歸彭城 #4(全4回) 韓愈 中唐詩-225 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-23


796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 汴州の乱汴州亂二首其一 韓愈特集-6
        汴州亂二首其二 韓愈特集-7
    此日足可惜贈張籍 韓愈-7-#1 ~14
    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。
    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。
    忽忽
800年 春長安より徐州へ帰る。幕府を退く。
    歸彭城(彭城に帰る)
    山石    ・孟郊常州に行く。


歸彭城 #4(全4回) 韓愈
 韓愈の常日頃頭の中に有ることは、浮世を捨てて隠士となり、孤高の生活を守りたいとおもっている。しかし、現実には「孔丘の道」をとろうとすることは許されないのだ。理想は天子のそばにあって、それを名君といわれるほどの聖天子に仕立てることにあり、また自分にはそれができる能力があると信じていることなのだ。
だからといって、武寧軍節度使の幕僚としてのつとめをおろそかにして、仁義、礼節を怠ることはしてはいない。幕僚になったばかりの貞元十五年冬、張建封のの供をして、長安の都まで出張した。徐州(彭城)へ帰ったのは、880年貞元十六年二月であった。その時作ったのが五言古詩「歸彭城」(彭城に帰る)詩である。


<詩の背景>
絶対的権威は失われ、朝廷の内部は、権力闘争があり、実態は宦官勢力が、要職を占めるに至っており、皇帝の権威は失われてきていた。財政的にも、節度使、潘鎮からの租税が低減しているし、主たる海外貿易の利権は安史の乱の約束により、ウイグルに吸収されていたのだ。国の富が減っていく中で太平はいったいいつになったら得られるのだろうか。


<#3までの要旨>
880年貞元十五年、節度使の呉少誠が謀反し、対応の近隣の節度使に討伐に出兵を命じた。国家の大計、大所高所に立った判断、適宜の計画を立てていないからだ。前年は関中地方に干ばつがあり、去年、洛陽地方では洪水で餓死、水死者がたすうであった。禍福はそれぞれに然るべき理由によって起こることなのだ。わたくしはいささかの策をささげたいと思ったが、天子の御前まで出るにはてだてがないのだが、建白書を書いた。『列子』に見える昔話のように、芹を食べてうまかったところで、それを君主に献上しょうとするのは言うまでもなく愚かなことときまっている。先般、都長安へ行って、何度か節度使の御車にお供をして走っていった。


歸彭城 #1
天下兵又動,太平竟何時。訏謨者誰子,無乃失所宜。
前年關中旱,閭井多死饑。去歲東郡水,生民爲流屍。
上天不虛應,禍福各有隨。」
#2
我欲進短策,無由至彤墀。刳肝以爲紙,瀝血以書辭。
上言陳堯舜,下言引龍夔。言詞多感激,文字少葳蕤。
一讀已自怪,再尋良自疑。」
#3
食芹雖雲美,獻禦固已癡。緘封在骨髓,耿耿空自奇。
昨者到京城,屢陪高車馳。周行多俊異,議論無瑕疵。
見待頗異禮,未能去毛皮。」
#4
到口不敢吐,徐徐俟其巇。
そこで、口まで出かかっても言おうとはせず、おもむろによい機会が来るのを待っていた。
歸來戎馬間,驚顧似羈雌。
節度使の幕府に帰って来てからというもの、幕府の様子が変わっているので、きょろきょろとしてあたりを見まわし、いつもつがいのもがのに離れた雌鳥のようになっている。
連日或不語,終朝見相欺。
連日にわたって何も語れないこともあるし、終日ずっとそうしていると仲間から馬鹿にされる。
乘閑輒騎馬,茫茫詣空陂。
ひまを見つけては馬に乗り、ひろびろと続く何もない土手の上を行く。
遇酒即酩酊,君知我爲誰。」

そして酒にあえはすぐに酔ってしまう。こんな自分を君は誰と思っているのだ。

(彭城に帰る) 
天下 兵又た動く、太平 竟に何れの時ぞ。
訏謨(くぼ)する者は誰が子ぞ、乃ち宜しき所を失えること無からんや。
前年 関中 旱(ひで)り、 閭井(りょい) 死飢多し。
去歳 東郡水あり、生民 流屍(りゅうし)と為る。
上天 虚しくは応ぜず、禍福(かふく) 各々(おのおの)と随うこと有り。
#2
我 短策を進めんと欲するも、形塀に至るに由(よし)無し。
肝を刳(えぐ)りて以て紙と為し、血を瀝(そそ)ぎて以て辞を書す。
上言は堯舜を陳(の)ベ、下言は龍夔(りゅうき)を引く。
言詞 感激多く、文字 葳蕤(いずい)少なし。
一たび 読みて 己に自ら怪しみ、再び尋ねて 良(まこと)に自ら疑う。
#3
芹(せり)を食いて美なりと云うと雖も、御(ぎょ)に献ずるは固(もと)より己に痴(ち)なり。
鍼封(かんぷう)して骨髄に在り、耿耿(こうこう)として空しく自ら奇とす。
昨者(さきごろ) 京師(けいし)に到り、屡々高車に陪して馳す。
周行 俊異(しゅんい)多く、議論 瑕疵(かし)無し。
待(たい)せらるること頗(すこぶ)る礼を異にするも、未だ毛皮(もうひ)を去る能わず
#4
口に到るも敢て吐かず、徐徐に其の巇(ぎ)を俟(ま)つ。
戎馬の間に帰り来て、驚顧(きょうこ)すること羈雌(きし)に似たり。
連日 或いは語らず、終朝 相 欺(あざむ)かる。
間に乗じて輒(すなわ)ち馬に騎(の)り、茫茫たる空陂(くうば)に詣(いた)る。
酒に遇えば即ち酩酊(めいてい)す 君知るや 我を誰とか為す。


現代語訳と訳註
(本文) #4

到口不敢吐,徐徐俟其巇。
歸來戎馬間,驚顧似羈雌。
連日或不語,終朝見相欺。
乘閑輒騎馬,茫茫詣空陂。
遇酒即酩酊,君知我爲誰。」


(下し文) #4
口に到るも敢て吐かず、徐徐に其の巇(ぎ)を俟(ま)つ。
戎馬の間に帰り来て、驚顧(きょうこ)すること羈雌(きし)に似たり。
連日 或いは語らず、終朝 相 欺(あざむ)かる。
間に乗じて輒(すなわ)ち馬に騎(の)り、茫茫たる空陂(くうば)に詣(いた)る。
酒に遇えば即ち酩酊(めいてい)す 君知るや 我を誰とか為す。


(現代語訳)
そこで、口まで出かかっても言おうとはせず、おもむろによい機会が来るのを待っていた。
節度使の幕府に帰って来てからというもの、幕府の様子が変わっているので、きょろきょろとしてあたりを見まわし、いつもつがいのもがのに離れた雌鳥のようになっている。
連日にわたって何も語れないこともあるし、終日ずっとそうしていると仲間から馬鹿にされる。
ひまを見つけては馬に乗り、ひろびろと続く何もない土手の上を行く。
そして酒にあえはすぐに酔ってしまう。こんな自分を君は誰と思っているのだ。


(訳注)#4
到口不敢吐,徐徐俟其巇。

口に到るも敢て吐かず、徐徐に其の巇(ぎ)を俟(ま)つ。
そこで、口まで出かかっても言おうとはせず、おもむろによい機会が来るのを待っていた。
○俟其巇 よい機会が来るのをまっている。


歸來戎馬間,驚顧似羈雌。
戎馬の間に帰り来て、驚顧(きょうこ)すること羈雌(きし)に似たり。
節度使の幕府に帰って来てからというもの、幕府の様子が変わっているので、きょろきょろとしてあたりを見まわし、いつもつがいのもがのに離れた雌鳥のようになっている。
○戎馬 節度使と長安から帰ってきた。お供の兵軍を従えていた。○羈雌 羈の用語解説 - [音]キ(呉)(漢) 1 手綱でつなぎとめる。つないで自由を奪う。「羈絆(きはん)/不羈」 2 馬で旅をする。


連日或不語,終朝見相欺。
連日 或いは語らず、終朝 相 欺(あざむ)かる。
連日にわたって何も語れないこともあるし、終日ずっとそうしていると仲間から馬鹿にされる。


乘閑輒騎馬,茫茫詣空陂。
間に乗じて輒(すなわ)ち馬に騎(の)り、茫茫たる空陂(くうば)に詣(いた)る。
ひまを見つけては馬に乗り、ひろびろと続く何もない土手の上を行く。
○茫茫 ひろびろと広がっているさま。○空陂 あたりに何もない土手の道。


遇酒即酩酊,君知我爲誰。」
酒に遇えば即ち酩酊(めいてい)す 君知るや 我を誰とか為す。
そして酒にあえはすぐに酔ってしまう。こんな自分を君は誰と思っているのだ。


(彭城に帰る-あとがき)

彭城とは徐州の古名である。この詩は長安から徐州へ帰って間もなくの作である。東郡の水害を去年のこととしているので、800年貞元十六年初頭のものである。詩の末尾にいう「君」とは幕府の張建封のことで、韓愈は張建封に不満をもち、詩によって啖呵を切ったのである。
同じ800年貞元十六年の五月、韓愈は一家をあげて徐州を去り、洛陽へと移住した。幕僚の脱職している。そのの理由は明らかでないが、厳格すぎる張建封にとって、仁、礼節を重んじる韓愈に物足りなさを感じ、韓愈は、張建封が重い病気にかかり、五月十三日には死んで愈をかばってくれる人が一人もいなくなったことで、死後、五月十五日にはお定まりの反乱が武寧軍に起こる。しかし、クビになったおかげで、韓愈の一家はまぬがれることができた。韓愈は、家臣の不満を感じ取っていたので早くそこから逃れられたということではなかろうか。
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歸彭城 #1
天下兵又動,太平竟何時。
天下に兵乱の気配が充満しており、また、兵を動かすのである。880年貞元十五年、節度使の呉少誠が謀反し、太平の世というのは竟に何時になるかわからない。
訏謨者誰子,無乃失所宜。
朝廷ではその場対応の近隣の節度使に討伐のためのやる気のないものに出兵を命じているのだ。こんなことでは抜本的なものにはならない。国家の大計を立てているのは誰か、大所高所に立った判断、適宜の計画を立てそこなったのではあるまいか。
前年關中旱,閭井多死饑。
前年は関中地方に干ばつがあり、村里、街中飢饉での餓死者が多くでたのであった。
去歲東郡水,生民爲流屍。
去年、洛陽地方では大雨があり洪水のため、民衆は水死してしまった。
上天不虛應,禍福各有隨。」

地上で適宜の大計もなされないし、天上においてもむなしく応じてくれることはあるはずがないのだ、禍福はそれぞれに然るべき理由によって起こることなのだ。
#2
我欲進短策,無由至彤墀。
わたくしはいささかの策をささげたいと思ったが、天子の御前まで出るにはてだてがない。
刳肝以爲紙,瀝血以書辭。
わたしは渾身を込める肝をえぐって紙としたのだ、血をしたたらせるほどの建白書を書いたのだ。
上言陳堯舜,下言引龍夔。
まず上のこととしては堯帝、舜帝の例を述べ、下のこととして、その補佐役である竜・夔をも例に引いた。
言詞多感激,文字少葳蕤。
その言葉には感激した多くところがあり、文章には飾りが少ないものであった。
一讀已自怪,再尋良自疑。」

一読しただけで自分でも変な文章だと思い、もう一度読みながら考えて、正直なところ自分でもどうかと思うほどの建白書ではあった。

#3
食芹雖雲美,獻禦固已癡。
『列子』に見える昔話のように、芹を食べてうまかったところで、それを君主に献上しょうとするのは言うまでもなく愚かなことときまっている。
緘封在骨髓,耿耿空自奇。
そこ でしっかりと封をして胸のうち深くしまいこみ、自分一人が気にかかっていてたいせつにして奇策だと思いこんでいるばかりなのだ。
昨者到京城,屢陪高車馳。
先般、都長安へ行って、何度か節度使の御車にお供をして走っていったものだ。
周行多俊異,議論無瑕疵。
居ならぶ人々にはすぐれた方たちが多く、その議論には欠点がなかった。
見待頗異禮,未能去毛皮。」
わたくしに対する態度はいささか通常の礼をこえて鄭重なものではあったが、まだ遠慮を捨てきることはできない。
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