中唐詩-240 渡遼水 Ⅻ.王建<1> 紀頌之の漢詩ブログ

中国、中唐の詩人。字(あざな)は仲初(ちゅうしょ)。潁川(えいせん)(河南省許昌(きょしょう)市)の人。775年(大暦10)の進士。身分の低い寒門出身のため、官途についても栄進せず、地方官や大府寺丞(だいふじじょう)、侍御史(じぎょし)などの小官を歴任し、晩年には辺塞(へんさい)で従軍生活を送った。これらの境遇は彼を困窮した人民の同情者とし、文学活動において、平易な表現を旨とする民歌形式である楽府詩(がふし)を用いて、鋭く現実を批判し、中唐新楽府運動の一環を担わせることとなった。彼は親友で文学傾向を同じくする張籍(ちょうせき)と「張王」と併称され、「宮詞(きゅうし)」100首は当時世評が高かった。『王建詩集』10巻。
新嫁娘詞三首 〈新嫁娘:新婚の女性。新たに嫁いできた女性。〉、渡遼水。行宮(寥落古行宮)。故行宮詩(寥落古行宮)。 宮中調笑(團扇)。 宮中調笑(楊柳)。などがある。 

渡遼水 Ⅻ.王建 七言雑詩

渡遼水,    此去咸陽五千里。
中原の遙か北方の遼河(りょうが)を渡る。ここ遼河の畔(ほとり)を去ること五千里のところに漢民族の故地、咸陽の都がある。
來時父母知隔生,重著衣裳如送死。
あの出征の時、父母は、これが生死を隔(へだ)てる見納めの別れだと分かって。改めて衣裳を着替えたのは、死者を送る時のようであった。 
亦有白骨歸咸陽,營家各與題本鄕。
また、白骨として遺骨が咸陽(かんよう)の都に帰ることもあるということで、兵営の中心部では、各(おのおの)に本籍地を書き記(しる)して付けている。 
身在應無回渡日,駐馬相看遼水傍。
この身は、当然のことだが、生きて再び遼河を渡って回(かえ)る日など無いということはわかっている、だからせめても、馬をしばらく駐(とど)めて、遼河の畔(ほとり)で故郷の空を見遣(みや)っている。


(遼水を渡る)      
遼水【りょうすい】を渡る,此を去ること 咸陽【かんよう】五千里。
來たる時 父母 生を隔つと知り,重ねて衣裳を著ること 死を送るが如し。
亦た 白骨の咸陽に歸ることも有りて,營家 各々の本郷を題【しる】して與【あた】ふ。
身 應に渡りて 回【かへ】る日 無かるべきに在れば,馬を駐【とど】めて 相看る 遼水【りょうすい】の傍【ほとり】に。


現代語訳と訳註
(本文)
渡遼水 Ⅻ.王建 七言雑詩
渡遼水,    此去咸陽五千里。
來時父母知隔生,重著衣裳如送死。
亦有白骨歸咸陽,營家各與題本鄕。
身在應無回渡日,駐馬相看遼水傍。


(下し文) (遼水を渡る)      
遼水【りょうすい】を渡る,此を去ること 咸陽【かんよう】五千里。
來たる時 父母 生を隔つと知り,重ねて衣裳を著ること 死を送るが如し。
亦た 白骨の咸陽に歸ることも有りて,營家 各々の本郷を題【しる】して與【あた】ふ。
身 應に渡りて 回【かへ】る日 無かるべきに在れば,馬を駐【とど】めて 相看る 遼水【りょうすい】の傍【ほとり】に。


(現代語訳)
中原の遙か北方の遼河(りょうが)を渡る。ここ遼河の畔(ほとり)を去ること五千里のところに漢民族の故地、咸陽の都がある。
あの出征の時、父母は、これが生死を隔(へだ)てる見納めの別れだと分かって。改めて衣裳を着替えたのは、死者を送る時のようであった。 
また、白骨として遺骨が咸陽(かんよう)の都に帰ることもあるということで、兵営の中心部では、各(おのおの)に本籍地を書き記(しる)して付けている。 
この身は、当然のことだが、生きて再び遼河を渡って回(かえ)る日など無いということはわかっている、だからせめても、馬をしばらく駐(とど)めて、遼河の畔(ほとり)で故郷の空を見遣(みや)っている。


(訳注)
渡遼水、此去咸陽五千里。

中原の遙か北方の遼河(りょうが)を渡る。ここ遼河の畔(ほとり)を去ること五千里のところに漢民族の故地、咸陽の都がある。
遼水【りょうすい】遼河【りょうが】のことで渤海国と国境線を画す位置付けにあった。回紇東部と渤海国西部の平野を貫いて流れる大河で河口は唐の領域で三か国にまたがる川であった。現在では内モンゴル自治区に源を発し、遼寧省を南西に流れて現遼東湾に注ぐ。拘柳河ともいう。
 
8世紀唐と周辺国00
地図に示す通り河北道に位置する。
張籍『征婦怨』
九月匈奴殺邊將,漢軍全沒遼水上。
萬里無人收白骨,家家城下招魂葬。
婦人依倚子與夫,同居貧賤心亦舒。
夫死戰場子在腹,妾身雖存如晝燭。
○此去 ここ(遼河のほとり)を去ること。○咸陽 渭水の北岸にある都会で、漢代には、渭城と呼ばれた。渭水を間にして、東南に長安と接する。秦の始皇帝が都を置いた。ここでは、王権が渭城から出征したので故郷のようにいう。王建の故郷は潁川(現・河南省許昌)が故郷である。 

長安・杜曲韋曲

來時父母知隔生、重著衣裳如送死。
あの出征の時、父母は、これが生死を隔(へだ)てる見納めの別れだと分かって。改めて衣裳を着替えたのは、死者を送る時のようであった。 
○來時 出征の時。故郷を離れて来る時。長安に集結し、咸陽(渭城)から出発している。○隔生 生死を隔(へだ)てる見納め。○重著 着替える。○送死 死に目に会う。みとりをする。葬儀をとりしきる。


亦有白骨歸咸陽、營家各與題本鄕。
また、白骨として遺骨が咸陽(かんよう)の都に帰ることもあるということで、兵営の中心部では、各(おのおの)に本籍地を書き記(しる)して付けている。 
 …も(また)。能(よ)く…。○白骨 風雨に晒(さら)されて白くなった骨。タンパク質がバイオ化され、カルシウム分のみになる。○ 本来の居場所(自宅、故郷、墓所)へかえる。○營家 兵営の中心的な所。○ (人に示すために)書く。○本鄕 本籍地。本貫。


身在應無回渡日、駐馬相看遼水傍。
この身は、当然のことだが、生きて再び遼河を渡って回(かえ)る日など無いということはわかっている、だからせめても、馬をしばらく駐(とど)めて、遼河の畔(ほとり)で故郷の空を見遣(みや)っている。 
 きっと。当然。○回渡日 遼河を渡ってかえる日。○回 かえる。○相看 …を見遣(や)る。○傍 ほとり。張籍『征婦怨』「遼水上」の「上」と使うと基本的には同義。
hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/





唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02