唐宋詩190Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-4 長安交遊者贈孟郊

 この詩は793年貞元九年の作とされている。孟郊(751~814)は、愈より17歳年長であったが、進士の科に合格したのはあとであった。
韓愈の合格年  792年 25歳
孟郊の合格年  796年 46歳(27,8年間受験)
この詩は、合格の3年前の孟郊に贈ったものである。韓愈は孟郊に度々詩をやり取りしている。

長安交遊者贈孟郊 韓愈

長安交遊者,貧富各有徒。
長安の都で交わりを結んでいる人たちは、貧しい者、金持それぞれに仲間を作っている。
親朋相過時,亦各有以娛。
友だちが訪ねて来たときも、やはりそれぞれに楽しみがあるものだ。
陋室有文史,高門有笙竽。
粗末な何にも無い様なみすぼらしい儒教者の部屋に学問・文学の書物があるのである、りっぱなお屋敷には。笙の笛、琴などの音楽の娯楽があるのである。
何能辯榮悴?且欲分賢愚。
どうしてそれでもって、栄えているか、粗末だから落ちぶれ、うらぶれているかの区別をつけられるというのか、ましてやそれで賢人なのか、愚かな人かを分けることなどできるものではないのだ。


長安に交遊する者孟郊に贈る
長安に交遊する者、貧富 各七徒有り。
親朋 相い過る時、亦各と以て娯しむ有り。
肺室に文史有り、高門に笙竿有り。
何ぞ能く栄悴を弁じ、且つ賢愚を分たんと欲する。

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長安交遊者贈孟郊 現代語訳と訳註
(本文)

長安交遊者, 貧富各有徒。
親朋相過時, 亦各有以娛。
陋室有文史, 高門有笙竽。
何能辯榮悴?且欲分賢愚。

(下し文)
長安に交遊する者、貧富 各々徒有り。
親朋 相い過る時、亦各と以て娯しむ有り。
肺室に文史有り、高門に笙竿有り。
何ぞ能く栄悴を弁じ、且つ賢愚を分たんと欲する。

(現代語訳)
長安の都で交わりを結んでいる人たちは、貧しい者、金持それぞれに仲間を作っている。
友だちが訪ねて来たときも、やはりそれぞれに楽しみがあるものだ。
粗末な何にも無い様なみすぼらしい儒教者の部屋に学問・文学の書物があるのである、りっぱなお屋敷には。笙の笛、琴などの音楽の娯楽があるのである。
どうしてそれでもって、栄えているか、粗末だから落ちぶれ、うらぶれているかの区別をつけられるというのか、ましてやそれで賢人なのか、愚かな人かを分けることなどできるものではないのだ。


(訳注)
長安交遊者,貧富各有徒。

長安の都で交わりを結んでいる人たちは、貧しい者、金持それぞれに仲間を作っている。
交遊者 友達関係を言うのではなくパトロンの存在を言う。あるいは門閥、党派の場合もある。○貧富 この頃受験するものは科挙の及第が家名のためであることから、宿命的に義務感をもって受験するものが多く、長期に渉る浪人生活者が多かった。そのため長期になるほど、その家の資力の違いで生活は極端に違っていたのだ。○各有徒 受験生はそれぞれ、貴族富豪によりグループを作った。

親朋相過時,亦各有以娛。
友だちが訪ねて来たときも、やはりそれぞれに楽しみがあるものだ。
親朋 同グループの中の近しい友人。○相過時 何かあるなしで、一緒に過ごしたことを示す。○有以娛 基本は談義をするわけであるから、党派で政治談議に違いがあった。

陋室有文史,高門有笙竽。
粗末な何にも無い様なみすぼらしい儒教者の部屋に学問・文学の書物があるのである、りっぱなお屋敷には。笙の笛、琴などの音楽の娯楽があるのである。
陋室 儒教者の質素な、粗末な部屋、何にも無い様なみすぼらしい部屋。○有文史 学問・文学の書物があること。○高門 貴族、富豪のりっぱなお屋敷。○有笙竽 笙笛などの音楽の娯楽。

何能辯榮悴?且欲分賢愚。
どうしてそれでもって、栄えているか、粗末だから落ちぶれ、うらぶれているかの区別をつけられるというのか、ましてやそれで賢人なのか、愚かな人かを分けることなどできるものではないのだ。
○何 どうして~といえようか。○辯榮悴 それでもって、栄えているか、粗末だから落ちぶれ、うらぶれているかの区別をつける。○賢愚 賢人なのか、愚かな人か。


解説
 苦しい受験生活を乗り越えるためには、きれいごとだけではなりたたない。長安の街の中に受験生が数千人いるのである。地方試験を通過してきているので匈奴の希望を背負ってきているのである。春にある試験に合わせて猛勉強をするのである。韓愈には、儒教者が賢人であると思っているわけであるが、一般世間の人は、正当な道のことが分かっていないというものである。

 儒教者の論理は、教条主義的であり、発展性が少なく、このしでも面白みに欠ける。この詩で、韓愈より20年近くこの受験をしている孟郊に対して、自分たちの貧しさを美化して「つらいけど、今後頑張っていきましょう」と伝えているのである。詩に奥深さが全くないのが特徴であろうか。しかし、この頃、道教の国教化による嫌気から、文人に儒虚者の理解が多くなったのも確かである。その静かなるブームに乗ったものではなかろうか。

 この詩からくみ取れるのは、韓愈の思っていること、人に対する、仲間に対する思いがうまく表現されていないのであって、、実際の韓愈の友人を大切にする心温かさというもの、を無骨な詩によって、ギャップがあることが逆に理解されるのである。李白と杜甫が好きであった韓愈は李白杜甫の詩から何を学んでいたのだろう。そのほうが大きな疑問である。


 この詩は793年貞元九年の作と推定されている。孟郊(751~814)は、愈より年長であったが、進士の科に合格したのはあとになってしまった。後年のことになるが、孟郊が官職を得るのに愈が骨を折ってやったこともあり、そんな縁で孟郊は韓門の一人に数えられているが、愈の弟子ではない。「孟詩韓筆」(詩は孟郊で散文は韓愈)という評判をとったほどで、愈もこの人に対しては、あくまでも先輩に対する礼をとることを忘れなかった。
 孟郊が進士の試に合格したのは796年貞元十二年であった。すなわちこの詩は、合格前の郊に贈ったものである。礼部の試には合格したが、吏部の試には落第した愈と、礼部の試にも合格できぬ郊と、落第の段階は違うが、官職につけず、俸給がもらえない点では、変わりがない。だから愈のこの時期の詩はヽ進士の試に合格はしたもののヽ「門を昨ず」と同じ調子をもっている。 そして翌794年貞元十年に、愈が最も尊敬していた同輩の李観が死んだ。観はすでに博学鴻辞の科にも合格し、太子校書の職を授けられていた。その最後の病床に、愈は一首の詩を贈った。

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