行次西郊作 一百韻#3 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 150 #3

これまで掲載している「甘露の変」を題材にしている李商隠の詩。

李商隠 4 曲江

劉司戸二首 其一 李商隠 39 

北斉二首其二 李商隠  45

有感二首 其一 李商隠 101

有感二首 其二 李商隠 102

重有感 李商隠  103

鸞鳳 李商隠 - 111

漫成五章 其四 李商隠 150- 107

燕臺詩四首 其三 秋#1 李商隠- 131


行次西郊作 一百韻
蛇年建丑月,我自梁還秦。
南下大散嶺,北濟渭之濱。
草木半舒坼,不類冰雪晨。
又若夏苦熱,燋卷無芳津。」#-1
高田長檞櫪,下田長荆榛。
農具棄道旁,饑牛死空墩。
依依過村落,十室無一存。
存者皆面啼,無衣可迎賓。』#-2
始若畏人問,及門還具陳。
始めはただもう、何かたずねられるのをこわがってびくびくしていたが、私が門前にたどりつくと、これだけどうして荒廃したのか、事の次第を詳しく物語ってきかせてくれた。
右輔田疇薄,斯民常苦貧。
みやこ長安より上流で右の輔翼にあたるこの鳳翔は昔からやせた土地で、田畑の収穫は乏しく、このあたりの農民は貧しさにつね日頃から苦くるしんでおりました。と村人は語り始めた。
伊昔稱樂土,所賴牧伯仁。
それというのも、その昔、このあたりが楽土と呼ばれた頃もあったのです。それは地方の長官と監視官が仁徳敬愛の深い方であったからなのです。
官清若冰玉,吏善如六親。」#-3

政治をなさる長官の方々は、清廉潔白、氷の玉のようであり、役所の書記も善良で自分たちの親族と同じようにしてもらったのです。
生兒不遠征,生女事四鄰。
濁酒盈瓦缶,爛穀堆荆囷。
健兒庇旁婦,衰翁舐童孫。
況自貞觀後,命官多儒臣。』#-4
例以賢牧伯,徵入司陶鈞。


3

始めは人の問いを畏るるが若く、門に及びて 還た具(つぶ)さに陳()べたり。

右輔(ゆうほ)は田疇(でんちゅう)薄く、斯の民 常に貧しきに苦しむ。

()の昔 楽土と称せしときは、頼る所は牧伯(ぼくはく)の仁なりき。

官は清きこと冰玉の若く、吏の善きこと六親(りくしん)の如し。」

#4
児(おのこ)を生みても遠征せず、女(おみな)を生みては四隣(しりん)に事(とつ)がしむ。
濁酒(だくしゅ)は瓦缶(がふ)に盈(み)ち、爛穀(らんこく)は荊囷(けいきん)に堆(うずたか)し。
健児は旁婦(ぼうふ)を庇い、衰翁(すいおう)は童孫(どうそん)を舐む。
況んや貞観(じょうがん)より後、官に命ぜられるもの儒臣(じゅしん)多し』
例(ためし)として賢なる牧伯(はくばく)を以てし、徴(め)し入れては陶鈞(とうきん)を司(つかさ)どらしむ。



行次西郊作 一百韻 現代語訳と訳註
(本文)#-3

始若畏人問,及門還具陳。
右輔田疇薄,斯民常苦貧。
伊昔稱樂土,所賴牧伯仁。
官清若冰玉,吏善如六親。」
生兒不遠征,生女事四鄰。
濁酒盈瓦缶,爛穀堆荆囷。
健兒庇旁婦,衰翁舐童孫。
況自貞觀後,命官多儒臣。』#-4
例以賢牧伯,徵入司陶鈞。


(下し文)#3
始めは人の問いを畏るるが若く、門に及びて 還た具(つぶ)さに陳(の)べたり。
右輔(ゆうほ)は田疇(でんちゅう)薄く、斯の民 常に貧しきに苦しむ。
伊(そ)の昔 楽土と称せしときは、頼る所は牧伯(ぼくはく)の仁なりき。
官は清きこと冰玉の若く、吏の善きこと六親(りくしん)の如し。」

#4
児(おのこ)を生みても遠征せず、女(おみな)を生みては四隣(しりん)に事(とつ)がしむ。
濁酒(だくしゅ)は瓦缶(がふ)に盈(み)ち、爛穀(らんこく)は荊囷(けいきん)に堆(うずたか)し。
健児は旁婦(ぼうふ)を庇い、衰翁(すいおう)は童孫(どうそん)を舐む。
況んや貞観(じょうがん)より後、官に命ぜられるもの儒臣(じゅしん)多し』


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例(ためし)として賢なる牧伯(はくばく)を以てし、徴(め)し入れては陶鈞(とうきん)を司(つかさ)どらしむ。



(現代語訳)
始めはただもう、何かたずねられるのをこわがってびくびくしていたが、私が門前にたどりつくと、これだけどうして荒廃したのか、事の次第を詳しく物語ってきかせてくれた。
みやこ長安より上流で右の輔翼にあたるこの鳳翔は昔からやせた土地で、田畑の収穫は乏しく、このあたりの農民は貧しさにつね日頃から苦くるしんでおりました。と村人は語り始めた。
それというのも、その昔、このあたりが楽土と呼ばれた頃もあったのです。それは地方の長官と監視官が仁徳敬愛の深い方であったからなのです。
政治をなさる長官の方々は、清廉潔白、氷の玉のようであり、役所の書記も善良で自分たちの親族と同じようにしてもらったのです。


(訳注)
始若畏人問,及門還具陳。

始めはただもう、何かたずねられるのをこわがってびくびくしていたが、私が門前にたどりつくと、これだけどうして荒廃したのか、事の次第を詳しく物語ってきかせてくれた。
 また・めぐり来って再びするかかである。○具陳 事の次第を詳しく物語ること。



右輔田疇薄,斯民常苦貧。
みやこ長安より上流で右の輔翼にあたるこの鳳翔は昔からやせた土地で、田畑の収穫は乏しく、このあたりの農民は貧しさにつね日頃から苦くるしんでおりました。と村人は語り始めた。
右輔 都の右の輔翼の地。鳳翔府を指す。その語源扶風、右扶風(ゆうふふう)は、古代中国の官職名、またはその治める行政区域名からいうのである。前漢、後漢の代に置かれ、長安周辺の県を統治した。官秩は二千石(『漢書』百官公卿表上)。武帝の太初1年(紀元前104年)に長安より上流右内史は右扶風、長安中心とした近郊までを京兆尹とされ、下流側を左内史、左馮翊と改名された。中国では古い地名を使う表現が好まれた。
また李商隠の鳳翔を題材にした詩は次のとおりである。
有感二首 其一 有感二首 其二 重有感 燕臺詩四首 其三 秋#1 李商隠- 131 以前、先に、の意。○



伊昔稱樂土,所賴牧伯仁。
それというのも、その昔、このあたりが楽土と呼ばれた頃もあったのです。それは地方の長官と監視官が仁徳敬愛の深い方であったからなのです。
伊昔 伊は軽い発語の詞。これ。○牧伯 地方の長官。右扶風尹。本来は、後漢に設置されたもので、王の勅命により州にあって州侯を監視・監督するものであった。

官清若冰玉,吏善如六親。」
政治をなさる長官の方々は、清廉潔白、氷の玉のようであり、役所の書記も善良で自分たちの親族と同じようにしてもらったのです。
 役所の事務にたずさわる小役人。官は科挙試験に合格した者が、朝廷から任命され、吏は、その下で実務雜役にたずさわる。○六親 六親五類のこと。「父母」、「兄弟」、「子孫」、「妻財」、「官鬼」の5つを指す。これに、自分をあらわす世爻(せこう)を加えて六親という、中国では、ほとんどの事項を五行思想で表した。
以上 #-3







#4 につづく