此日足可惜贈張籍 唐宋詩-217Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-18-#11


此日足可惜贈張籍(愈時在徐籍往謁之辭去作是詩以送)((此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈)
門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 董晋歿す。汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

韓愈の一家は無事ではあったものの、汴州にいたのでは危険なので、舟で脱出し、韓愈とは逆方向の東へと逃げ、徐州(江蘇省)に落ち着いているという。これを聞いた韓愈は、いちおう葬列を洛陽まで送って行ってから、単身で東へと引き返した。
河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、韓愈の馬が疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。幕府の主人である節度使の李元はもうしばらく滞留してほしいといってくれた、そして私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれた。そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに舟がなかったのだ。
長い時間大声で呼び、 ようやく渡し舟が来てくれた、夜のあいだに対岸までの十里の黄河も川筋を渡れた。


#10
號呼久乃至,夜濟十里黄。中流上灘潬,沙水不可詳。
驚波暗合遝,星宿爭翻芒。轅馬蹢躅鳴,左右泣僕童。
甲午憩時門,臨泉窺鬥龍。」10
#11
東南出陳許,陂澤平茫茫。
道邊草木花,紅紫相低昂。
百里不逢人,角角雄雉鳴。
行行二月暮,乃及徐南疆。
下馬步堤岸,上船拜吾兄。」11
道もはっきりせぬまま陳・許の地方に出れば、湿地帯は平らに 茫々と広がっている。
道はたの草木の花は、赤くまた紫に、あるいは低くあるいは高く咲いている。
どこまで行っても人に逢わず、コツコツと雄の雉が鳴いている。 どこまでも進んで行って、二月の末ごろ、ようやく徐州の南の境にたどり着いた。
そこで馬から下りて堤防の上を歩き、舟に乗って私の兄にあいさつをした。

誰雲經艱難,百口無夭殤。僕射南陽公,宅我睢水陽。
篋中有馀衣,盎中有馀糧。閉門讀書史,窗戶忽已涼。
日念子來游,子豈知我情。」12
别離未爲久,辛苦多所經。對食每不飽,共言無倦聽。
連延三十日,晨坐達五更。我友二三子,宦游在西京。
東野窺禹穴,李翱觀濤江。」13
蕭條千萬里,會合安可逢。淮之水舒舒,楚山直叢叢。
子又舍我去,我懷焉所窮。男兒不再壯,百歲如風狂。
高爵尚可求,無爲守一鄉。」14

#10
号呼 久しゅうして乃ち至り、夜 十里の黄を済(わた)る。
中流 灘潬(だんたん)に上るに 沙水 詳(つまび)らかにす可からず。 驚波 暗くして合沓(ごうとう)たり 星宿(せいしゅう) 争って空を翻す。
轅馬 蹢躅として鳴き、左右 僕童泣く。
甲午 時門に憩い、泉に臨んで闘竜を窺(うかが)う。
#11
東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。
道辺の草木の花、 紅紫 相 低昂(ていこう)す。
百里 人に逢わず、角角(こくこく)として雄雉()ゆうち鳴く。
行き行きて二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。
馬より下りて堤岸を歩み、 船に上りて吾が兄を拝す。


12
誰か云わん難難を経たりと、百口 天瘍無し
僕射 南陽公 我を推水の陽に宅せしむ
筐中に余衣有り、盎中に馀糧有り
門を閉じて書史を読めば、窓戸 忽ち己に涼し
日に念う 子の来たり遊はんことを 子豈我が情を知れるか。
13
別離 未だ久しと為さざるも辛苦 経る所多し
食に対して毎に飽かず 共に言いて聴くに倦むこと無し
連延たり三十日 展に坐して五更に達す
我が友 二三子 官遊して西京に在り
東野は禹穴を窺い 李翱は清江を観る
 14
藷条たり千万里会合 安くんぞ逢う可けん涯の水 
野紆たり 楚山は直にして叢叢たり 子 又た我を捨てて去る 我が懐い篤くにか窮まる所ぞ
男児 再びは壮ならず 百歳 風狂の如し
高爵 尚求む可し一郷を守るを為すこと無かれ
gogyu10680
 
現代語訳と訳註
(本文)

東南出陳許,陂澤平茫茫。道邊草木花,紅紫相低昂。
百里不逢人,角角雄雉鳴。行行二月暮,乃及徐南疆。
下馬步堤岸,上船拜吾兄。」11

(下し文)
東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。
道辺の草木の花、 紅紫 相 低昂(ていこう)す。
百里 人に逢わず、角角(こくこく)として雄雉()ゆうち鳴く。
行き行きて二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。
馬より下りて堤岸を歩み、 船に上りて吾が兄を拝す。

(現代語訳)
道もはっきりせぬまま陳・許の地方に出れば、湿地帯は平らに 茫々と広がっている。
道はたの草木の花は、赤くまた紫に、あるいは低くあるいは高く咲いている。
どこまで行っても人に逢わず、コツコツと雄の雉が鳴いている。 どこまでも進んで行って、二月の末ごろ、ようやく徐州の南の境にたどり着いた。
そこで馬から下りて堤防の上を歩き、舟に乗って私の兄にあいさつをした。


(訳注)11
東南出陳許,陂澤平茫茫。

道もはっきりせぬまま陳・許の地方に出れば、湿地帯は平らに 茫々と広がっている。
東南 妻のいる徐州は汴州からすると東南方向にあたる。○(ちん). 中国の王朝名、地方名。地方としての陳は現在の河南省淮陽県を中心とした一帯。 陳 (春秋) - 周の武王により、帝舜の末裔が封じられた国。の国。自分の生まれ育った所。故郷。

  
道邊草木花,紅紫相低昂。
道はたの草木の花は、赤くまた紫に、あるいは低くあるいは高く咲いている。
  
百里不逢人,角角雄雉鳴。
どこまで行っても人に逢わず、コツコツと雄の雉が鳴いている。   

行行二月暮,乃及徐南疆。
どこまでも進んで行って、二月の末ごろ、ようやく徐州の南の境にたどり着いた。
  
下馬步堤岸,上船拜吾兄。」11
そこで馬から下りて堤防の上を歩き、舟に乗って私の兄にあいさつをした。
吾兄 韓愈の実兄たちは、このときにはみな死んでいる。ここに「兄」というのは従兄のこと、あるいは兄弟の契りをしたものをいう。

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