随師東 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 112


随師東
東征日調萬黄金、幾竭中原買鬪心。
東方征伐のために毎日、万金の黄金を調達している、中原の財源が底を突いてまでも兵士たちの戦意を金に飽かせて買ったのだ。
軍令未聞誅馬謖、捷書唯是報孫歆。
しかし軍令を犯し「泣いて馬謖を斬る」ほどの厳正な規律は耳にしたことはない、勝利の報というのはまだ生きていた孫歓の首級をあげたなど、偽りのもばかりなのだ。
但須鸑鷟巢阿閣、豈暇鴟鴞在泮林。
今求められているのは、鳳凰にも比せられる人物が開かれた朝廷に集まることではあるが、鴟鴞のごとき奸臣、宦官を教化する、そんなゆとりはあるというのか。
可惜前朝玄菟郡、積骸成弄陣雲深。
せっかく漢王朝が開いた玄菟郡の地ではないか、戦死者の積み重なった遺骸が草むらのようにうずたかい墳墓になり、戦の雲行は天下どこでも垂れこめているのだ。



随師東す

東征 日に調す 万黄金、幾ど中原を竭して闘心を買う。

軍令 末だ聞かず 馬謖を課するを、捷書 唯だ是れ孫を報ず。

但だ鸑鷟(がくさく)の阿閣に巣くうを須つ、豈 鴟林に在るに暇あらんや。

惜しむべし 前朝の玄菟郡、積骸 を成して陣雲深し。





随師東 現代語訳と訳註 解説

(本文)
東征日調萬黄金、幾竭中原買鬪心。
軍令未聞誅馬謖、捷書唯是報孫歆。
但須鸑鷟巢阿閣、豈暇鴟鴞在泮林。
可惜前朝玄菟郡、積骸成弄陣雲深。
  
(下し文)
東征 日に調す 万黄金、幾ど中原を竭して闘心を買う。
軍令 末だ聞かず 馬謖を課するを、捷書 唯だ是れ孫歆を報ず。
但だ鸑鷟(がくさく)の阿閣に巣くうを須つ、豈 鴟鴞の泮林に在るに暇あらんや。
惜しむべし 前朝の玄菟郡、積骸 莾を成して陣雲深し。
  
(現代語訳)
東方征伐のために毎日、万金の黄金を調達している、中原の財源が底を突いてまでも兵士たちの戦意を金に飽かせて買ったのだ。
しかし軍令を犯し「泣いて馬謖を斬る」ほどの厳正な規律は耳にしたことはない、勝利の報というのはまだ生きていた孫歓の首級をあげたなど、偽りのもばかりなのだ。
今求められているのは、鳳凰にも比せられる人物が開かれた朝廷に集まることではあるが、鴟鴞のごとき奸臣、宦官を教化する、そんなゆとりはあるというのか。
せっかく漢王朝が開いた玄菟郡の地ではないか、戦死者の積み重なった遺骸が草むらのようにうずたかい墳墓になり、戦の雲行は天下どこでも垂れこめているのだ。


  
(語訳と訳註)
○随師東
 隋軍の高句麗征伐に借りて時局を批判するということと同時に「師に随いて東したがす」と読み、李商隠が829年大和三年、天平節度使令狐楚に従って郵州(山東省東平県)に赴いた時、瘡州(河北省瘡県)で戦乱のあとを目略したことをうたったということで、李商隠は明確にしない方法をとった。いずれにしても王朝批判であり、の対象として、横海節度使李全略の死後、子の李同捷がそのまま居座ったのに対して、官軍の攻撃が827年大和元年に始まって829年大和三年に至ってようやく李同捷を諌伐し瘡州を奪還した、当時の事件をあげる。この時のことを詩にしたものが

漫成五章 其四 紀頌之の漢詩商隠特集150- 107
にいう、石雄のことである。


東征日調萬黄金、幾竭中原買鬪心。
東方征伐のために毎日、万金の黄金を調達している、中原の財源が底を突いてまでも兵士たちの戦意を金に飽かせて買ったのだ。
東征 煬帝は612年から614年にかけて三度にわたって高句麗を攻めるが挫折、以後江南に移り、隋は崩壊に向かった。〇日調万黄金 毎日、大金を費やしたこと。○ ほとんど。

隋宮 kanbuniinkai紀頌之の漢詩李商隠特集 49


軍令未聞誅馬謖、捷書唯是報孫歆。
しかし軍令を犯し「泣いて馬謖を斬る」ほどの厳正な規律は耳にしたことはない、勝利の報というのはまだ生きていた孫歓の首級をあげたなど、偽りのもばかりなのだ。
馬謖(ば しょく、190年 - 228年)は、後漢末期から三国時代にかけて蜀の武将。第一次北伐の際、彼に戦略上の要所である街亭(甘粛省安定県)の守備を命じた(街亭の戦い)。諸葛亮は道筋を押さえるように命じたが、馬謖はこれに背き山頂に陣を敷いてしまう。副将の王平はこれを諫めたが、馬謖は聞き入れようとしなかった。その結果、張郃らに水路を断たれ山頂に孤立し、蜀軍は惨敗を喫する。翌5月に諸葛亮は敗戦の責任を問い、馬謖を処刑した。諸葛亮はこの為に涙を流し、これが後に「泣いて馬謖を斬る」と呼ばれる故事となった○捷書 勝利を知らせる報告書。捷は勝利。○孫歆 そんかん三国・呉の都督(軍司令官)。この句には「呉を平らぐるの役に、歆を得たりと上言す、呉平らぐも、孫は尚お在り」という原注がある。王隠の『晋書』(『太平御覧』巻三九一)に、晋が呉を討った際、晋の将王濬(おうしん)が孫歆の首を討ち取ったと手柄を誇ったが、そのあとから生け捕りにされた孫歆の身柄を杜預が送ってきたので、王濬は洛中の笑いものになったという。
 

但須鸑鷟巢阿閣、豈暇鴟鴞在泮林。
今求められているのは、鳳凰にも比せられる人物が開かれた朝廷に集まることではあるが、鴟鴞のごとき奸臣、宦官を教化する、そんなゆとりはあるというのか。
鸑鷟(がくさく) 鳳凰の一種。『禽経』 の張華の注に 「鳳の小なる者は鷺鷺と口う」。すぐれた人物を比喩する。○阿閣 四方にひさしがそりあがった楼閣。ここでは朝廷を指すが、あずまや作りの樓閣を言うので、宦官たちの陰湿を排除した開かれた朝廷を示す。○鴟鴞 しきょう(鴟梟)はふくろうの一種。残虐な鳥。好臣を比喩する。○泮林 西周の諸侯の学問所を泮宮といい、そのかたわらの樹林のこと。鴞という悪鳥が教化され、魯侯伯禽が准夷を帰順させたことをたたえるもの。ここでも逆賊を教化させる意。


可惜前朝玄菟郡、積骸成弄陣雲深
せっかく漢王朝が開いた玄菟郡の地ではないか、戦死者の積み重なった遺骸が草むらのようにうずたかい墳墓になり、戦の雲行は天下どこでも垂れこめているのだ。
玄菟郡 漢の武帝の時、朝鮮の地に置いた四つの郡の一つ。吉林省の北朝鮮国境に近い地域。隋の高句麗遠征における戦場。○積骸成葬 積み重なった遺骸が草むらのようにうずたかい。○陣雲 戦の雲行は天下どこでも殺気に満ちた雲がある。潘鎮、節度使が君王化して、どこで反乱がおこってもおかしくない状況になっている。



(解説)
○詩型 七言律詩。
・押韻 金・心・款・林・深


隋・煬帝(ようだい)の高句麗遠征失敗を題材とする詠史詩の体裁を取りながらも、李商隠の時代のすべての体制にほころびがあること、それを攻撃的な筆致により批判している。唐王朝は滅亡のスパイラルの中でひしめいていたのだ。この詩は、そのため歴史に借りながら、時局に批判をぶつけた政治詩である。唐代後半は節度使が各地に居坐って朝廷に反抗し、潘鎮は地方の君王化し、官軍との攻防が続いて唐王朝の滅亡に至るのである。それは40年後、黄巢の乱を引き起こしてからはじまるのである。李商隠の詩はほとんどのものが政治批判の詩なのだ。
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