將歸贈孟東野房蜀客 韓愈 中唐詩-228 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22
將に歸らんとして孟東野(もうとうや)、房蜀客(ぼうしょくかく)に贈る

796年 董晋の招きで宣武軍節度使の幕府に入る。
797年 病気のため一時求職。
    孟郊が来る。
798年 同所で進士科の予備試験員。
    張籍、この試験合格者の中に有る。
799年 汴州の乱汴州亂二首其一 韓愈特集-6

        「汴州亂二首其二 韓愈特集-7

    「此日足可惜贈張籍 韓愈-7-#1 ~14

    徐州武寧軍節度使 張建封の幕府に入る。

    韓愈、命受けて長安へ。孟郊、呉、越を遊覧。

    「忽忽」忽忽 唐宋詩-218 Ⅱ韓退之(韓愈)  韓愈特集-22



800年 春長安より徐州へ帰る。幕府を退く。

    彭城に帰る

    「歸彭城」 #1(全4回) 韓愈 唐宋詩-219 Ⅱ韓退之(韓愈) 韓愈特集-23


801年貞元十七年
身言書判科を受験して、落第。三月、洛陽、冬、長安に戻る。孟郊、溧陽の尉となる。
     「山石
 ・孟郊常州に行く。
「将歸贈孟東野房蜀客」(將に帰らんとして孟東野・房蜀客に贈る。)

同じ800年貞元十六年の五月、韓愈は一家をあげて徐州を去り、洛陽へと移住した。幕僚の脱職している。その理由は明らかでないが、厳格すぎる張建封にとって、仁、礼節を重んじる韓愈に物足りなさを感じ、韓愈は、張建封が重い病気にかかり、五月十三日には死んで愈をかばってくれる人が一人もいなくなったことで、死後、五月十五日にはお定まりの反乱が武寧軍に起こる。しかし、クビになったおかげで、韓愈の一家はまぬがれることができた。韓愈は、家臣の不満を感じ取っていたので早くそこから逃れられたということではなかろうか。


将歸贈孟東野房蜀客
帰ろうといって、孟郊と房次卿に贈る詩
君門不可入,勢利互相推。
わが君の門は自由に入ることもならぬ。ここを入る資格を得るため、権勢だの利益だのが推薦しあっているのだ。
借問讀書客,胡為在京師?
ところで学問につとめている人(自分自身)よ、どういうつもりで都にいるのか。
舉頭未能對,閉眼聊自思。」
頭は挙げたがなかなか返事が出てこない。目をつむって、まずみずから思い起こしてみよう。
倏忽十六年,終朝苦寒饑。
あっというまに十六年が過ぎたが、いつも飢えと寒さに苦しんでいた。
宦途竟寥落,鬢發坐差池。
役人としての出世の道はとうとう望みのないものとなってしまい、わが贅の毛はいつか薄くなってしまった。
潁水清且寂,箕山坦而夷。
その昔、隠者の許由が住んだという頴水の川は清くしかも静かで、箕山は平坦で登りやすい。
如今便當去,咄咄無自疑。

今こそさっさとそちらへ去ろう。ぶつぶつとひとりごとを言って思いまどうことはなしにしよう。

將に歸らんとして孟東野(もうとうや)、房蜀客(ぼうしょくかく)に贈る。
君門 入る可からず、勢利 互いに相推す。
借問す読書の客、胡為れぞ京師に在る。
頭を挙ぐるも未だ対うる能わず、眼を閉じて聊(いささ)か自ら思う。
條忽たり十六年、終朝寒飢に苦しめり。
官途 寛に蓼落、鬢髪 坐ろに差池。
頴水は清くして且つ寂かに、箕山は坦として夷(たいらか)らかなり。
如今(じょこん) 便(すなわ)ち当に去るべし、咄咄として自ら疑うこと無けん。

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現代語訳と訳註
(本文)
将歸贈孟東野房蜀客
君門不可入,勢利互相推。
借問讀書客,胡為在京師?
舉頭未能對,閉眼聊自思。」
倏忽十六年,終朝苦寒饑。
宦途竟寥落,鬢發坐差池。
潁水清且寂,箕山坦而夷。
如今便當去,咄咄無自疑。


(下し文) 將に歸らんとして孟東野(もうとうや)、房蜀客(ぼうしょくかく)に贈る
君門 入る可からず、勢利 互いに相推す。
借問す読書の客、胡為れぞ京師に在る。
頭を挙ぐるも未だ対うる能わず、眼を閉じて聊(いささ)か自ら思う。
條忽たり十六年、終朝寒飢に苦しめり。
官途 竟に蓼落(りょうらく)、鬢髪 坐ろに差池。
頴水は清くして且つ寂かに、箕山は坦として夷(たいらか)らかなり。
如今(じょこん) 便(すなわ)ち当に去るべし、咄咄として自ら疑うこと無けん。


(現代語訳)
帰ろうといって、孟郊と房次卿に贈る詩
わが君の門は自由に入ることもならぬ。ここを入る資格を得るため、権勢だの利益だのが推薦しあっているのだ。
ところで学問につとめている人(自分自身)よ、どういうつもりで都にいるのか。
頭は挙げたがなかなか返事が出てこない。目をつむって、まずみずから思い起こしてみよう。
あっというまに十六年が過ぎたが、いつも飢えと寒さに苦しんでいた。
役人としての出世の道はとうとう望みのないものとなってしまい、わが贅の毛はいつか薄くなってしまった。
その昔、隠者の許由が住んだという頴水の川は清くしかも静かで、箕山は平坦で登りやすい。
今こそさっさとそちらへ去ろう。ぶつぶつとひとりごとを言って思いまどうことはなしにしよう。


(訳注)
将歸贈孟東野房蜀客

帰ろうといって、孟郊と房次卿に贈る詩
孟東野 孟郊のことである。○房萄客 房次卿という人で、萄客は字。愈はこの人について「文才」があったと記録しており、すでに官僚となっていたが、出世せずに終わっている。


君門不可入,勢利互相推。
わが君の門は自由に入ることもならぬ。ここを入る資格を得るため、権勢だの利益だのが推薦しあっているのだ。
 朝廷内における派閥のこと。この二句は、書生生活をさせてもらうには、貴族の家に入り込むのだが、及第してからも従属関係を強いられることになるのでよくないといっているのである。この詩は801年であるが、牛李の党争としては、808年から849年にかけて起こった政争は日常的に起こっており、国を挙げて政争がはっきりとし始めたのが808年で、それまでも陰湿にくりひろげられていた。牛僧孺・李宗閔の牛党と李徳裕の李党の間で激しい権力闘争が行われ、政治的混乱をもたらしたのであるが、、一方で、宦官勢力は、牛李勢力以上の勢力をその裏で伸ばしていっていたのである。そういう意味では、この政争は唐王朝の頽廃を急速に進めることになったもので、唐滅亡の要因となった事なのである。韓愈は唐の太宗の時代、あるいは、古代における仁義・仁徳の政治に引き戻すことを提唱していくのである。


借問讀書客,胡為在京師?
ところで学問につとめている人(自分自身)よ、どういうつもりで都にいるのか。
讀書客 学問につとめている人。韓愈のグループを指す。○胡為 何のために~するのか。疑問詞+ 他の語, 何以~, なにヲもッテ[カ]~[スル], どうやって~か。 どうして~か。 何為(胡為・奚為)~, なんすレゾ~[スル], どうして~か。


舉頭未能對,閉眼聊自思。」
頭は挙げたがなかなか返事が出てこない。目をつむって、まずみずから思い起こしてみよう。


倏忽十六年,終朝苦寒饑。
あっというまに十六年が過ぎたが、いつも飢えと寒さに苦しんでいた。
十六年 786年韓愈『門を出ず』19歳の時に上京しているので34歳になっているので差し引き16年となる。


宦途竟寥落,鬢發坐差池。
役人としての出世の道はとうとう望みのないものとなってしまい、わが贅の毛はいつか薄くなってしまった。
宦途 ○寥落  荒れ果ててすさまじいこと。荒廃すること。 ○差池 互い違いになること。不ぞろいであること。SV構文である。〔ついに、宦途は寥落〕:〔いつの間にか、鬢發は差池〕出世はぢ着ないし、頭は薄くなってきた。


潁水清且寂,箕山坦而夷。
その昔、隠者の許由が住んだという頴水の川は清くしかも静かで、箕山は平坦で登りやすい。
穎水 河南省登封県の西、すなわち嵩山の南方に源を発し、南に向って流れ、安徽省に入って准河と合流している。伝説によると、大昔、堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういぅ話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。(既定の文字数を超えるためリンクできないので下の詩は<検索>入力で)
此日足可惜贈張籍 唐宋詩-217Ⅱ韓退之(韓愈)韓愈特集-18-11 317孟浩然⑩『南山下與老圃期種瓜』(孟浩然詩全集卷160_88)
「箕山の節」 俗世間から逃れて、自分の節操を守ることで、自己の信念に忠実であることのたとえ。「箕山の志」ともいう。やはりことわざになっているのが「穎水で耳を洗う。」

行路難 三首 其三 李白185
古風 五十九首 其二十四 李白 李白172と玄宗(5
送裴十八図南歸嵩山 其二 李白詩 165
喜晴 杜甫特集700- 159
自京赴奉先縣詠懷五百字 杜甫 杜甫特集700-105-



如今便當去,咄咄無自疑。
今こそさっさとそちらへ去ろう。ぶつぶつとひとりごとを言って思いまどうことはなしにしよう。


解説
 詩人の最後の言葉は、それが結論ではない。そこをしたいということと今それをすることとは違う。ここでは隠遁生活に入りたいと許由を例に取っているが、こういう場合、今なすべきこと、目標がある場合に精一杯励んできたがうまくいかない、あるいは、最後の砦として、これがだめだったら、隠遁生活をしようといっているのである。確かにこの時代の詩人の憧れは、隠遁生活であるが、それは生活が苦しいからである。高級官僚にならないと暮らせないからである。下級官僚は夜明け前に家を出当て日が暮れてから家に帰るのである。ほとんど休みはない。詩人が詩を書ける時間が全くないのである。したがって、半官半隠が最大の理想とされたのである。俸禄はわずかでも、あとは自給自足で食いつなげて行けて、詩を書くことができたら最高だというのである。

 これは杜甫の場合などによく見られる解釈であるが、最期の句に「涕涙を止められず嘆く」と書いている。悲観にくれて歎くと解釈されている例が多いが、詩人は嘆くことであると冷静さを引き戻らせるためにその後を使っている。涙が止まらず嘆くと解釈して行けない。嘆き悲しんでいてどうするのか自分には目標があるだろうという語を残しているのである。

 中国の唐宋時代の詩人は強調する手法を色々とっている。この時期に漢詩は完成されたのである。この時期の語句の使い方には、一語をいろんな語と掛けていくことも多くなっている。
 一般の解釈で、韓愈が孟郊(孟東野)、房次卿(房蜀客)に対して一緒に隠遁生活に入ろうではないかと投げかけているようにとられているが、この詩は、逆で、最期は一緒に隠遁生活をすればいいので、もう少し、受験にはげみ及第して仕官しようといっているのである。

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