汴州亂二首其二 唐宋詩-206Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-7

 汴州亂其二

葬送の行列に変事の知らせがとどいたのは、偃師(洛陽の東方)に到着したときであった。葬列には戦闘の準備はしないもので、攻撃をかけられる心配もないかもしれないが、葬列はパニック状態になったが、予定どおり、虞郷を目指して進むほかはなかった。誰もが家に残した家族が心配であった。韓愈は、このとき妻を迎えており、長女も生まれていた。まだ乳呑み子である。当然、反乱を起こした兵士たちは、女子供を相手にしないはずではあるが、治安の保てなくなった汴州に限らず、どこでも変事があると、略奪、盗賊が出現する。愈の心配はつのった。

汴州亂二首 其一
汴州城門朝不開,天狗堕地聲如雷。
健兒爭誇殺留後,連屋累棟燒成灰。
諸侯咫尺不能救,孤士何者自興哀。
其二
母從子走者爲誰,大夫夫人留後兒。
母が子を従え、走って逃げている、その人はだれか、その馬の持ち主は誰なのか。あれは後任の節度使だった陸長源どのの夫人であり、その残された子どもだ。
昨日乘車騎大馬,坐者起趨乘者下。
あの人たちは昨日までは車に乗り、肥えた大馬にまたがっていたものだった、ところが今、座って移動していた者は立ち上がって走っており、乗っていた者は下りるしまつだ。
廟堂不肯用幹戈,嗚呼奈汝母子何。

この事態を収拾するため、朝廷は武力を用いようとせず、なにもしないのだ。ああ、私は、あなたがた母子に何をしてやれるものだろうか。

miyajima 702



汴州乱 二首 現代語訳と訳註
(本文) 汴州乱 其二

母従子走者馬誰、大夫夫人留後見。
昨日乗車騎大馬、坐者起趨乗者下。
廟堂不肯用千戈、鳴呼奈汝母子何。

(下し文)
母の子を従えて走る者は誰とか為す、大夫の夫人 留後の児。
昨日は串に乗り大馬に騎るも、坐する者は起ちて趨(はし)り乗る者は下る。
廟堂は肯(あえ)て千戈を用いず、鳴呼 汝 母子を奈何せん。

(現代語訳)
母が子を従え、走って逃げている、その人はだれか、その馬の持ち主は誰なのか。あれは後任の節度使だった陸長源どのの夫人であり、その残された子どもだ。
あの人たちは昨日までは車に乗り、肥えた大馬にまたがっていたものだった、ところが今、座って移動していた者は立ち上がって走っており、乗っていた者は下りるしまつだ。
この事態を収拾するため、朝廷は武力を用いようとせず、なにもしないのだ。ああ、私は、あなたがた母子に何をしてやれるものだろうか。


(訳注)
母従子走者馬誰、大夫夫人留後見。

母が子を従えて走る者は誰とか為す、大夫の夫人 留後の児。
母が子を従え、走って逃げている、その人はだれか、その馬の持ち主は誰なのか。あれは後任の節度使だった陸長源どのの夫人であり、その残された子どもだ。
母従子 『汴州亂其一』「健兒爭誇殺留後,連屋累棟燒成灰。」天狗星がこの地に落ち、兵士たちは節度使の留後の事務取扱者である陸長源を殺し、屋根をならべ棟をかさねた屋敷は焼けてしまい灰となった。そこにいた母子。○走者 走る人。○大夫夫人 節度使の留後の事務取扱者、陸長源の夫人。○留後児。後に残された子供。

昨日乗車騎大馬、坐者起趨乗者下。
昨日は車に乗り大馬に騎るも、坐する者は起ちて趨(はし)り乗る者は下る。
あの人たちは昨日までは車に乗り、肥えた大馬にまたがっていたものだった、ところが今、座って移動していた者は立ち上がって走っており、乗っていた者は下りるしまつだ。
大馬 肥えた大馬。○騎 速く走れる馬にまたがる。○坐者 車馬の中に座っていたもの。○起趨 立ち上がって走る。○乗者下 お付で乗っていたもの。


廟堂不肯用千戈、鳴呼奈汝母子何。
廟堂は肯(あえ)て千戈を用いず、鳴呼 汝 母子を奈何せん。
この事態を収拾するため、朝廷は武力を用いようとせず、なにもしないのだ。ああ、私は、あなたがた母子に何をしてやれるものだろうか。
 ○廟堂 中央政庁、朝廷。○千戈 節度使の軍隊が起したことであるから、その上級の軍が鎮圧すべきである。


詩はこの乱に、礼節・道徳心が存在しない。王朝は、徳をもって治にあたるべきである。叛乱した軍隊を圧倒する王朝軍が制圧しない限り、流血自体は継続する。そうした状況に、韓愈自身は何もしてやれない。陸長源の夫人とその子とに同情するだけである。


この反乱を放置した朝廷の徳のなさ、無策ぶりを攻撃する。他方、陸長源の妻子を借りて、韓愈自身の妻子は無事をあらわしている。

さいわい、韓愈の妻子は無事であった。反乱の知らせに続いて東から来た人があって、その話によって事情はかなり明瞭になったのだが、それによると、韓愈の一家は無事ではあったものの、汴州にいたのでは危険なので、舟で脱出し、韓愈とは逆方向の東へと逃げ、徐州(江蘇省)に落ち着いているという。これを聞いた韓愈は、いちおう葬列を洛陽まで送って行ってから、単身で東へと引き返した。汴州の南を迂回して徐州に着き、妻子と再会したのは二月の末になっていた。
韓愈はもはや、董晋が死んだとき、汴州での地位を失っている。あらためて探さねばならないのだが、しかし、当座は無事を確認し、喜びあったのであろう。

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