正月崇譲宅 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 110


正月崇譲宅
密鎖重關掩緑苔、廊深閣迥此徘徊。
失脚中の家は固く閉ざされた幾重もの門があり、手入れもなされずその内側一面縁の苔におおわれている。奥深く続く回廊、遥かにそびえる楼閣から見られているかもしれない、しかし、ここに立ち入るためには人目を避けて行ったり、戻ったりするのである。
先知風起月含暈、尚自露寒花未開。
風が立ち初めたと思えば、やはり月はかさをかぶっている。自分たちが正しいということは理解しあっている、しかしまだ露は冷たくて花を開かせるにはいたっていないのだ。
蝙拂簾旌終展轉、鼠翻窗網小驚猜。
こうもりが絹の御簾に当たる音のように小石を投げられたりするので、いつまでも寝れなくて寝返りを繰り返す、ねずみが網戸に飛び跳ねる音にさえ身を震わすありさまなのだ。
背燈獨共餘香語、不覺猶歌起夜來。
灯火を暗くして一人、あの人の残り香に語りかけてみたり。気がつけば今も口をついて出てくる「起夜来」(李派の人が夜やってくるので起きておく)の調べ。


正月 崇譲(そうじょう)の宅

密かに重関(じゅうかん)を鎖(とざ)し縁苔(りょくたい)掩う、廊深く 閣 迥かにして此こに徘徊す。

先に 風の起こるを 知りて 月 暈(かさ)を含み、尚自(しょうじ) 露寒くして 花 末だ開かず。

蝙は簾旌を払いて終に展転し、鼠は窓網に翻りて小しく驚猜す。

燈を背(そむ)けて独り余香と語り、覚えず猶お歌う 起夜来。




正月崇譲宅
(本文)

密鎖重關掩緑苔、廊深閣迥此徘徊。
先知風起月含暈、尚自露寒花未開。
蝙拂簾旌終展轉、鼠翻窗網小驚猜。
背燈獨共餘香語、不覺猶歌起夜來。

(下し文)
正月 崇譲(そうじょう)の宅
密かに重関(じゅうかん)を鎖(とざ)し縁苔(りょくたい)掩う、廊深く 閣 迥かにして此こに徘徊す。
先に 風の起こるを 知りて 月 暈(かさ)を含み、尚自(しょうじ) 露寒くして 花 末だ開かず。
蝙は簾旌を払いて終に展転し、鼠は窓網に翻りて小しく驚猜す。
燈を背(そむ)けて独り余香と語り、覚えず猶お歌う 起夜来。

(現代語訳)
失脚中の家は固く閉ざされた幾重もの門があり、手入れもなされずその内側一面縁の苔におおわれている。奥深く続く回廊、遥かにそびえる楼閣から見られているかもしれない、しかし、ここに立ち入るためには人目を避けて行ったり、戻ったりするのである。
風が立ち初めたと思えば、やはり月はかさをかぶっている。自分たちが正しいということは理解しあっている、しかしまだ露は冷たくて花を開かせるにはいたっていないのだ。

こうもりが絹の御簾に当たる音のように小石を投げられたりするので、いつまでも寝れなくて寝返りを繰り返す、ねずみが網戸に飛び跳ねる音にさえ身を震わすありさまなのだ。
灯火を暗くして一人、あの人の残り香に語りかけてみたり。気がつけば今も口をついて出てくる「起夜来」(李派の人が夜やってくるので起きておく)の調べ。



(訳註)

正月崇譲宅
○崇譲宅 「崇譲」は洛陽の坊の名。そこに李商隠の岳父、河陽節度使王茂元の居宅があった。「七月二十九日崇譲宅の宴の作」と題する七律もある。通説で、これが妻を追悼する詩という解釈は何遍読み返しても、わたしは追悼に読めない。こんな追悼があり得るのか。
 
密鎖重關掩緑苔、廊深閣迥此徘徊。
失脚中の家は固く閉ざされた幾重もの門があり、手入れもなされずその内側一面縁の苔におおわれている。奥深く続く回廊、遥かにそびえる楼閣から見られているかもしれない、しかし、ここに立ち入るためには人目を避けて行ったり、戻ったりするのである。
重関 何重もの門。○緑苔 苔が生えていることは、訪れる人もないことのしるし。○徘徊 人目を避けている様子で、一つ所を行きつ戻りつする。牛李の闘争は続いており、李派の重鎮であった妻の実家王氏には人目を忍んではいる必要があったのであろう。


先知風起月含暈、尚自露寒花未開。
風が立ち初めたと思えば、やはり月はかさをかぶっている。自分たちが正しいということは理解しあっている、しかしまだ露は冷たくて花を開かせるにはいたっていないのだ。
先知 李派は徹底的に追い詰められていたこと。 風起月含暈 月にかさが掛かると風が吹く、いろんな出来事があり、李派が盛り返そうとするがやはりだめなのである。月にと暈がかかるように取り込まれてしまってどうしようもない。月に暈がかかると風雨が起こることを比喩している。○尚自 自分を尊ぶ。○露寒 情勢が不利であることを比喩する。 ○花未開 クーデターは起こせないことを比喩している


蝙拂簾旌終展轉、鼠翻窗網小驚猜。
こうもりが絹の御簾に当たる音のように小石を投げられたりするので、いつまでも寝れなくて寝返りを繰り返す、ねずみが網戸に飛び跳ねる音にさえ身を震わすありさまなのだ。
簾旌 絹で縁取りしたすだれ。○展転 眠れぬままに寝返りを打つ。無題(何處哀筝随急管) 李商隠21○窓網 網戸。○驚猜 びっくりして何の音かと怪しむ。この句は、李書院が牛僧孺派からは忘恩の徒として激しい謗りを受けていて、そのいじめに対してびくついていることをあらわす。


背燈獨共餘香語、不覺猶歌起夜來。
灯火を暗くして一人、あの人の残り香に語りかけてみたり。気がつけば今も口をついて出てくる「起夜来」(李派の人が夜やってくるので起きておく)の調べ。
背燈 灯火を後ろ向きにして部屋を暗くする。中晩唐の頃から詩にあらわれ、これも詞にしきりに用いられる語。○余香 のこっている香り。李商隠の西亭 李商隠30 西亭に関する新解釈 ○起夜来 「起夜来」と題する楽府のこと。前の句が餘香語(余香と語り)であるから、起夜来(夜來るに起く)


解説

○詩型 七言律詩。
・押韻 禍・苔・開・清・来。



唐宮廷の官僚は、牛僧孺・李宗閔らを領袖とする科挙及第者の派閥と、李徳裕に率いられる門閥貴族出身者の派閥に分かれ、政争に明け暮れていた。いわゆる牛李の党争である。若き李商隠は、牛僧孺派の重鎮であった興元尹・山南西道節度使 令狐楚の庇護を受け、

837年、26歳 進士科に及第する。しかしながら同年に令狐楚が没し、翌年には上級試験にも落第すると、今度は李徳裕の派に属する太原公王茂元の招きに応じてその庇護下に入り、娘を娶った

839年、28歳王茂元の働きかけにより文人官僚のスタートとして最も理想的といわれる秘書省校書郎に任官されるも、牛僧孺派からは忘恩の徒として激しい謗りを受けることになった。以後も李商隠は、処世のために牛李両党間を渡り歩いたので変節奸と見なされ、厳しい批判を受けて官僚としては一生不遇で終わることとなる


839年 任官同年、早くも中央にいたたまれず、弘農県(河南省霊宝県南)の尉となって地方に出る。以後の経歴は、忠武軍節度使となった王茂元の掌書記、秘書省正字、桂管防禦観察使府掌書記、観察判官検校水部員外郎、京兆尹留後参軍事奏署掾曹、武寧軍節度使府判官(もしくは掌書記)、太学博士、東川節度使書記、検校工部郎中、塩鉄推官など、ほとんどが地方官の連続であり、中央にあるときも実職はなかった。端的に言えば干されたのである。また、さらにそれすらまっとうできずにたびたび辞職したり、免職の憂き目に遭っている。

842年 31歳 母を亡くす。

848年、37歳 

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851年 40歳 妻王氏も喪っている。
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858年 47歳 またも失職して郷里へ帰る途中、または帰り着いてまもなく病没した。享年47。


この詩は、
亡き妻をしのぶ悼亡の作に見せかけ自分の近況を歌にしている。李商隠の妻に対するものはほとんどが、牛李の闘争を示すものである。それを前提にすれば、難解な詩ではなくなる。
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