驕兒詩 #6 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 124

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#5
古錦請裁衣,玉軸亦欲乞。請爺書春勝,春勝宜春日。
芭蕉斜卷箋,辛夷低過筆。爺昔好讀書,懇苦自著述。
憔悴欲四十,無肉畏蚤虱。兒慎勿學爺,讀書求甲乙。
#6
穰苴司馬法,張良黃石術。
齊の国を強国にした司馬穣宜の兵法の書、漢の張良は劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、その兵術は劉邦の覇業を大きく助けた。
便爲帝王師,不假更纖悉。
それはすなわち皇帝の師となれるということだ、学問だけに頼るのでなく、学問をし、そのうえ繊細にして大胆の兵術であれば出世できるのだ。
況今西與北,羌戎正狂悖。
まして今、西域と北域の辺境の地では羌戎(きょうじゅう)と夷狄(いてき)がまさに狂暴のかぎりをつくしているのだ。
誅赦兩未成,將養如痼疾。
そういう状況下でも征伐も和睦もできないのである、王朝内に問題があり、休養している病人が不治の病になってしまったようなもので、統治能力がないのだ。
兒當速成大,探雛入虎穴。
わが子兗師、早く成長し、広い心の人間になるのだ、虎の子を求めるためには虎の穴に踏み込む勇気をもたなければならないのだ。
當爲萬戶侯,勿守一經帙。

万戸の領地をおさめる侯くらいにならないといけない。一冊の経書、古典だけに頼るような儒教者の愚は決して犯してはならないのだ。


驕兒詩 #5
古錦 衣を裁つこと請い、玉軸 亦 乞わんと欲す
爺(ちち)に請いて春勝を書かしむ、春勝 宜春の日
芭蕉のごとく斜めに倭を巻き、辛夷のごとく低く筆を過たす
爺(ちち)は昔 読書を好み、懇苦(こんく)して自ら著述(ちょじつ)す
憔悴(しょうすい) 四十ならんとするも、肉無く蚤風(のみしらみ)を畏れる
児よ 慎みて 爺を学び、書を読みて甲乙を求むこと勿かれ

#6
穰苴(じょうしょ)の司馬の法、張良(ちょうりょう)の黄石の術。
便(すなわ)ち 帝王の師と為らん、更に纖悉(せんしつ)なるに仮とせず。
況(いわん)や今 西と北と、羌戎(きょうじゅう) 正に狂悖(きょうぼつ)するをや。
誅(ちゅう)も赦(しゃ)も両(ふたつ)ながら末(いまだ)成らず、将養 痼疾(こしつ)の如し。
児よ 当に速かに成大し、雛(ひな)を探って 虎窟(こくつ)に入るべし。
当に万戸侯と為るべし、一経の帙(ちつ)を守る勿かれ。


驕兒詩 #6 現代語訳と訳註
(本文) #6
穰苴司馬法,張良黃石術。便爲帝王師,不假更纖悉。
況今西與北,羌戎正狂悖。誅赦兩未成,將養如痼疾。
兒當速成大,探雛入虎穴。當爲萬戶侯,勿守一經帙。


(下し文) #6
穰苴(じょうしょ)の司馬の法、張良(ちょうりょう)の黄石の術。
便(すなわ)ち 帝王の師と為らん、更に纖悉(せんしつ)なるに仮とせず。
況(いわん)や今 西と北と、羌戎(きょうじゅう) 正に狂悖(きょうぼつ)するをや。
誅(ちゅう)も赦(しゃ)も両(ふたつ)ながら末(いまだ)成らず、将養 痼疾(こしつ)の如し。
児よ 当に速かに成大し、雛(ひな)を探って 虎窟(こくつ)に入るべし。
当に万戸侯と為るべし、一経の帙(ちつ)を守る勿かれ。


(現代語訳)
齊の国を強国にした司馬穣宜の兵法の書、漢の張良は劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、その兵術は劉邦の覇業を大きく助けた。
それはすなわち皇帝の師となれるということだ、学問だけに頼るのでなく、学問をし、そのうえ繊細にして大胆の兵術であれば出世できるのだ。
まして今、西域と北域の辺境の地では羌戎(きょうじゅう)と夷狄(いてき)がまさに狂暴のかぎりをつくしているのだ。
そういう状況下でも征伐も和睦もできないのである、王朝内に問題があり、休養している病人が不治の病になってしまったようなもので、統治能力がないのだ。
わが子兗師、早く成長し、広い心の人間になるのだ、虎の子を求めるためには虎の穴に踏み込む勇気をもたなければならないのだ。
万戸の領地をおさめる侯くらいにならないといけない。一冊の経書、古典だけに頼るような儒教者の愚は決して犯してはならないのだ。


(訳注) #6
穰苴司馬法,張良黃石術。

齊の国を強国にした司馬穣宜の兵法の書、漢の張良は劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、その兵術は劉邦の覇業を大きく助けた。
穰苴 司馬という名称は周代の軍部をつかさどる官名で、それが後に姓名になったものである。この本の主人公の司馬穰苴は斉人で氏は田(つまり田穰苴)であり、斉の景公に任じられ大司馬の職についたので司馬穰苴と呼ばれるようになった。
そもそも、斉は兵法の開祖といわれる太公望が作った国であり、春秋戦国時代では兵法や学問が盛んに研究されていた。有名な孫子も斉人である。司馬法が成立するきっかけになったのは、斉の威王が古くから斉に伝わる兵法を駆使して斉を強国にしたという経緯の元に、兵法の大切さに気づき、家臣たちに命じて、古くから伝わる斉の兵法を研究させ、それに司馬穰苴が作った兵法を付け加えて「司馬穰苴の兵法」としてまとめたというのが有力な説である。春秋・斉の景公のもとの将軍、田穣丑。大司馬に任じられたので司馬穰苴と称される。その兵法は古代の兵法と併せて『司馬穰苴兵法』として伝えられた(『史記』司馬穰苴伝)。
張良黃石術 張 良(ちょう りょう、未詳 - 紀元前186年)は、秦末期から前漢初期の政治家・軍師。字は子房。諡は文成。劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、劉邦の覇業を大きく助けた。蕭何・韓信と共に漢の三傑とされる。劉邦より留(江蘇省徐州市沛県の東南)に領地を授かったので留侯とも呼ばれる。子には嗣子の張不疑と少子の張辟彊がいる。下邳時代の逸話から「黄石公」の兵法と尊ばれた。このページの末尾に、逸話を参考に掲載する。
 
便爲帝王師,不假更纖悉。
それはすなわち皇帝の師となれるということだ、学問だけに頼るのでなく、学問をし、そのうえ繊細にして大胆の兵術であれば出世できるのだ。
不假更纖悉 ・:かりる、たよる。・織悉:こまかくきわめる。学問をし、そのうえ繊細にして大胆の兵書であれば出世できるという意。

況今西與北,羌戎正狂悖。
まして今、西域と北域の辺境の地では羌戎(きょうじゅう)と夷狄(いてき)がまさに狂暴のかぎりをつくしているのだ。
羌戎 当時、西北の地から中国を脅威にさらしていた吐蕃や回紇などの異民族。○狂悖 狂暴。安史の乱以降、攻められやすくなり、略奪中心の侵攻だったようだ。

誅赦兩未成,將養如痼疾。
そういう状況下でも征伐も和睦もできないのである、王朝内に問題があり、休養している病人が不治の病になってしまったようなもので、統治能力がないのだ。
誅赦 征伐するか和睦・懐柔するかの二つの解決策。○将養 休息し養生する。・将:ここではやしなう、助ける、休むの意味もの意。○痼疾 長くわずらっている病気。
 
兒當速成大,探雛入虎穴。
わが子兗師、早く成長し、広い心の人間になるのだ、虎の子を求めるためには虎の穴に踏み込む勇気をもたなければならないのだ。
探雛入虎穴 果敢に行動する。後漢の武人班超のことばに、「虎穴に入らずんば、虎子を得ず」(『後漢書』班超伝)。・:烏の子から広く動物の子を指す。


當爲萬戶侯,勿守一經帙。
万戸の領地をおさめる侯くらいにならないといけない。一冊の経書、古典だけに頼るような儒教者の愚は決して犯してはならないのだ。
万戸侯 食邑(領地)一万戸の侯爵。〇一経帙  後漢の王充の「論衡」超奇稿に「夫れ能く一経を説く者は儒生たり。」とある。は書物のこと。また、漢・韋賢父子の儒教の故事もある。韋賢の子の韋玄成は経学に明るいことから父と同じく丞相の位に昇ったので、世間では「子に黄金万籝を遺こすも、一経に如かず」(『漢書』葦賢伝)という諺が隼まれた。・:竹で編んだ箱。財産をのこすよりも学問を身につけさせておくのがよい、という儒教者の教えだけではだめで、大局を見る広い心持つのだと教えている。


○詩型 五言古詩。
○押韻 術。悉。悖。疾。穴。帙。



(解説)
 学問の大切さを理解してないわけではない。それどころか、学問をしなければ人の上に立つことはできない。学問に頼り切ると、自己満足に落ちいってしまう。「子に黄金万籝を遺こすも、一経に如かず」などというのは、儒教者の陥りやすいことである。
 自分も若いうちに、懸命に学問にはげんだ。学問をそれ以上積重ねてきた人に太刀打ちができず完膚なきまで叩きのめされた。そこで、方向性を誤ったのだ。その時、力を持っていた人、この人ならばついて行ってもよいのではと思った。自分自身も大変気に入られ、娘を嫁に娶った。
しかし、唐王朝は、腐っていて、宦官という病気のもとがいて,それにおかされている。その上、官僚は、二手に分かれて権力闘争をしている。「將養如痼疾」(将養 痼疾(こしつ)の如し)状況なのだ。

 軍師になって、天子に仕えることは、学問だけではできるものではない。大局を見る力と時の運、その力を引き出せてくれる器の天子と出会わなければ無理なのだ。唐王朝は西域や北域の異民族が略奪行為をしてもせいばつができないのだ。腐りきった王朝の天子のおそばでお仕えするということではなく、一万個の邑の侯爵・大名になるのが一番いいのだ。
 若い時に学問で負かされても、学問にだけしがみついてはいけないのだ、広い心を持ちなさい。

 蛇足ではあるが、この詩を「自分のふがいない半生を振り返って、文より武によって出世をせよと諭す。」ととらえる解説もあるが、違う。
中唐の韓愈のように「児に示す」詩では無一文で長安に出てきた自分がかくも富貴の身に達したのは勉強のたまものだということを李商隠は否定していない。勉強はすべての基礎であることを踏まえている。
ただ、儒者のように教条主義的になるなといっているのだ。
李商隠、社会的には、不遇の側面が強調されるが、詩人として、当時も一定程度以上の評価を受けていたようだ。その詩人としての矜持は随所に表れている。


*********参考*****************
下邳時代の逸話
ある日、張良が橋の袂を通りかかると、汚い服を着た老人が自分の靴を橋の下に放り投げ、張良に向かって「小僧、取って来い」と言いつけた。張良は頭に来て殴りつけようかと思ったが、相手が老人なので我慢して靴を取って来た。すると老人は足を突き出して「履かせろ」と言う。張良は「この爺さんに最後まで付き合おう」と考え、跪いて老人に靴を履かせた。老人は笑って去って行ったが、その後で戻ってきて「お前に教えることがある。5日後の朝にここに来い」と言った。
5日後の朝、日が出てから張良が約束の場所に行くと、既に老人が来ていた。老人は「目上の人間と約束して遅れてくるとは何事だ」と言い「また5日後に来い」と言い残して去った。5日後、張良は日の出の前に家を出たが、既に老人は来ていた。老人は再び「5日後に来い」と言い残して去って行った。次の5日後、張良は夜中から約束の場所で待った。しばらくして老人がやって来た。老人は満足気に「おう、わしより先に来たのう。こうでなくてはならん。その謙虚さこそが大切なのだ」と言い、張良に太公望の兵法書を渡して「これを読めば王者の師となれる。13年後にお前は山の麓で黄色い石を見るだろう。それがわしである」と言い残して消え去ったという。
後年、張良はこの予言通り黄石に出会い、これを持ち帰って家宝とし、張良の死後には一緒に墓に入れられたという。
(ウィキペデアより抜粋。)

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驕兒詩
#1
袞師我驕兒,美秀乃無匹。文葆未周晬,固已知六七。
四歲知名姓,眼不視梨栗。交朋頗窺觀,謂是丹穴物。
前朝尚器貌,流品方第一。不然神仙姿,不爾燕鶴骨。
#2
安得此相謂,欲慰衰朽質。青春妍和月,朋戲渾甥侄。
繞堂複穿林,沸若金鼎溢。門有長者來,造次請先出。
客前問所須,含意下吐實。歸來學客面,闡敗秉爺笏。
#3
或謔張飛胡,或笑鄧艾吃。豪鷹毛崱屴,猛馬氣佶傈。
截得青筼簹,騎走恣唐突。忽複學參軍,按聲喚蒼鶻。
又複紗燈旁,稽首禮夜佛。仰鞭罥蛛網,俯首飲花蜜。
#4
欲爭蛺蝶輕,未謝柳絮疾。階前逢阿姊,六甲頗輸失。
凝走弄香奩,拔脫金屈戌。抱持多反側,威怒不可律。
曲躬牽窗網,衉唾拭琴漆。有時看臨書,挺立不動膝。
#5
古錦請裁衣,玉軸亦欲乞。請爺書春勝,春勝宜春日。
芭蕉斜卷箋,辛夷低過筆。爺昔好讀書,懇苦自著述。
憔悴欲四十,無肉畏蚤虱。兒慎勿學爺,讀書求甲乙。
#6
穰苴司馬法,張良黃石術。便爲帝王師,不假更纖悉。
況今西與北,羌戎正狂悖。誅赦兩未成,將養如痼疾。
兒當速成大,探雛入虎穴。當爲萬戶侯,勿守一經帙。


押韻
匹。七。栗。物。一。骨。質。侄。溢。出。實。笏。吃。傈。突。鶻。佛。蜜。疾。失。戌。律。漆。膝。
乞。日。筆。述。虱。乙。術。悉。悖。疾。穴。帙。


#1
袞師は我が騎児、美秀 乃ち匹(たぐい) 無(なし)。
文葆(ぶんぽう) 末だ 周晬(しゅうさい)ならざるに、固(もと)より巳に六七を知る。
四歳にして姓名を知り、眼には梨と栗とを視ず。
交朋 頗(すこぶ)る 窺(うかが)い観て、謂う是(これ)丹穴の物ならんと。
前朝 器貌(きぼう)を尚(とうと)ぶ、流品 万(まさ)しく第一ならん。
然らずんば 神仙の姿、爾(しからずんば) 燕鶴(えんかく)の骨(かたち)なり。
#2
安んぞ此(かく)相(あい) 謂(いう)を得ん、衰朽(すいきゅう)の質を慰めんと欲すればなり。
青春 妍和(けんわ)の月、朋戯(ほうぎ)は甥姪(せいてつ)に渾(まじ)る。
堂を繰り復(また) 林を穿(くぐ)り、沸として金鼎(きんてい)の溢(あふる)るが 若(ごとし)。
門に長者の来たる有れば、造次(ぞうじ)に請(こ)い 先に出る。
客前に須(ほしい)所(もの)を問えば、意を含(ふく)みて実(じつ)を吐かず。
帰り来たれは客の面(めん)を学(ま)ね、闡敗(ぜんはい)して爺(ちち)の笏(こつ)を秉(と)る。
#3
或いは張飛(ちょうひ)の胡を語れ、或いは鄧艾(とうがい)の吃(きつ)を笑う。
豪鷹(ごうよう) 毛 崱屴(しょくりょく)たり、猛馬 気 佶傈(きつりつ)たり。
青き筼簹(うんとう)を截り得て、騎走 窓に唐突 す。
忽(たちまち)復(また)参軍を学ね、声を按(おさ)えて蒼鶻(そうこつ)を喚(よぶ)。
又復(またまた)紗燈(さとう)の旁(かたわら)に、稽首(けいしゅ)して夜仏に礼をする。
鞭を仰げて蛛(くも)の網を罥(か)け、首を俯(ふ)して花の蜜を飲む
#4
蛺蝶の軽きことを争わんと欲し、未だ柳絮の疾(はやき)に謝(ゆず)らず。
階前 阿姉(あし)に逢い、六甲 頗(すこぶる)輸失す
凝(ひそめ)走って 香奩(こうれん)を弄(もてあそ) ぶ、抜脱(ばつだつ)す 金の屈戌(くつじゅつ)。
抱持(ほうじ)すれば反側すること多く、威怒(いど)するも律すべからず。
躬(み)を曲げて窓の網を牽(ひ)き、衉唾(かくだ)して琴の漆(うるし)を拭(ぬぐ)う
時有り て 臨書を看れば、挺立(ていりつ)して膝を動かさず。
#5
古錦 衣を裁つこと請い、玉軸 亦 乞わんと欲す
爺(ちち)に請いて春勝を書かしむ、春勝 宜春の日
芭蕉のごとく斜めに倭を巻き、辛夷のごとく低く筆を過たす
爺(ちち)は昔 読書を好み、懇苦(こんく)して自ら著述(ちょじつ)す
憔悴(しょうすい) 四十ならんとするも、肉無く蚤風(のみしらみ)を畏れる
児よ 慎みて 爺を学び、書を読みて甲乙を求むこと勿かれ
#6
穰苴(じょうしょ)の司馬の法、張良(ちょうりょう)の黄石の術。
便(すなわ)ち 帝王の師と為らん、更に纖悉(せんしつ)なるに仮とせず。
況(いわん)や今 西と北と、羌戎(きょうじゅう) 正に狂悖(きょうぼつ)するをや。
誅(ちゅう)も赦(しゃ)も両(ふたつ)ながら末(いまだ)成らず、将養 痼疾(こしつ)の如し。
児よ 当に速かに成大し、雛(ひな)を探って 虎窟(こくつ)に入るべし。
当に万戸侯と為るべし、一経の帙(ちつ)を守る勿かれ。


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