○陶侃 東晋の安定に尽力した武将259年 - 334年。蘇峻の乱に際して温嶠、庾亮らとともに軍勢を石頭城(南京市郊外)に結集し、都を奪還した。ここでは843年8月の劉稹は朝命を拒む。
父は呉の武将陶丹。母は湛氏。子は16人いたとされるが、記録に残っているのは陶洪、陶瞻、陶夏、陶琦、陶旗、陶斌、陶称、陶範、陶岱の9人だけである。甥に陶臻、陶輿。詩人の陶淵明は曾孫とされるが、陶淵明の祖父とされる陶茂は晋書の陶侃伝には記録されてない。


豈有蚊龍愁失水、更無鷹隼興高秋。
みずちの聖なる蚊龍が水から引き離されるように天子が宮殿を脱出するなどということなどあってはならないが、秋の空を悠然と飛んでいる猛禽の連中がまだ朝廷内にのこっている。
○豈有蚊龍愁失水 蚊龍は皇帝を、失水は皇帝が力を失うことを、喩える。○更無鷹隼興高秋 鷹隼は残虐な猛禽、朝廷に逆らう軍閥、劉稹を喩える。劉稹は844年8月昭義軍に殺された。「更無」は反語に読む。


晝號夜哭兼幽顯、早晩星關雪涕収。
真昼の号泣、夜中の慟哭、死んだ者、殺された者も生きていても、ともに悲痛な状況なのだ。いつの日か、星に守られた皇宮を、涙をぬぐった我が手に収めたいと思うのだ。
○兼幽顕 「幽」は死んだ人、「顕」は生きている人。○早晩 いつの日か。時間の疑問詞。○星関 星の関門の意、皇帝の居所を指す。ここでは劉稹などの軍閥を詠っているのだが、実際には宦官が強大な軍隊を牛耳っていたのだ。正規軍に守られた天子の状態を星に喩えた。


(解説)

○詩型 七言律詩。
○押韻 湛・憂・秋・収・頭


835年の甘露の変について、同時代にこれを取り上げた詩文はほとんどない。それは、歴史の中心に宦官がいたことの証明である。歴史書は支配者の歴史である。自己の美化のためには事実を捻じ曲げるものである。李商隠のこれらの詩も、果たしてこの時代に公にされていたかどうか、おそらく唐が滅亡して以降、付加されたものである。
 李商隠の「有感二首」は835年のことを取り上げており、「重有感」は843・844年の事件を取り上げている。後に書かれたものであっても、明確に示しているわけではなく、後世の訳註によるものである。唐末期の宦官の支配力は計り知れないほどのものであったのだ。