中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251


盧仝【ろどう】(生年不詳-835年)中唐の詩人。出世の志なく、若いときから少室山(河南省)に隠棲して学問を究めた。宦官を揶揄する詩、『月蝕詩』を作った。この詩により、甘露の変のとき王涯の邸で会食していたところを逮捕された。盧仝は宦官一掃の計画となんの関わりもなかったが殺された。茶を愛好し、玉川泉から水を汲んで茶を煮出したため、玉川子を号とした。『玉川子詩集』。

王涯【おうがい】(765?~835) 太原の人。唐の貞元八年(792)、進士及第。文宗(李昂)の時、太常卿として召され、吏部尚書総塩鉄をつとめ、司空・門下侍郎に上った。甘露の変(宦官勢力の打倒を企図した事件)に連座して殺された。


韓愈、孟郊と親交があり、韓愈のグループとされている。孟郊の詩『答盧仝』では盧仝像が全く見えないので盧仝の代表作『走筆謝孟諫議寄新茶』を掲載する。


走筆謝孟諫議寄新茶
筆を走らせて孟諫議に新茶を届けていただいた感謝を述べる。
#1
日高丈五睡正濃、軍將扣門驚周公。
真昼の太陽がまだ高い所にあるのに昼寝をぐっすりとしてしまい孔子のように礼節を思い浮かべていたら、使いと名乗る低い地位の武官〈軍将〉が門をたたいて、孔子が夢見た周公でさえすっ飛んで私は目覚めた。
口傳諫議送書信、白絹斜封三道印。
まず、口頭で孟諫議くんの書信を持ってきたと軍将がいう。その書簡は、白絹に包み、斜めに封じて、さらに三つの印が押してあった。
開緘宛見諫議面、首閲月團三百片。
封緘を開けると孟諫議の顔を浮かべた。親友自ら、新芽を選び摘んでくれ、たくさんの茶葉でまるい月のように團茶にして上等茶にしてくてたようだ。
聞道新年入山里、蟄虫驚動春風起。」

聞くところによると、新年早々、茶摘みに茶山の里に入ったらしい、入山は土の中で冬眠の虫たちが起こし目覚めさせ、里山は春風におおわれる。

#2
天子須嘗陽羡茶、百草不敢先開花。
仁風暗結珠琲蕾、先春抽出黄金芽。
摘鮮焙芳旋封裹、至精至好且不奢。
柴門反關無俗客、紗帽籠頭自煎吃。
碧雲引風吹不斷、白花浮光凝碗面。」
#3
一碗喉吻潤、兩碗破孤悶。
三碗搜枯腸、唯有文字五千卷。
四碗發輕汗、平生不平事、盡向毛孔散。
五碗肌骨清、六碗通仙靈。
七碗吃不得也、唯覺兩腋習習清風生。
蓬萊山、在何處?玉川子乘此清風欲歸去。
山上群仙司下士、地位清高隔風雨。
安得知百万億蒼生命、墮在顚崖受辛苦。
便為諫議問蒼生、到頭還得蘇息否?


日高きこと丈五 睡り 正に濃く、軍將 門を扣(たた)きて周公を驚かす。
口傳す諫議書信を送ると、白絹斜めに封ず三道の印。
緘を開けば宛(さな)がら見る諫議の面、首(はじ)めに月の團(まろ)きを閲(けみ)する三百片。
きくならく新年山里に入り、蟄虫驚動して春風起る。」
天子須く嘗むべし陽羡の茶、百草敢えて先ず花を開かず
仁風暗に結ぶ珠琲蕾(しゅばいらい)、春に先だって抽出す黄金の芽。
鮮を摘み芳を焙ってやや封裹(ほうか)す、至精至好 且つ奢らず。
至尊之餘合王公、何事便到山人家。
至尊の餘 王公にかなうに、何事ぞすなわち到る山人の家
柴門反って關(とざ)して俗客なし、紗帽 籠頭 自ら煎吃(せんきつ)す。
碧雲風を引き吹いて斷たず、白花浮光 碗面に凝る。
一碗喉吻うるおう、兩碗孤悶を破す。
三碗枯腸をさぐる、唯だ有り文字五千卷。
四碗輕汗を發す、平生 平事ならず、盡々く毛孔に向かって散る。
五碗肌骨清し、六碗仙靈に通ず。
七碗吃するを得ざるなり、唯だ覺ゆ 兩腋 習習として清風生ずるを。
蓬萊山、いづくにかある。玉川子 此の清風に乘じて歸り去【ゆ】かんと欲す。
山上の群仙 下士を司どる、地位 清高 風雨を隔つ。
いずくんぞ百万億蒼生の命を知るを得ん、顚と崖 在り墮ちて 辛苦を受くるを。
すなわち 諫議 蒼生に問うをなし、到頭 還た蘇息を得べしや否や。

八女茶 畑
本文とは関係のないイメージ写真です。

 現代語訳と訳註
(本文) 走筆謝孟諫議寄新茶

#1
日高丈五睡正濃、軍將扣門驚周公。
口傳諫議送書信、白絹斜封三道印。
開緘宛見諫議面、首閲月團三百片。
聞道新年入山里、蟄虫驚動春風起。」


(下し文)
日高きこと丈五 睡り 正に濃く、軍將 門を扣(たた)きて周公を驚かす。
口傳す諫議書信を送ると、白絹斜めに封ず三道の印。
緘を開けば宛(さな)がら見る諫議の面、首(はじ)めに月の團(まろ)きを閲(けみ)する三百片。
きくならく新年山里に入り、蟄虫驚動して春風起る。

(現代語訳)
筆を走らせて孟諫議に新茶を届けていただいた感謝を述べる。
真昼の太陽がまだ高い所にあるのに昼寝をぐっすりとしてしまい孔子のように礼節を思い浮かべていたら、使いと名乗る低い地位の武官〈軍将〉が門をたたいて、孔子が夢見た周公でさえすっ飛んで私は目覚めた。
まず、口頭で孟諫議くんの書信を持ってきたと軍将がいう。その書簡は、白絹に包み、斜めに封じて、さらに三つの印が押してあった。
封緘を開けると孟諫議の顔を浮かべた。親友自ら、新芽を選び摘んでくれ、たくさんの茶葉でまるい月のように團茶にして上等茶にしてくてたようだ。
聞くところによると、新年早々、茶摘みに茶山の里に入ったらしい、入山は土の中で冬眠の虫たちが起こし目覚めさせ、里山は春風におおわれる。


(訳注)
走筆謝孟諫議寄新茶

筆を走らせて孟諫議に新茶を届けていただいた感謝を述べる。
諫議(かんぎ)諫議大夫という官職名を示す。政治の成功と失敗を論じて、天子の過ちと政治上の問題点を諫める官職です。友人の孟諫議大夫。不明の人物であるが、宰相王涯の部下であろう。


日高丈五睡正濃、軍將扣門驚周公。
真昼の太陽がまだ高い所にあるのに昼寝をぐっすりとしてしまい孔子のように礼節を思い浮かべていたら、使いと名乗る低い地位の武官〈軍将〉が門をたたいて、孔子が夢見た周公でさえすっ飛んで私は目覚めた。
丈五五睡 日高とあるので午睡と読み替える必要がある。通常は五行思想で、夜を、一夜を五睡(更)に分け、初更(甲夜)・二更(乙夜(いつや))・三更(丙夜)・四更(丁夜)・五更(戊夜(ぼや))に五等分した称とし、このすべての時間、礼節を重んじる周公のことを夢見る夜のことを言う。したがって、丈五の「五」と「睡」で五睡=孔子=周公と連想させている。この語は下句の周公にかかっていて理想の人物孔子が夢に見続ける。○周公 礼学の基礎を形作った人物とされ、周代の儀式・儀礼について書かれた『周礼』、『儀礼』を著したとされる。旦の時代から遅れること約500年の春秋時代に儒学を開いた孔子は魯の出身であり、旦を理想の聖人と崇め、常に旦のことを夢に見続けるほどに敬慕し、ある時に夢に旦のことを見なかったので「年を取った」と嘆いたと言う。『論語、述而』「子曰甚矣吾衰也。久矣吾不復夢見周公。」(子曰く、甚だしいかな吾が衰へたる也。久しいかな吾周公を復夢に見ず)に基づいている。


口傳諫議送書信、白絹斜封三道印。
まず、口頭で孟諫議くんの書信を持ってきたと軍将がいう。その書簡は、白絹に包み、斜めに封じて、さらに三つの印が押してあった。
口傳 口頭で伝えること。奥義などの秘密を口伝えに教えを授けること。口授。また,それを記した書。『准南子 氾論訓』「此れ皆不著於法令、而聖人所不口伝也。」(此れ皆法令に著わさずして、而して聖人の口伝せざるところ也。)に基づく。○白絹 当時は白い練絹に書をしたためていた。○斜封 斜めに封緘する。○三道印 関係した人間がそれぞれ印を押すので中間の人が二人いたのだろう。


開緘宛見諫議面、首閲月團三百片。
封緘を開けると孟諫議の顔を浮かべた。親友自ら、新芽を選び摘んでくれ、たくさんの茶葉でまるい月のように團茶にして上等茶にしてくてたようだ。
月團 團茶のこと。茶葉の持つ膠質を応用し、緑茶または紅茶の茶葉の粉を蒸してから臼を使って茶葉を搗いて固め、それを成型したものの上に麹を植え付けて熟成させることによってつくられる。当初は、団子状の形状をしていた。唐代には朝廷への献上品(貢納茶)でもあり、貴族らに愛飲された。團茶という名勝は宋時代からなので、盧仝らが名づけ広まったものであろう。○首閲 茶のツボミが竜の頭のようであったため、摘む際によく選んだということ。ウーロン茶の語源もここにある。○三百片 たくさんの茶葉ということ。焙煎して丸く固めて、麹菌で熟成させたものである。


聞道新年入山里、蟄虫驚動春風起。」
聞くところによると、新年早々、茶摘みに茶山の里に入ったらしい、入山は土の中で冬眠の虫たちが起こし目覚めさせ、里山は春風におおわれる。
○蟄虫【ちっちゅう】地中にこもって越冬する虫。『詩経』『禮記、月令』

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