Ⅶ孟郊(孟東野) 罪松 #1<20>紀頌之の漢詩ブログ


<賢者の処罰>
青々と茂る松は、冬の寒さにも枯れない。その姿は、逆境にも屈しない固い節操や、高潔な人格にたとえられる。陶淵明「飲酒二十首」其八(『陶淵明集』巻三)の冒頭でも、「青松在東園、衆草没其姿。凝霜殄異類、卓然見高枝」、青い松は庭の雑草に隠れているけれども、霜がほかの草木を枯らすと、ひときわ高くそびえているのが分かる、と松の姿を讃えている。ところが、孟郊は、そのような松の姿を非難する、「罪松」(巻二)と題する詩を書いている。


罪松(孟郊 唐詩)
 #1
  雖爲青松姿,霜風何所宜。
松は寒い中でも青さを残しているというものだが、霜が降り、風が吹くことをどうしていいといえるのか。
  二月天下樹,綠於青松枝。
春を迎えた2月では世の中の木々は芽吹くのである。青松は芽生えた木の葉の美しさに比べればそのみどりは劣っている。(この段階では清廉さは全くない。)
  勿謂賢者喻,勿謂愚者規。
このように松をもって賢者のたとえとすべきではないし、霜風でもって枯れて葉を落とすからといって愚者という規範というべきではない。
  伊呂代封爵,夷齊終身饑。
殷の宰相のように代々国を興した功臣が封ぜられて後世までつづいた、伯夷・叔斉のように高名な隠者で、周に仕えるのを恥じた聖人であってもついに最後には餓死した。
  彼曲既在斯,我正實在茲。」
彼の持っている志を曲げてそうして世に出ようとした、わたしは、それは正しいと思う、そうして実責を出すことで慈悲というものがあるということだ。」
#2涇流合渭流,清濁各自持。
  天令設四時,榮衰有常期。
  榮合隨時榮,衰合隨時衰。
  天令既不從,甚不敬天時。
  松乃不臣木,青青獨何爲。」


青松の姿を為すと雖も、霜風何の宜しき所ぞ。
二月天下の樹、青松の枝よりも緑なり。
賢者の喩と謂うこと勿れ、愚者の規と謂うこと勿れ。
伊呂代々封爵せられ、夷斉終身飢う。
彼の曲既に斯に在り、我の正実に茲に在り。」
涇流渭流に合し、清濁各々自ら持す。
天四時を設けしめ、栄衰常期有り。
栄ゆるには合に時に随いて栄ゆべし、衰うるには合に時に随いて衰うべし。
天令既に従わず、甚だ天の時を敬わず。
松は乃ち不臣の木なり、青青独り何為るものぞ。」




現代語訳と訳註
(本文) 罪松(孟郊 唐詩)
  雖爲青松姿,霜風何所宜。
  二月天下樹,綠於青松枝。
  勿謂賢者喻,勿謂愚者規。
  伊呂代封爵,夷齊終身饑。
  彼曲既在斯,我正實在茲。」
  涇流合渭流,清濁各自持。
  天令設四時,榮衰有常期。
  榮合隨時榮,衰合隨時衰。
  天令既不從,甚不敬天時。
  松乃不臣木,青青獨何爲。」

(下し文)#1
青松の姿を為すと雖も、霜風何の宜しき所ぞ。
二月天下の樹、青松の枝よりも緑なり。
賢者の喩と謂うこと勿れ、愚者の規と謂うこと勿れ。
伊呂代々封爵せられ、夷斉終身飢う。
彼の曲既に斯に在り、我の正実に茲に在り。」

#2
涇流渭流に合し、清濁各々自ら持す。
天四時を設けしめ、栄衰常期有り。
栄ゆるには合に時に随いて栄ゆべし、衰うるには合に時に随いて衰うべし。
天令既に従わず、甚だ天の時を敬わず。
松は乃ち不臣の木なり、青青独り何為るものぞ。」


(現代語訳) 罪松
松は寒い中でも青さを残しているというものだが、霜が降り、風が吹くことをどうしていいといえるのか。
春を迎えた2月では世の中の木々は芽吹くのである。青松は芽生えた木の葉の美しさに比べればそのみどりは劣っている。(この段階では清廉さは全くない。)
このように松をもって賢者のたとえとすべきではないし、霜風でもって枯れて葉を落とすからといって愚者という規範というべきではない。
殷の宰相のように代々国を興した功臣が封ぜられて後世までつづいた、伯夷・叔斉のように高名な隠者で、周に仕えるのを恥じた聖人であってもついに最後には餓死した。
彼の持っている志を曲げてそうして世に出ようとした、わたしは、それは正しいと思う、そうして実責を出すことで慈悲というものがあるということだ。」


(訳注)
雖爲青松姿,霜風何所宜。

青松の姿を為すと雖も、霜風何の宜しき所ぞ。
松は寒い中でも青さを残しているというものだが、霜が降り、風が吹くことをどうしていいといえるのか。
○松は、寺院、寺観、御陵、御廟などにうえられているものである。霜風に屈せず緑をのこすのであるが、清廉潔白というものではない。落葉樹ははお落とす中、緑を残しただけで、高潔な姿というものではない。


二月天下樹,綠於青松枝。
二月天下の樹、青松の枝よりも緑なり。
春を迎えた2月では世の中の木々は芽吹くのである。青松は芽生えた木の葉の美しさに比べればそのみどりは劣っている。(この段階では清廉さは全くない。)


勿謂賢者喻,勿謂愚者規。
賢者の喩と謂うこと勿れ、愚者の規と謂うこと勿れ。
このように松をもって賢者のたとえとすべきではないし、霜風でもって枯れて葉を落とすからといって愚者という規範というべきではない。


伊呂代封爵,夷齊終身饑。
伊呂代々封爵せられ、夷斉終身飢う。
殷の宰相のように代々国を興した功臣が封ぜられて後世までつづいた、伯夷・叔斉のように高名な隠者で、周に仕えるのを恥じた聖人であってもついに最後には餓死した。
伊呂 伊尹(殷の宰相)、夏末期から商(殷)初期にかけての政治家。商王朝成立に大きな役割を果たした。呂尚(太公望)、二人とも国を興した功臣であること。○封爵 諸侯に封じて、官爵を授けること。また、その領地と官爵。 ○夷斉 伯夷・叔斉 殷代末期の孤竹国(現在地不明、一説に河北省唐山市周辺)の王子の兄弟である。高名な隠者で、儒教では聖人とされる。周の武王が紂王を討とうとするのを諫めたが聞き入れられず、周に仕えるのを恥じて、首陽山に隠れて餓死した。


彼曲既在斯,我正實在茲。」
彼の曲 既に斯に在り、我の正実に茲に在り。」
彼の持っている志を曲げてそうして世に出ようとした、わたしは、それは正しいと思う、そうして実責を出すことで慈悲というものがあるということだ。」
○「伊尹・呂尚」と「伯夷・叔斉」を、「賢者」と「愚者」の対比に当てはめれば、前者が「賢者」、後者が「愚者」ということにならざるを得ない。ところが、孟郊は、伊尹と呂尚の二人は誰にも仕えずにいたのに、志を曲げて世に出たと考えているので、正義は伯夷と叔斉に存すると見ている。つまり、孟郊は「愚者」の生き方に共感するのである。