此日足可惜贈張籍 唐宋詩-218Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-19-#12


此日足可惜贈張籍(愈時在徐籍往謁之辭去作是詩以送)((此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈)
門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜。
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 董晋歿す。汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

#11までのあらすじ
韓愈の一家は無事ではあったものの、汴州にいたのでは危険なので、舟で脱出し、韓愈とは逆方向の東へと逃げ、徐州(江蘇省)に落ち着いているという。これを聞いた韓愈は、いちおう葬列を洛陽まで送って行ってから、単身で東へと引き返した。
河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、韓愈の馬が疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。幕府の主人である節度使の李元はもうしばらく滞留してほしいといってくれた、そして私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれた。そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに舟がなかったのだ。
長い時間大声で呼び、 ようやく渡し舟が来てくれた、夜のあいだに対岸までの十里の黄河も川筋を渡れた。
どこまでも進んで行って、二月の末ごろ、ようやく徐州の南の境にたどり着いた。そこで馬から下りて堤防の上を歩き、舟に乗って私の兄にあいさつをした。


#11
東南出陳許,陂澤平茫茫。道邊草木花,紅紫相低昂。
百里不逢人,角角雄雉鳴。行行二月暮,乃及徐南疆。
下馬步堤岸,上船拜吾兄。」
#12
誰雲經艱難,百口無夭殤。
誰もが難難を通り抜けたと言い合ったのだが、私の家族は全員なにごともなかった。
僕射南陽公,宅我睢水陽。
徐州武寧軍節度使、僕射の南陽公(張建封)の幕府に世話をしてくれた、その上、私を推水の北岸に住居をあてがってくれた。
篋中有馀衣,盎中有馀糧。
衣裳筐のなかに余分な着物があるだけ用意され、米櫃は余分な穀物があるほどの余裕ある生活を用意してくれた。
閉門讀書史,窗戶忽已涼。
季節は変わってその家で扉をとざして歴史書を読書していた、にわかに高窓から、戸口から涼風が吹きこんできた。
日念子來游,子豈知我情。」
君が訪ねて来ることを毎日念じていたが、その思いが君に通じたのだろうか。
#13

别離未爲久,辛苦多所經。對食每不飽,共言無倦聽。
連延三十日,晨坐達五更。我友二三子,宦游在西京。
東野窺禹穴,李翱觀濤江。」

#11
東西 陳・許を出ずれば、陂澤 平らかにして茫茫たり。
道辺の草木の花、 紅紫 相 低昂(ていこう)す。
百里 人に逢わず、角角(こくこく)として雄雉()ゆうち鳴く。
行き行きて二月の暮、乃ち徐の南疆に及ぶ。
馬より下りて堤岸を歩み、 船に上りて吾が兄を拝す。
#12
誰か云わん難難を経たりと、百口 天瘍無し
僕射 南陽公 我を推水の陽に宅せしむ
筐中に余衣有り、盎中に馀糧有り
門を閉じて書史を読めば、窓戸 忽ち己に涼し
日に念う 子の来たり遊はんことを 子豈我が情を知れるか。

13
別離 未だ久しと為さざるも辛苦 経る所多し
食に対して毎に飽かず 共に言いて聴くに倦むこと無し
連延たり三十日 展に坐して五更に達す
我が友 二三子 官遊して西京に在り
東野は禹穴を窺い 李翱は清江を観る

kairo10680


現代語訳と訳註
(本文)

誰雲經艱難,百口無夭殤。
僕射南陽公,宅我睢水陽。
篋中有馀衣,盎中有馀糧。
閉門讀書史,窗戶忽已涼。
日念子來游,子豈知我情。」12

(下し文) #12
誰か云わん難難を経たりと、百口 天瘍無し
僕射 南陽公 我を推水の陽に宅せしむ
筐中に余衣有り、盎中に馀糧有り
門を閉じて書史を読めば、窓戸 忽ち己に涼し
日に念う 子の来たり遊はんことを 子豈我が情を知れるか。

(現代語訳)
誰もが難難を通り抜けたと言い合ったのだが、私の家族は全員なにごともなかった。 徐州武寧軍節度使、僕射の南陽公(張建封)の幕府に世話をしてくれた、その上、私を睢水の北岸に住居をあてがってくれた。
衣裳筐のなかに余分な着物があるだけ用意され、米櫃は余分な穀物があるほどの余裕ある生活を用意してくれた。
季節は変わってその家で扉をとざして歴史書を読書していた、にわかに高窓から、戸口から涼風が吹きこんできた。
君が訪ねて来ることを毎日念じていたが、その思いが君に通じたのだろうか。


(訳注) #12  
誰雲經艱難,百口無夭殤。
誰もが難難を通り抜けたと言い合ったのだが、私の家族は全員なにごともなかった。
 ○百口 家族全員。一族すべて。○夭殤 若死に。二十歳までに死ぬこと。
  
僕射南陽公,宅我睢水陽。
徐州武寧軍節度使、僕射の南陽公(張建封)の幕府に世話をしてくれた、その上、私を睢水の北岸に住居をあてがってくれた。
僕射 (ぼくや)中国の官名。尚書令の次官である尚書僕射にしか使われなくなる。隋・唐・五代・宋・金・遼では、皇帝が尚書令に就任したため、尚書僕射が尚書省の実質的長官になる。○南陽公 徐州武寧軍節度使 張建封の幕府のこと。○睢水 彭城の戦い(ぼうじょうのたたかい)は、中国楚漢戦争期の紀元前205年に項羽の楚軍と劉邦の漢連合軍との間の彭城(現在の江蘇省徐州市)で行われた戦い。「睢水の戦い」とも呼ばれる。睢水は陽、南にあるということは、自宅は睢水の北側にあったことになる。
  
篋中有馀衣,盎中有馀糧。
衣裳筐のなかに余分な着物があるだけ用意され、米尾つには余分な穀物があるほどの余裕ある生活を用意してくれた。
 衣装箱。○ 米を入れるはち。
  
閉門讀書史,窗戶忽已涼。
季節は変わってその家で扉をとざして歴史書を読書していた、にわかに高窓から、戸口から涼風が吹きこんできた。
閉門 門を閉めることと読書で季節の変化を教えてくれる。○窗戶 窓と戸口。○ 諸邂逅の風に使う語である。
  
日念子來游,子豈知我情。」12
君が訪ねて来ることを毎日念じていたが、その思いが君に通じたのだろうか。
日念 日日思い続けること。ここでは張籍のことを思い続けているのである。

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