行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 170 #23


官健腰佩弓,自言爲官巡。
常恐值荒迥,此輩還射人。
愧客問本末,願客無因循。
郿塢抵陳倉,此地忌黄昏。』#-22

我聽此言罷,冤憤如相焚。
私はこの話をしっかりと聴き終えた、宦官の軍隊は叛乱の罪ないものへ災禍を与えた。こうむった者の恨みと、災厄をもたらした者への憤怒が胸の内に燃え上がるように高まるのを覚えたのだ。
昔聞擧一會,群盜爲之奔。
春秋戦国時代に、晋の景公は士会を技擢して中軍に将とした時、晋国に横行した盗賊らは、士会の噂を聞いただけで秦の国へ逃亡したというのである。
又聞理與亂,在人不在天。
名将が采配をふるえば、今のこの局地的な鳳翔の混乱であれば、治まらぬはずはないものである。また、国家の平和と動乱は、政治をつかさどる天子、宰相の責任である。超越的な天の意志や力で左右されるというものではないのである。
我願爲此事,君前剖心肝。」
#-23
わたしは願っていることがある、それは、超自然の力にはよらず、天子によってよくも悪しくもなる政治の次第を建て直すことにある。非力ではあるけれども、天子の御前で、このことのために胸の奥底を開いて内なる誠心をあらわしたいということなのだ。

叩頭出鮮血,滂沱污紫宸。
九重黯已隔,涕泗空沾唇。
使典作尚書,廝養爲將軍。
慎勿道此言,此言未忍聞。』#-24


#22
官健(かんけん)は腰に弓を佩(お)び、自らは官の為に巡ると言う。
常に恐る 荒剋(こうけい)に値(いた)らば、此の輩(やから) 還(かえ)って人を射ん。
愧(は)ず 客の本末を問うを、願わくは客よ 因循(いんじゅん)すること無れ。
郿塢(びお)より陳倉(ちんそう)に抵(いた)る、此の地 黄昏(こういん)を忌(い)む。
#23
我 此の言を聴き罷(おわ)り、冤憤(えんぷん) 相いに焚(や)くが如し。
昔 聞く 一(ひと)りの会(かい)を挙(あ)ぐれば、群盗(ぐんとう) 之が為に奔(はし)れりと。
又聞く 理と乱とは、人に在りて天には在らずと。
我は願う 此の事の為に、君前(くんぜん)に心肝(しんかん)を剖(あら)わし。
#24
叩額(こうがく)して鮮血を出し、滂沱(ぼうだ)として紫宸(ししん)を污(けが)さん ことを。
九重(きゅうちょう)は黯(くら)已に隔たり、涕泗は空しく唇を沾(うるお)す。
使典 尚書と作り、廝養(しよう) 将軍と為る。
慎みて比の言を道(い)う 勿れ、此の言 未だ聞くに忍びず。



行次西郊作 一百韻 現代語訳と訳註
(本文)#23
我聽此言罷,冤憤如相焚。
昔聞擧一會,群盜爲之奔。
又聞理與亂,在人不在天。
我願爲此事,君前剖心肝。」


(下し文) #23
我 此の言を聴き罷(おわ)り、冤憤(えんぷん) 相いに焚(や)くが如し。
昔 聞く 一(ひと)りの会(かい)を挙(あ)ぐれば、群盗(ぐんとう) 之が為に奔(はし)れりと。
又聞く 理と乱とは、人に在りて天には在らずと。
我は願う 此の事の為に、君前(くんぜん)に心肝(しんかん)を剖(あら)わし。


(現代語訳)
私はこの話をしっかりと聴き終えた、宦官の軍隊は叛乱の罪ないものへ災禍を与えた。こうむった者の恨みと、災厄をもたらした者への憤怒が胸の内に燃え上がるように高まるのを覚えたのだ。
春秋戦国時代に、晋の景公は士会を技擢して中軍に将とした時、晋国に横行した盗賊らは、士会の噂を聞いただけで秦の国へ逃亡したというのである。
名将が采配をふるえば、今のこの局地的な鳳翔の混乱であれば、治まらぬはずはないものである。また、国家の平和と動乱は、政治をつかさどる天子、宰相の責任である。超越的な天の意志や力で左右されるというものではないのである。
わたしは願っていることがある、それは、超自然の力にはよらず、天子によってよくも悪しくもなる政治の次第を建て直すことにある。非力ではあるけれども、天子の御前で、このことのために胸の奥底を開いて内なる誠心をあらわしたいということなのだ。


(訳注)
我聽此言罷,冤憤如相焚。
私はこの話をしっかりと聴き終えた、宦官の軍隊は叛乱の罪ないものへ災禍を与えた。こうむった者の恨みと、災厄をもたらした者への憤怒が胸の内に燃え上がるように高まるのを覚えたのだ。
 完了を意味する助詞。だが現代語の罷とは少し異なる。○如相焚「詩経」小雅節南山に「憂心肘べ`が如
し。」と。心が憤りに熱してきてただれるようになることをいう。


昔聞擧一會,群盜爲之奔。
春秋戦国時代に、晋の景公は士会を技擢して中軍に将とした時、晋国に横行した盗賊らは、士会の噂を聞いただけで秦の国へ逃亡したというのである。
挙一会 会は春秋時代の晋の大夫、士会のこと。晋の景公が士会を中軍に将として抜擢、また太傅に任用したとき、晋国の盗賊はまだ追いもしないのに、逃れて秦の国に逃亡した、という「春秋左氏伝」宜公十六年の記事にもとづく。


又聞理與亂,在人不在天。
名将が采配をふるえば、今のこの局地的な鳳翔の混乱であれば、治まらぬはずはないものである。また、国家の平和と動乱は、政治をつかさどる天子、宰相の責任である。超越的な天の意志や力で左右されるというものではないのである。
理与乱 理から乱は治乱に同じ。唐の太宗(599―649)続く高宗(628一683年)の治から政治闘争、権力闘争へ、開元の治から、安禄山の叛乱、中興の治から甘露の変、を指すもので、平穏な治を作り上げるためには、数々の改革をして成し遂げられるものであり、天から授かるものではないのだ。


我願爲此事,君前剖心肝。」
わたしは願っていることがある、それは、超自然の力にはよらず、天子によってよくも悪しくもなる政治の次第を建て直すことにある。非力ではあるけれども、天子の御前で、このことのために胸の奥底を開いて内なる誠心をあらわしたいということなのだ
此事 天すなわち超自然の力にはよらず、天子によってよくも悪しくもなる政治の次第を指す。○剖心肝 心肝は胸の奥底。杜甫の彭衙行 #4 杜甫 135 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 132に「誰肯艱難際,豁達露心肝」(誰か 肯(あえ)て 艱難(かんなん)の際、豁達(かつたつ) 心肝(しんかん)を露(あら)わさん)と。

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