中唐詩231 贈蘇州韋郎中使君 #1Ⅶ孟郊(孟東野)<14>紀頌之の漢詩ブログ

 孟郊の文学論を祖先を門閥に持つ韋応物にあてて述べている作品。
批評された文学者は謝霊運、徐陵、庾信、曹植、劉楨であり、韋応物は、謝霊運のようであるとする。
 絶句四篇を一つに並べ啖呵を切るように詠ったものでなかなか面白い作品である。


贈蘇州韋郎中使君 孟郊

贈蘇州韋郎中使君
謝客吟一聲,霜落群聽清。
謝霊運がその詩をひとたび吟じたならば、たちまち霜がふってきて烏合の衆が聞いていてもその山水の世界へと清められ惹かれていく。
文は元氣を含みて柔らかく,萬物を鼓動して輕なり。

文含元氣柔,鼓動萬物輕。」
その詩文は、爽快で力強くそれでいて柔軟な雰囲気を持っている、脈打つ動きに対して万物は軽快になる。
嘉木依性植,曲枝亦不生。
美しい木はそれぞれが持っている特性、本性によって選定して植える、そうすると、その気に似合わない曲がった木というものがそこで生じることはないのである。
塵埃徐庾詞,金玉曹劉名。』
掃き溜めのごみの様な徐陵、庾信により「徐庾体」という艶麗な詩風を確立した、黄金か宝玉の様なものとして、建安文学の曹植、劉楨の名声が輝くのである。

#2
章句作雅正,江山益鮮明。萍蘋一浪草,菰蒲片池榮。」
曾是康樂詠,如今搴其英。顧惟菲薄質,亦願將此並。」

蘇州韋郎中使君に贈る
謝客 一聲を吟ずれば,霜落ち 群聽清し。
文は元氣を含みて柔らかく,萬物を鼓動して輕なり。」
嘉木 性に依って植えれば,曲枝も亦 生ぜず。
塵埃たり 徐庾の詞,金玉たるは 曹劉の名なり。』
#2
章句 雅正を作せば,江山 益々鮮明。
萍蘋 一浪の草,菰蒲 片池の榮なり。」
曾て是れ 康樂の詠みしところ,如今 其の英を搴(と)る。
顧みて菲薄の質を惟い,亦 此を將て並ばんことを願う。』


現代語訳と訳註
(本文)
贈蘇州韋郎中使君
謝客吟一聲,霜落群聽清。
文含元氣柔,鼓動萬物輕。」
嘉木依性植,曲枝亦不生。
塵埃徐庾詞,金玉曹劉名。』


 (下し文)蘇州韋郎中使君に贈る
謝客 一聲を吟ずれば,霜落ち 群聽清し。
文は元氣を含みて柔らかく,萬物を鼓動して輕なり。
嘉木 性に依って植えれば,曲枝も亦 生ぜず。
塵埃たり 徐庾の詞,金玉たるは 曹劉の名なり。


(現代語訳)
謝霊運がその詩をひとたび吟じたならば、たちまち霜がふってきて烏合の衆が聞いていてもその山水の世界へと清められ惹かれていく。
文は元氣を含みて柔らかく,萬物を鼓動して輕なり。
その詩文は、爽快で力強くそれでいて柔軟な雰囲気を持っている、脈打つ動きに対して万物は軽快になる。
美しい木はそれぞれが持っている特性、本性によって選定して植える、そうすると、その気に似合わない曲がった木というものがそこで生じることはないのである。
掃き溜めのごみの様な徐陵、庾信により「徐庾体」という艶麗な詩風を確立した、黄金か宝玉の様なものとして、建安文学の曹植、劉楨の名声が輝くのである。



(訳注)
贈蘇州韋郎中使君

○786年に蘇州刺史になり、わずかして引退、891年没っした韋応物におくったもの。


謝客吟一聲,霜落群聽清。
謝客 一聲を吟ずれば,霜落ち 群聽清し。
謝霊運がその詩をひとたび吟じたならば、たちまち霜がふってきて烏合の衆が聞いていてもその山水の世界へと清められ惹かれていく。
謝客 「康楽」は晋末宋初の謝霊運のことである。385 - 433年は、東晋・南朝宋の詩人・文学者。本籍は陳郡陽夏(現河南省太康)。魏晋南北朝時代を代表する詩人で、山水を詠じた詩が名高く、「山水詩」の祖とされる。六朝時代を代表する門閥貴族である謝氏の出身で、祖父の謝玄は淝水の戦いで前秦の苻堅の大軍を撃破した東晋の名将である。祖父の爵位である康楽公を継いだため、後世では謝康楽とも呼ばれる。聡明で様々な才能に恵まれたが性格は傲慢で、大貴族出身だったことも災いし、後に刑死した。


文含元氣柔,鼓動萬物輕。」
文は元氣を含みて柔らかく,萬物を鼓動して輕なり。
その詩文は、爽快で力強くそれでいて柔軟な雰囲気を持っている、脈打つ動きに対して万物は軽快になる。


嘉木依性植,曲枝亦不生。
嘉木 性に依って植えれば,曲枝も亦 生ぜず。
美しい木はそれぞれが持っている特性、本性によって選定して植える、そうすると、その気に似合わない曲がった木というものがそこで生じることはないのである。
嘉木  美しい木。りっぱな木。「嘉木芳草」


塵埃徐庾詞,金玉曹劉名。』
塵埃たり 徐庾の詞,金玉たるは 曹劉の名なり。
掃き溜めのごみの様な徐陵、庾信により「徐庾体」という艶麗な詩風を確立した、黄金か宝玉の様なものとして、建安文学の曹植、劉楨の名声が輝くのである。
徐庾 徐陵と庾信のこと。「徐庾体」という艶麗な詩風を確立した。孟郊は、宮廷の中で艶詩を用い媚びるものであったとする。○曹劉 建安文学の曹植、劉楨のこと。孟郊は詩経を受け継ぐものとして、風骨のあるものとしている。


孟郊(751~814)

謝客 康楽は晋末宋初の謝霊運
謝 霊運(しゃ れいうん、385年(太元10年) - 433年(元嘉10年))は、中国東晋・南朝宋の詩人・文学者。本籍は陳郡陽夏(現河南省太康)。魏晋南北朝時代を代表する詩人で、山水を詠じた詩が名高く、「山水詩」の祖とされる。
六朝時代を代表する門閥貴族である謝氏の出身で、祖父の謝玄は淝水の戦いで前秦の苻堅の大軍を撃破した東晋の名将である。祖父の爵位である康楽公を継いだため、後世では謝康楽とも呼ばれる。聡明で様々な才能に恵まれたが性格は傲慢で、大貴族出身だったことも災いし、後に刑死した。


韋 応物(い おうぶつ、736年 - 791年?)は中国・唐(中唐)の詩人。京兆府長安県(陝西省西安市)出身。
北周朝からの名門の家に生まれ、若い頃は太学に学んだ。玄宗に近衛士官(三衛郎)として仕えた。玄宗のおぼえはめでたかったものの、強気なところがあった。安史の乱の後、職を失ったため故郷に帰って貧窮した。そこで心を入れ替えて勉学に励んだ。その後、下級の地方官を転々とした。