鸞鳳 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 111
李商隠の詩111番目の詩であるがたまたまの偶然で2011-11-11の111ということであった。
詩題としても鸞鳳ということでめでたい。

鸞鳳
舊鏡鸞何處、衰桐鳳不棲。
古い曇った鏡がある、そこに姿を映して鳴き続けていた鸞はどこへ行ったのだろうか。枯れ衰えた桐には、もう鳳凰が棲みつくことなどありはしないのだ。
金銭饒孔雀、錦段落山雞。
金貨のような輝きがある、孔雀の輝きに比べては劣る。錦の緞通のようなあでやかさはある、山鶏のあでやかさには劣るのである。
王子調清管、天人降紫泥。
かつて、仙人王子喬が鳳凰を呼び込む清らかな笙を奏でたようなできごともあった。天子が紫泥の鸞詔を下して、奸臣排除することを誓ったこともあったのだ。
豈無雲路分、相望不應迷。

きっと天下の正道へと進む定めがあるはずなのだ。だから、誰もが、正論を言ったために左遷され、失脚した賢人たちの魂を迷わせたりしてはいけないということ待ち望んでいるのだ。


鸞鳳

舊鏡 鸞は何処、衰桐 鳳は棲まず。

金銭 孔雀に饅り、錦段 山鶏に落つ。

王子 清管を調し、天人 紫泥を降す。

豈 雲路の分無からんや、相 望みて応に迷うべから




鸞鳳 現代語訳と訳註 解説
(本文)

舊鏡鸞何處、衰桐鳳不棲。
金銭饒孔雀、錦段落山雞。
王子調清管、天人降紫泥。
豈無雲路分、相望不應迷。
  
(下し文)
舊鏡 鸞は何処、衰桐 鳳は棲まず。
金銭 孔雀に饅り、錦段 山鶏に落つ。
王子 清管を調し、天人 紫泥を降す。
豈 雲路の分無からんや、相 望みて応に迷うべからず。
  
(現代語訳)
古い曇った鏡がある、そこに姿を映して鳴き続けていた鸞はどこへ行ったのだろうか。枯れ衰えた桐には、もう鳳凰が棲みつくことなどありはしないのだ。
金貨のような輝きがある、孔雀の輝きに比べては劣る。錦の緞通のようなあでやかさはある、山鶏のあでやかさには劣るのである。
かつて、仙人王子喬が鳳凰を呼び込む清らかな笙を奏でたようなできごともあった。天子が紫泥の鸞詔を下して、奸臣排除することを誓ったこともあったのだ。
きっと天下の正道へと進む定めがあるはずなのだ。だから、誰もが、正論を言ったために左遷され、失脚した賢人たちの魂を迷わせたりしてはいけないということ待ち望んでいるのだ。

(語訳と訳註)

鸞鳳
鷲鳳 すぐれた資質をもつ人をたとえる。賈誼「屈原を弔う文」(『文選』巻六〇)に屈原と彼に敵対する人々を「鸞鳳は伏竄し、鴟梟は翺翔す」、鸞鳳と鴟梟(ふくろうの悪鳥)になぞらえるが、ここでは鸞鳳を唐王朝の中で今の朝廷中枢にいる人物を鴟梟とし、鸞鳳のような人物もいたではないかと「孔雀」、「山鶏」と対比する。賈誼について賈生 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64でうたっている。


舊鏡鸞何處、衰桐鳳不棲。
古い曇った鏡がある、そこに姿を映して鳴き続けていた鸞はどこへ行ったのだろうか。枯れ衰えた桐には、もう鳳凰が棲みつくことなどありはしないのだ。
舊鏡鸞何處 ・鸞という鳥は鐘に映った自分の姿を見て絶命するまで鳴き続ける。陳後宮 李商隠:kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 53衰桐鳳不棲 鳳凰は梧桐の木に棲むとされる。『詩経』大雅・巻阿に「鳳凰鳴けり、彼の高岡に。梧桐生ぜり、彼の朝陽に」。その鄭玄の箋に「鳳凰の性は、梧桐に非ざれは棲まず。竹の実に非ざれは食わず」。
・梧 こどう 立秋の日に初めて葉を落とす。大きな葉を一閒一枚落としてゆく青桐は凋落を象徴するもの。特に井戸の辺の梧桐は砧聲と共に秋の詩には欠かせない。李煜「采桑子其二」李煜「烏夜啼」温庭筠「更漏子」李白「贈舎人弟台卿江南之」李賀「十二月楽詞」などおおくある。玄宗と楊貴妃を喩える場合もある。
 
金銭饒孔雀、錦段落山雞。
金貨のような輝きがある、孔雀の輝きに比べては劣る。錦の緞通のようなあでやかさはある、山鶏のあでやかさには劣るのである。
金銭饒孔雀 孔雀には銭のようなかたちをした五色の模様があるが、鳳凰にはそれがない。・:ゆずる、~に比べて劣る。○錦段落山雞 華麗さという点では錦の織物のような山鶏には及ばない。・: 緞通、織物。・山鶏:鳳凰に似た鳥で、はでな模様をもつ。
 

王子調清管、天人降紫泥。
かつて、仙人王子喬が鳳凰を呼び込む清らかな笙を奏でたようなできごともあった。天子が紫泥の鸞詔を下して、奸臣排除することを誓ったこともあったのだ。
王子 仙人の王子喬。鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。
 伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。伊川(いせん)、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公(ふきゅうこう)に誘われ中岳嵩山(すうざん)に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。
 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。(『列仙伝』)○清管 笠を吹いて鳳凰の鳴き声をまねると鳳凰が降りてきた。「甘露が降った」とお告げを受けたことを比喩する。○天人降紫泥 天子の文書を鸞詔、鸞詰などということから、鸞にかけて、賢人を求める詔書も下されるであろうという。「天人」 はここでは天子を指す。○紫泥 紫の印泥、高貴の人の文書に用いた。
甘露の変において一度は紫の印泥を賜ったのに、奸臣を排除すらできなかったことを言う。


豈無雲路分、相望不應迷。
きっと天下の正道へと進む定めがあるはずなのだ。だから、誰もが、正論を言ったために左遷され、失脚した賢人たちの魂を迷わせたりしてはいけないということ待ち望んでいるのだ。
雲路分 ・雲路:天下の正道。官界の高い地位への道。・:運命の定め。○應迷 李商隠「楚宮」―楚厲迷魂逐恨遙(楚厲(それい)の迷魂 恨みを逐いて遙かなり)
湘江の水は劉蕡の涙であり、国を救おうとする涙はどこまでも透き通った色である。そこに身を投げた楚の人屈原の怨霊は迷い続けており、どこまでも恨みを追いかけている。


(解説)
○詩型 五言律詩。
○押韻 棲・鶏・泥・迷。

舊鏡~不棲の二句については、
鳳凰の屈原や賈誼のように王朝改革を訴えること、劉蕡など左遷、失脚の後、世を去った。正論を言って啼かせてくれる鏡はないのか。鏡を曇らせているのは宦官たちである。せっかく宦官の一網打尽の計略も李訓、鄭注のような鴟梟のような輩のために台無しになったではないか。
梧桐の中で鳳凰は棲む楊貴妃一族の権勢もすでに亡くなった、しかし王朝では今も巣食っているのは鴟梟ばかり。
金銭~山雞の二句は、学問を身に備え、王朝を正しい方に導いていけるものはいない。見せかけのものでしかない。宦官の力を借りてその地位に登っていることをいっている。