井泥四十韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 144

李商隠の詩のなかでもとりわけ長い作品の一つ、八十句にのぼる。地中から運び出された泥が美しい庭園に身を置く境遇の変化をうたいながら、そこに寓意をこめる。発言が生かされない地位や、若い時期での失敗に、「羹に懲りて」いるため、難解な詩となっている。


第四場面


皇都依仁里,西北有高齋。
昨日主人氏,治井堂西陲。」
工人三五輩,輦出土與泥。
到水不數尺,積共庭樹齊。」
他日井甃畢,用土益作堤。
曲隨林掩映,繚以池周回。」
下去冥寞穴,上承雨露滋。
寄辭别地脈,因言謝泉扉。』-#1
升騰不自意,疇昔忽已乖。
伊餘掉行鞅,行行來自西。」
一日下馬到,此時芳草萋。
四面多好樹,旦暮雲霞姿。」
晚落花滿地,幽鳥鳴何枝。
蘿幄既已薦,山樽亦可開。」
待得孤月上,如與佳人來。
因茲感物理,惻愴平生懷。』-#2
茫茫此群品,不定輪與蹄。
喜得舜可禪,不以瞽瞍疑。」
禹竟代舜立,其父籲咈哉。
嬴氏並六合,所來因不韋。」
漢祖把左契,自言一布衣。
當塗佩國璽,本乃黄門擕。」
長戟亂中原,何妨起戎氐。
不獨帝王耳,臣下亦如斯。』-#3

伊尹佐興王,不藉漢父資。
伊尹は殷の王を補佐し、次に王業にまでなったが、血縁親族、父親の力を頼りにしたものではないのだ。
磻溪老釣叟,坐爲周之師。」
太公望呂尚は普通の老翁の格好で磻渓で釣りをしていたのだが、そのまま周の文王の師となったのだ。
屠狗與販繒,突起定傾危。
犬殺し食肉を生業としていた樊噲と絹布商人の灌嬰がいました、彼らはそれぞれ、突如として決起し、国家の危急を救ったのだ。
長沙啟封土,豈是出程姬。」
劉発は劉氏長沙国の王に封じられその地を開いた、ところが景帝の皇后の程姫から生まれた子ではないのである。
帝問主人翁,有自賣珠兒。
漢の武帝に「ご主人さま」と呼びかけられた董偃は、もともとは真珠売りで世渡りをしていた子供だった。
武昌昔男子,老苦爲人妻。」
漢の哀帝は昔男として生まれ、皇帝となったが、男色を好み、家臣の董賢を寵愛しため、太皇太后王氏が年をとって苦労し王朝を継続した。
蜀王有遺魄,今在林中啼。
蜀の王の死後も相手と結ばれたいとを思う心は、血を吐きながら悲しげに鳴く杜鵑として魂をのこした、そして今もほととぎすとなって林の中で囁いているのだ。
淮南雞舐藥,翻向雲中飛。』-#4

准南の王劉安は霊薬を飲んで昇天したが、そこにいた鶏まで仙薬を舐めた、そして、翻り、羽ばたきながら雲の中へ飛んでいった。

大鈞運群有,難以一理推。
顧於冥冥内,爲問秉者誰。」
我恐更萬世,此事愈云爲。
猛虎與雙翅,更以角副之。」
鳳凰不五色,聯翼上雞棲。
我欲秉鈞者,朅來與我偕。」
浮雲不相顧,寥泬誰爲梯。
悒怏夜將半,但歌井中泥。』-#5


伊尹は興王を佐(たす)くるも、漢父の資(し)に籍(か)りず。
磻渓(はんけい)の老釣叟(ちょうそう)は、坐(そのまま)にして周の師と為る。
屠狗(とく)と販繒(はんそう)とは、突起して傾危を定む。
長沙は封土(ほうど)を啓(ひら)きしが、豈に是れ程姫(ていき)より出でんや。
帝 主人 翁(おう)に問えば、珠を売る 児 自りするもの有り。
武昌の昔の男子、老い苦しみて人の妻と為る。
蜀王 遺魄(いはく)有りて、今も林中に在りて啼く。
准南 鶏は薬を舐め、翻りて雲中に向かいて飛ぶ。


井泥四十韻 第4場面 現代語訳と訳註
(本文)

伊尹佐興王,不藉漢父資。
磻溪老釣叟,坐爲周之師。」
屠狗與販繒,突起定傾危。
長沙啟封土,豈是出程姬。」
帝問主人翁,有自賣珠兒。
武昌昔男子,老苦爲人妻。」
蜀王有遺魄,今在林中啼。
淮南雞舐藥,翻向雲中飛。』

(下し文)
伊尹は興王を佐(たす)くるも、漢父の資(し)に籍(か)りず。
磻渓(はんけい)の老釣叟(ちょうそう)は、坐(そのまま)にして周の師と為る。
屠狗(とく)と販繒(はんそう)とは、突起して傾危を定む。
長沙は封土(ほうど)を啓(ひら)きしが、豈に是れ程姫(ていき)より出でんや。
帝 主人 翁(おう)に問えば、珠を売る 児 自りするもの有り。
武昌の昔の男子、老い苦しみて人の妻と為る。
蜀王 遺魄(いはく)有りて、今も林中に在りて啼く。
准南 鶏は薬を舐め、翻りて雲中に向かいて飛ぶ。

(現代語訳)
伊尹は殷の王を補佐し、次に王業にまでなったが、血縁親族、父親の力を頼りにしたものではないのだ。
太公望呂尚は普通の老翁の格好で磻渓で釣りをしていたのだが、そのまま周の文王の師となったのだ。
犬殺し食肉を生業としていた樊噲と絹布商人の灌嬰がいました、彼らはそれぞれ、突如として決起し、国家の危急を救ったのだ。
劉発は劉氏長沙国の王に封じられその地を開いた、ところが景帝の皇后の程姫から生まれた子ではないのである。
漢の武帝に「ご主人さま」と呼びかけられた董偃は、もともとは真珠売りで世渡りをしていた子供だった。
漢の哀帝は昔男として生まれ、皇帝となったが、男色を好み、家臣の董賢を寵愛しため、太皇太后王氏が年をとって苦労し王朝を継続した。
蜀の王の死後も相手と結ばれたいとを思う心は、血を吐きながら悲しげに鳴く杜鵑として魂をのこした、そして今もほととぎすとなって林の中で囁いているのだ。
准南の王劉安は霊薬を飲んで昇天したが、そこにいた鶏まで仙薬を舐めた、そして、翻り、羽ばたきながら雲の中へ飛んでいった。


(訳注)
伊尹佐興王,不藉漢父資。

伊尹は殷の王を補佐し、次に王業にまでなったが、血縁親族、父親の力を頼りにしたものではないのだ。
伊尹 殷王朝開国の功臣。湯王を助けて夏の暴君桀王を滅ぼし、のちには湯王の子の太甲を補佐した(『史記』殷本紀)。○興王 国を興した王。ここでは殷の湯王を指す。○漢父 父親。・漢:好漢の漢と同じく男をあらわす。伊尹は母が大洪水に巻き込まれ桑の大木と化し、その幹から伊尹が生まれたという。そこから伊尹は洪水神であると見る伝説がある(『列子』天瑞)。○ 依拠する。○ 助け。ここの意味は、伊尹は成人して、料理人として或る貴族に仕え、主人の娘が商の君主・子履(しり、後の湯王)に嫁ぐ際に、その付き人として子履に仕える。そこでその才能を子履に認められ、商の国政に参与し重きを成すにいたり、商が夏を滅ぼす際にも活躍し、商(殷)王朝成立に大きな役割を果たした。伊尹は阿衡(あこう)として湯王を補佐し、数百年続く商王朝の基礎を固めた。その後、太甲王を追放して自ら王となる。このことを踏まえている。伊尹のその7年後に太甲王に討たれる。

磻溪老釣叟,坐爲周之師。」
太公望呂尚は普通の老翁の格好で磻渓で釣りをしていたのだが、そのまま周の文王の師となったのだ。
磻渓 太公望呂尚をいう。磻渓で釣りをしていた呂尚は周の文王に出会い、登用されて宰相となった。磻渓は『水経注』によれは陳倉県(陝西省宝鶏市)のあたりで渭水に注ぎ込む流れ。

屠狗與販繒,突起定傾危。
犬殺し食肉を生業としていた樊噲と絹布商人の灌嬰がいました、彼らはそれぞれ、突如として決起し、国家の危急を救ったのだ。
屠狗 畜殺に従事していた樊噲(はんかい)。○販繒 絹織物の販売を仕事としていた灌嬰(かんえい)を指す。ともに平民から身を起こし、漢の建国に功績を挙げて爵位を与えられた(『史記』樊・酈・謄・灌列伝)。○傾危 国が不安定で危険な状態。

長沙啟封土,豈是出程姬。」
劉発は劉氏長沙国の王に封じられその地を開いた、ところが景帝の皇后の程姫から生まれた子ではないのである。
長沙 劉氏長沙国のこと。前156年に景帝が即位すると、翌年庶子の劉発を長沙王に封じ長沙国が設置された。前漢滅亡まで8代164年にわたって存在した。
漢の景帝の側室「程姫」は月のさわりのために侍女の唐児を身代わりにした。酔っていた景帝はそれに気付かず、懐妊したのちに程姫でなかったことが発覚した。生まれた子に「発」と名付けた(『漢書』景十三王伝)。

帝問主人翁,有自賣珠兒。
漢の武帝に「ご主人さま」と呼びかけられた董偃は、もともとは真珠売りで世渡りをしていた子供だった。
賣珠 董偃は子供の時から母とともに真珠売りをして暮らしを立てていた。漢武帝の姑にあたる竇太主の屋敷に出入りするうちに、寡婦となっていた竇太守から片時も離さないほどの寵愛を受けた。そのため武帝までもが直接名をいうことを避けて、「主人翁(ご主人さま)」と呼ぶほどであった。のちに東方朔がその僭越な態度を弾劾した(『漢書』東方朔伝)。
 
武昌昔男子,老苦爲人妻。」
哀帝は昔男として生まれ、皇帝となったが、男色を好み、家臣の董賢を寵愛しため、太皇太后王氏が年をとって苦労し王朝を継続した。
○武昌 哀帝前漢第12代皇帝のこと。皇太后趙飛燕の後楯で19歳で即位した。史書によれば哀帝は男色を好み、家臣の董賢を寵愛した。男色を意味する「断袖」という語は、董賢と一緒に寝ていた哀帝が、哀帝の衣の袖の上に寝ていた董賢を起こさないようにするため衣を切って起きた、という故事に基づく。
老苦 太皇太后王氏が哀帝の崩御に際して、実権を取り燃さねばならないという苦労したことをいう。哀帝25歳で死去。嗣子が無かったために、崩御に際し皇帝璽綬を家臣の董賢に託したが、璽綬は太皇太后王氏、王莽らにより奪われ、政治の実権は王氏が再び掌握することとなった。なお璽綬を奪われた董賢とその妻はその日のうちに自殺した。「漢書哀帝紀」による。○爲人妻 男しか相手にしないことを言う。


蜀王有遺魄,今在林中啼。
蜀の王の死後も相手と結ばれたいとを思う心は、血を吐きながら悲しげに鳴く杜鵑として魂をのこした、そして今もほととぎすとなって林の中で囁いているのだ。
蜀王 蜀の開国伝説によると、周の末に蜀王の杜宇が帝位に即き、望帝と称した。望帝は部下のものに治水を命じておきながら、その妻と姦通し、その後その罪を恥じて隠遁した。旧暦二月、望帝が世を去ったとき、杜鵑(ホトトギス)が、哀鳴した。これを蜀王魂という。また、春心托杜鵑 相手と結ばれたいとを思う心は、血を吐きながら悲しげに鳴く杜鵑(ホトトギス)に托す。杜鵑:〔とけん〕ほととぎす。血を吐きながら悲しげに鳴くという。
燕臺詩四首 其二 夏#1 李商隠130 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 130-1   李商隠1錦瑟


淮南雞舐藥,翻向雲中飛。』
准南の王劉安は霊薬を飲んで昇天したが、そこにいた鶏まで仙薬を舐めた、そして、翻り、羽ばたきながら雲の中へ飛んでいった。
准南 准南王劉安のこと。劉安は、中国のことわざ「一人得道、鶏犬昇天」(一人が道を得れば、鶏や犬も天に昇る)の出典としても知られる。王充の『論衡』道虚篇によると、劉安は神仙の術を求め、霊薬を自ら調合し、それを服用すると、身体が空に浮き上がった。それどころか、家で飼っていた鶏や犬までもが天に昇ったという(自害した劉安は鶏と犬を伴って仙人となって昇天したと伝えられていた)。現在では「一族のうち一人でも出世すれば、能力もない親戚や側近まで地位が上がる」という故事に基づくものである。