中唐詩232 贈蘇州韋郎中使君 #2 Ⅶ孟郊(孟東野)<14-2>紀頌之の漢詩ブログ

 孟郊の文学論を祖先を門閥に持つ韋応物にあてて述べている作品。
批評された文学者は謝霊運、徐陵、庾信、曹植、劉楨であり、韋応物は、謝霊運のようであるとする。
 絶句四篇を一つに並べ啖呵を切るように詠ったものでなかなか面白い作品である。


贈蘇州韋郎中使君 孟郊


贈蘇州韋郎中使君
謝客吟一聲,霜落群聽清。文含元氣柔,鼓動萬物輕。」
嘉木依性植,曲枝亦不生。塵埃徐庾詞,金玉曹劉名。』
#2
章句作雅正,江山益鮮明。
詩句を作成するのに鴟梟の風雅をもってすれば、大河、江川はますます鮮明にその「趣き」を深くするのである。
萍蘋一浪草,菰蒲片池榮。」
今の流行している詩文は艶麗な詩風の真似事で浮草のように波に漂っている一草の様なものだ、そんなものが、「まこも」と蒲のように池の周りに繁っているようである。
曾是康樂詠,如今搴其英。
自然山水ならかつて謝康樂がうたっている、今でいえば韋応物、あなたがその英を受け継いでいるのである。
顧惟菲薄質,亦願將此並。」

私自身をかえりみれば粗末で軽薄な詩質なものだと思うのであり、できるならばあなたの詩に並びたいと思い願うのである。


謝客 一聲を吟ずれば,霜落ち 群聽清し。
文は元氣を含みて柔らかく,萬物を鼓動して輕なり。」
嘉木 性に依って植えれば,曲枝も亦 生ぜず。
塵埃たり 徐庾の詞,金玉たるは 曹劉の名なり。』
#2
章句 雅正を作せば,江山 益々鮮明。
萍蘋 一浪の草,菰蒲 片池の榮なり。」
曾て是れ 康樂の詠みしところ,如今 其の英を搴(と)る。
顧みて菲薄の質を惟い,亦 此を將て並ばんことを願う。』


現代語訳と訳註
(本文)
贈蘇州韋郎中使君 #2
章句作雅正,江山益鮮明。
萍蘋一浪草,菰蒲片池榮。」
曾是康樂詠,如今搴其英。
顧惟菲薄質,亦願將此並。」

 (下し文)蘇州韋郎中使君に贈る #2
章句 雅正を作せば,江山 益々鮮明。
萍蘋 一浪の草,菰蒲 片池の榮なり。
曾て是れ 康樂の詠みしところ,如今 其の英を搴(と)る。
顧みて菲薄の質を惟い,亦 此を將て並ばんことを願う


(現代語訳)#2
詩句を作成するのに鴟梟の風雅をもってすれば、大河、江川はますます鮮明にその「趣き」を深くするのである。
今の流行している詩文は艶麗な詩風の真似事で浮草のように波に漂っている一草の様なものだ、そんなものが、「まこも」と蒲のように池の周りに繁っているようである。
自然山水ならかつて謝康樂がうたっている、今でいえば韋応物、あなたがその英を受け継いでいるのである。
私自身をかえりみれば粗末で軽薄な詩質なものだと思うのであり、できるならばあなたの詩に並びたいと思い願うのである。


(訳注)贈蘇州韋郎中使君 #2
章句作雅正,江山益鮮明。

章句 雅正を作せば,江山 益々鮮明。
詩句を作成するのに鴟梟の風雅をもってすれば、大河、江川はますます鮮明にその「趣き」を深くするのである。
雅正 「大雅」や「風雅」と結びつく、思想を主とした正しい詩、すなわち『詩経』の伝統を表す語である。孟郊において建安文学が重要な位置を占めることをあらわしたものである。


萍蘋一浪草,菰蒲片池榮。」
萍蘋 一浪の草,菰蒲 片池の榮なり。
今の流行している詩文は艶麗な詩風の真似事で浮草のように波に漂っている一草の様なものだ、そんなものが、まこもと蒲のように池の周りに繁っているようである。
萍蘋 浮き草。中州、湿地帯に生えるその地に根を下ろしていない浮き草をいう。○菰蒲 まこもとがま。蒲は夏. 水辺に生え、穂の茶色い部分はフランクフルトソーセージみたいな感じのもの。


曾是康樂詠,如今搴其英。
曾て是れ 康樂の詠みしところ,如今 其の英を搴(と)る。
自然山水ならかつて謝康樂がうたっている、今でいえば韋応物、あなたがその英を受け継いでいるのである。


顧惟菲薄質,亦願將此並。」
顧みて菲薄の質を惟い,亦 此を將て並ばんことを願う。
私自身をかえりみれば粗末で軽薄な詩質なものだと思うのであり、できるならばあなたの詩に並びたいと思い願うのである。
菲薄  粗末で劣っていること。才能などの乏しいこと。また、そのさま。


孟郊が15歳年長者の韋応物に贈ったものである。詩中「謝客」「康楽」は晋末宋初の謝霊運のことである。
この詩では韋郎中使君、つまり韋応物を同じ門閥出身者の謝霊運になぞらえて称えている。どちらも山水詩人として高名であり、謝霊運を詠った李白などとは違って軽快で面白い。批評としても絶妙であり、「清」「柔」「軽」という語で二人の詩を端的にとらえている。「嘉木 性に依って植えれば,曲枝も亦 生ぜず。」は孟郊らしい偏見でおもしろい。

六朝時代玉臺新詠に代表される艶情歌のこと、詩中では「徐庾」は徐陵・庾信のことで、「徐庾の詞」「徐庾体」を確立し、宮中での歌には欠かせない大流行させていたものである。彼らの綺鑑麗華な詩風を孟郊はそれを「塵埃」であると排斥し、かわりに「金玉」である「曹劉」を称揚する。「曹劉」は曹植・劉楨のこと,で、いわゆる建安の詩風を表している。有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。