此日足可惜贈張籍 唐宋詩-220Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-21-#14


(此の日惜しむ可きに足る 張籍に贈る 韓愈)
門人の張籍も無事で、訪ねて来てくれた。韓愈もようやく心の落ち着きを取りもどしたらしい。張籍の去るにあたって、彼は次の詩を贈った。
長い詩であるが、汴州の乱について韓愈の抱いた思いと彼の行動がよくみえる。またこのころには、愈の周囲に孟郊・張籍・李翺・ (賈島)などの人々が集まり、韓門が形成されていたようだ。

この頃の韓愈、孟郊、張籍の年譜
796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 董晋歿す。汴州の乱
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

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#13までのあらすじ
韓愈の一家は無事ではあったものの、汴州にいたのでは危険なので、舟で脱出し、韓愈とは逆方向の東へと逃げ、徐州(江蘇省)に落ち着いているという。これを聞いた韓愈は、いちおう葬列を洛陽まで送って行ってから、単身で東へと引き返した。
河陽節度使(本拠地は河南省孟県の西)の門を入ったとき、韓愈の馬が疲れはて、物につまずいて倒れてしまった。幕府の主人である節度使の李元はもうしばらく滞留してほしいといってくれた、そして私を幕府の官廷に招き入れて酒と料理とを出してくれた。そこで黄河の流れに乗って旅立とうと思ったのに舟がなかったのだ。
長い時間大声で呼び、 ようやく渡し舟が来てくれた、夜のあいだに対岸までの十里の黄河も川筋を渡れた。
どこまでも進んで行って、二月の末ごろ、ようやく徐州の南の境にたどり着いた。そこで馬から下りて堤防の上を歩き、舟に乗って私の兄にあいさつをした。
私の家族は全員なにごともなかった。徐州武寧軍節度使、僕射の南陽公(張建封)の幕府に世話をしてくれた、その上、私を睢水の北岸に住居をあてがってくれた。

#13
誰雲經艱難,百口無夭殤。僕射南陽公,宅我睢水陽。
篋中有馀衣,盎中有馀糧。閉門讀書史,窗戶忽已涼。
日念子來游,子豈知我情。」12
#13
别離未爲久,辛苦多所經。對食每不飽,共言無倦聽。
連延三十日,晨坐達五更。我友二三子,宦游在西京。
東野窺禹穴,李翱觀濤江。」13
#14
蕭條千萬里,會合安可逢。
千万里をへだてて消息をかよわすすべもなく、会いたいと思っても顔をあわすことができるはずもない。
淮之水舒舒,楚山直叢叢。
准河の水はゆるやかにゆったりと流れ、楚の国の山々は切り立ったようにそびえて、草木の茂みはこんもり茂っている。
子又舍我去,我懷焉所窮。
つぎに君がまた私をおいて行ってしまったら、我が思うことというのはなにごとにおいても窮まることはできない。
男兒不再壯,百歲如風狂。
男子に元気に働ける壮年の時は二度とないものだ。我々にとってこれからの一生を古くから伝わっている古風な流れにこだわっていくことなのだ。
高爵尚可求,無爲守一鄉。」14

君はこれからまだ中央朝廷の高い地位をも望めるのだ。一つの土地、地方の組織に固執することのないようにしなくてはいけないのだ。

12
誰か云わん難難を経たりと、百口 天瘍無し
僕射 南陽公 我を推水の陽に宅せしむ
筐中に余衣有り、盎中に馀糧有り
門を閉じて書史を読めば、窓戸 忽ち己に涼し
日に念う 子の来たり遊はんことを 子豈我が情を知れるか。
 13
別離 未だ久しと為さざるも辛苦 経る所多し
食に対して毎に飽かず 共に言いて聴くに倦むこと無し
連延たり三十日 展に坐して五更に達す
我が友 二三子 官遊して西京に在り
東野は禹穴を窺い 李翱は清江を観る
 14
藷条たり千万里会合 安くんぞ逢う可けん涯の水 
野紆たり 楚山は直にして叢叢たり 子 又た我を捨てて去る 我が懐い篤くにか窮まる所ぞ
男児 再びは壮ならず 百歳 風狂の如し
高爵 尚求む可し一郷を守るを為すこと無かれ


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現代語訳と訳註
(本文)
蕭條千萬里,會合安可逢。
淮之水舒舒,楚山直叢叢。
子又舍我去,我懷焉所窮。
男兒不再壯,百歲如風狂。
高爵尚可求,無爲守一鄉。」14

(下し文)
藷条たり千万里会合 安くんぞ逢う可けん涯の水 
野紆たり 楚山は直にして叢叢たり 子 又た我を捨てて去る 我が懐い篤くにか窮まる所ぞ
男児 再びは壮ならず 百歳 風狂の如し
高爵 尚求む可し一郷を守るを為すこと無かれ

(現代語訳)
千万里をへだてて消息をかよわすすべもなく、会いたいと思っても顔をあわすことができるはずもない。 准河の水はゆるやかにゆったりと流れ、楚の国の山々は切り立ったようにそびえて、草木の茂みはこんもり茂っている。
つぎに君がまた私をおいて行ってしまったら、我が思うことというのはなにごとにおいても窮まることはできない。
男子に元気に働ける壮年の時は二度とないものだ。我々にとってこれからの一生を古くから伝わっている古風な流れにこだわっていくことなのだ。
君はこれからまだ中央朝廷の高い地位をも望めるのだ。一つの土地、地方の組織に固執することのないようにしなくてはいけないのだ。

(訳注)14
蕭條千萬里,會合安可逢。

千万里をへだてて消息をかよわすすべもなく、会いたいと思っても顔をあわすことができるはずもない。 ○蕭條 ひっそりとしてもの寂しいさま。
  
淮之水舒舒,楚山直叢叢。
准河の水はゆるやかにゆったりと流れ、楚の国の山々は切り立ったようにそびえて、草木の茂みはこんもり茂っている。
 淮河は、黄河と長江の間を東西に流れている。その下流は平坦な低地を通っており、流路が複雑なため洪水を起こしやすく非常に治水が難しい。古くは「河」が黄河の固有名詞であったので、淮水と呼んだ。○舒舒 ゆっくりしたさま。しずかなさま。○楚山 淮水流域の山々。ここでは、韓愈の住んでいる徐州の地方の山々。○叢叢 草木のたくさん集まっているさま。草が群がり生えているさま。
  
子又舍我去,我懷焉所窮。
つぎに君がまた私をおいて行ってしまったら、我が思うことというのはなにごとにおいても窮まることはできない。
  
男兒不再壯,百歲如風狂。
男子に元気に働ける壮年の時は二度とないものだ。我々にとってこれからの一生を古くから伝わっている古風な流れにこだわっていくことなのだ。
風狂 古くから伝わっている古風な流れにこだわっていくこと。
  
高爵尚可求,無爲守一鄉。」14
君はこれからまだ中央朝廷の高い地位をも望めるのだ。一つの土地、地方の組織に固執することのないようにしなくてはいけないのだ。
 ○高爵 中央の朝廷での高い地位。○一鄉 一つの土地に固執すること。若い時は地方の幕府で下働きをし、認められて中央に引き上げられるもの。


前の詩に出た張建封は、詳しい事情はわからないが、愈とは以前からの知りあいであったのだ。 汴州から避難して来た韓愈とその家族に援助の手をさしのべて、住宅の世話をしてくれ、生計のめんどうまで見てくれたのである。韓愈は当然感謝したであろうが、そうそういつまでも張建封 の好普還甘えてもいられない。その年(貞元十五年)の秋、家族を連れて徐州を去ろうとした。それを建封が引き止めて、自分の幕府の幕僚に任命してくれた。これで失業状態の愈に職が与えられたわけだが、どうしたものか、これは韓愈の意にそうものではなかったらしい。

韓愈も徐州武寧軍節度使 張建封の幕府にいつまでもいることには躊躇しているようだ。

次の「忽忽」の詩へつづいていくのである。

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