李商隠「井泥四十韻」について
               紀 頌之

 李商隠 146

李商隠「井泥四十韻」について。「それが何を寓意しているのか、解釈は定まらず、難解さにおいても屈指の作。」李商隠詩選P-322にある。そのため、ここに解説を書くことにした。難しくもなんでもない詩である。

この詩は、李商隠の王朝批判と見れば、難しくはない。同詩選では、泥の中から上昇したことにこだわって、この詩全体のキーワードとしていることに問題があるのである。恋歌、艶情歌で無理やり訳そうとするから難解になる。
李商隠の詩は27歳で妻をめとったことで人生が一変するのである。官僚の中で、「いじめられっ子」になるのである。以来、詩の雰囲気は年々変化していく。しかし、その詩に一貫しているのは王朝批判、特に宦官に対しての批判である。


李商隠「井泥四十韻」について
このしは意味の上でも八韻で区分されている。40韻なので5分割である。しかも一場面を二分割、八句、四韻、律詩単位を二組で構成したり、八分割一場面であったりする。

 詩の雰囲気は杜甫の「沙苑行 」を参考にしてイメージをつくっているのであろう。

杜甫「沙苑行」のはじまりは
君不見左輔白沙如白水,繚以周牆百餘裡。
龍媒昔是渥洼生,汗血今稱獻於此。

君見ずや左輔の白抄は白水の如し、繚(めぐ)らすに周牆を以てすること百余旦。
竜媒(りょうばい)昔是れ渥洼(あくあ)より生ず、汗血今称す此より献ぜらると。
(君は見たことはないだろう、長安の東方の郡部にあたる沙苑の白き沙は白水の如く白く、その区域を、土塀を建ててこり囲んでいる長さが百里以上もあるというのを。昔、漢の世に竜媒と称せられた天馬が渥洼の川から生じたといわれているが、唐の今の世では汗血の名馬がこの沙苑の牧場から献上されているといわれている。)杜甫は四場面構成なので馬の血統についてすぐに始まる。


李商隠「井泥四十韻」は
皇都依仁里,西北有高齋。
昨日主人氏,治井堂西陲。」
皇都 仁里に依り、西北に高斎 有る。
昨日 主人の氏、井を治む 堂西の陲り。
(帝都の依仁里、永通坊というところ、その坊の北西に立派な屋敷があります。
昨日、この話のご主人の妻氏いた、母屋の西に井戸を掘ったのだ。)

この場所は洛陽の李商隠の妻の実家の北東隣の坊である。洛陽城内には渠水、運河が掘られ、おおきな屋敷には運河の引き込みを作った。そのなかには井戸端の役割のものが多かった。砧をたたく場であった。第一場面でこの場所の特定ができないように幻想的な表現に終始している。


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李商隠「井泥四十韻」の舞台

右下に黄色の枠が李商隠の妻の実家の坊でその右斜め上の永通坊がこの詩の舞台である。ここには運河の渠水が入り込んでいる



 杜甫の詩の場合、血統の良い馬の育成を取り上げ、唐王朝の政治姿勢を批判していく形態をとっている。その場合も、批判の矛先を紛らわすため抽象的な表現をしている。
 李商隠は井戸を掘った泥に関連した故事、事象、歴史的な出来事を絡めていくことになる。



第二場面も雅な庭園、華麗な庭園はそんな庭園を持てる人の話の導入のための演出である。李商隠の詩には多くの庭園が出てくる。宮廷、富豪、娼屋と庭にまつわるものは多くある。
晚落花滿地,幽鳥鳴何枝。
蘿幄既已薦,山樽亦可開。」
待得孤月上,如與佳人來。
因茲感物理,惻愴平生懷。
(晚落ち 花は 地に滿ち,幽鳥 鳴くは 何れの枝。
蘿幄 既に 薦しき已き,山樽 亦 開く可し。」
孤月の上るを 待ち得て,佳人の來るが如き與(くみ)する。
茲(これ)に因りて物理に感ず,惻愴 平生の懷い。)ということで、日暮れに夕映えにかがやく花が池を満たしていた、奥深い所で鳴き声だけ聞こえる烏がどこかの枝で鳴いていた。
つたの幌幕も用意がととのいこもむしろも敷かれた、粗末な樽でいいからここで開けるのだ。
もの寂しげな月があがってくるのを待っていると、美しい人と一緒に出てくるような気持ちだった。
これに触発されて万物を支配する根本原理が感得され、常日頃の思いが刺すように胸を痛めている。

これは、李商隠「有有感二首」に基づいている。もっとも衝撃的な事件であった「甘露の変」である。835年大和九年11月李商隠24歳の時の事件である。官僚としての李商隠にとってその生涯からこの事件は不幸な、不遇な人生の幕開けであった。宦官を一掃するため、鄭注は月夜に紛れて軍を動員して庭に隠れたことを連想させる。そして翌朝「甘露が降った」とその場所に宦官を集め一掃する手はずであった。功を焦って、宦官には筒抜けの待ち伏せであった。その庭は待ち伏せ郡全滅とういう結果おびただしい血にあふれた。しかし、このことにより、宦官の力は増強され、この事件を口にすることさえ憚られるほど、触れてはならない事件となり、宦官に制圧された王朝となる。(宦官批判は第五場面に再登場する)。

有感二首 其一 李商隠

有感二首 其二 李商隠



第三の場面は、尭舜による仁徳によって皇帝継承していたものを血縁継承にした。秦の始皇帝嬴政は天下国家を統一したが、その出自は政商呂不韋の子であった。
漢の高祖は天下の王たる定めを記した割り符を手中にしていても、自ら無位無冠の身、一庶民にすぎないといっていた。魏は国璽を帯びて王朝を立てたが、曹操の出自は宦官の連れ子なのだ。長い戟を手に中原に騒乱を起こした五胡十国、彼らが異民族戎氏から身を起こしたことはなんら弱点にはなっていないのだ。
 こうして異なる王朝へと受け継がれた。


第四の場面は、皇帝、王から臣下に移して史実を挙げていく。
伊尹は殷の王を補佐し、次に王業にまでなったが、血縁親族、父親の力を頼りにしたものではないのだ。
太公望呂尚は普通の老翁の格好で磻渓で釣りをしていたのだが、そのまま周の文王の師となったのだ。
犬殺し食肉を生業としていた樊噲と絹布商人の灌嬰がいました、彼らはそれぞれ、突如として決起し、国家の危急を救ったのだ。
劉発は劉氏長沙国の王に封じられその地を開いた、ところが景帝の皇后の程姫から生まれた子ではないのである。
漢の武帝に「ご主人さま」と呼びかけられた董偃は、もともとは真珠売りで世渡りをしていた子供だった。
漢の哀帝は昔男として生まれ、皇帝となったが、男色を好み、家臣の董賢を寵愛しため、太皇太后王氏が年をとって苦労し王朝を継続した。
蜀の王の死後も相手と結ばれたいとを思う心は、血を吐きながら悲しげに鳴く杜鵑として魂をのこした、そして今もホトトギスとなって林の中で囁いているのだ。
准南の王劉安は霊薬を飲んで昇天したが、そこにいた鶏まで仙薬を舐めた、そして、翻り、羽ばたきながら雲の中へ飛んでいった。


第三、第四どちらも王朝宮殿を舞台にしたものであった。この詩で、誰かが出てきて、この唐王朝の堕落を立ち直らせてくれることはできないのか。李商隠は、王朝が変わってもいい、あるいは、臣下のものから優れたものは出現しないのかとういう願望に満ち溢れたものである。
 これを「上昇の変化」ととらえると意味不明になるのだ。男色を好んだ皇帝にストップをかけた太后皇后をクローズアップして捉えないと意味不明になる。
 また、唐王朝では、不老長寿薬、霊薬、媚薬、といわれるヒ素の混入されたもので中毒死が続出している。すべてが宦官の仕業であった。毒の判定に使用されたものは、銀食器、金魚と鸚鵡などの小鳥である。皇帝が昇天して、その後小鳥に舐めさせたら死んだ。「上昇の変化」は毒殺であった。



第五の場面は
「猛虎與雙翅,更以角副之。」(猛虎 双翅を与えられ、更に角を以て之に副う。)
獰猛な虎に二枚の羽を付け加える、そのうえ更に角までそえてあげるようなこと。それは宦官を重臣にして軍隊を任せそのうえ、総大将、宰相にまですることのように絶対権力を与えてしまうような事象をいう。
「甘露の変」以降、すべてが宦官によって政治が行われた。形の上では、旧貴族、科挙による官僚がいた訳であるが、反体制の発言をすると、粛清された。

「鳳凰不五色,聯翼上雞棲。」(鳳凰は五色とせず、翼を聯ねて雞棲に上らん。)
梧桐の葉が茂るところにしか棲まない鳳凰も五色の羽を失ってしまうこと。翼を連ねて鶏小屋にのぼっているように皇帝の地位はあっても実質的に宦官に全権を奪われるような事象をいう。
 天子はまつりあげられ、鶏小屋の中で棲んでいる状態にされたのだ。


「我欲秉鈞者,朅來與我偕。」(我れは欲す 鈞を秉る者、朅来して我れと偕にするを)
私は、天下国家の公平な施政、公平な采配をするものの出現を願います、そのような人物の到来することは世界の誰もが願っていることなのだ。
「秉鈞」について、杜甫は、「奉贈鮮於京兆二十韻」で宰相たる者は一国の公平を手にするものであるということを独りで独占する李林甫についてこの語を使っている。李商隠は自分に全権を与えられるなら、この唐王朝におけるすべての不合理を一掃してみせるといっているのだ。
 しかし、天の上から公平かどうか見ているはずの雲に、つまり、天子、皇帝は知らんぷりで頽廃の中で甘んじているのだ。
 泥の歌を唄うしかないのだ。


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