中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#3 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ253


盧仝【ろどう】(生年不詳-835年)中唐の詩人。出世の志なく、若いときから少室山(河南省)に隠棲して学問を究めた。宦官を揶揄する詩、『月蝕詩』を作った。この詩により、甘露の変のとき王涯の邸で会食していたところを逮捕された。盧仝は宦官一掃の計画となんの関わりもなかったが殺された。茶を愛好し、玉川泉から水を汲んで茶を煮出したため、玉川子を号とした。『玉川子詩集』。

王涯【おうがい】(765?~835) 太原の人。唐の貞元八年(792)、進士及第。文宗(李昂)の時、太常卿として召され、吏部尚書総塩鉄をつとめ、司空・門下侍郎に上った。甘露の変(宦官勢力の打倒を企図した事件)に連座して殺された。


韓愈、孟郊と親交があり、韓愈のグループとされている。孟郊の詩『答盧仝』では盧仝像が全く見えないので盧仝の代表作『走筆謝孟諫議寄新茶』を掲載する。


走筆謝孟諫議寄新茶
#1
日高丈五睡正濃、軍將扣門驚周公。口傳諫議送書信、白絹斜封三道印。
開緘宛見諫議面、首閲月團三百片。聞道新年入山里、蟄虫驚動春風起。」
#2
天子須嘗陽羡茶、百草不敢先開花。仁風暗結珠琲蕾、先春抽出黄金芽。
摘鮮焙芳旋封裹、至精至好且不奢。柴門反關無俗客、紗帽籠頭自煎吃。
碧雲引風吹不斷、白花浮光凝碗面。」
#3
一碗喉吻潤、兩碗破孤悶。
一碗目のお茶をすすると、まず口に広がりのどがうるおう。二碗目は、いまだ捨てきれず一人もだえている煩悩に悶々としているのを破ってくれる。
三碗搜枯腸、唯有文字五千卷。
三碗目のお茶は、文才のない私の腸にしみわたり、探り出してくれ、経論五千巻が込められた茶により、詩文を蘇えらせてくれる。
四碗發輕汗、平生不平事、盡向毛孔散。
四碗目のお茶は、体の中を駆け抜けて軽い汗となって発散する、何事にも平常心でむかうべきところなのに平時のことではないことになり、それぞれの毛穴から噴出してゆく。
五碗肌骨清、六碗通仙靈。
五碗目には体の中の不純物が発散されたので肌や骨まで清らかになる、六碗目になると、ただ事ではなく仙界や霊域に行きついてしまう。
七碗吃不得也、唯覺兩腋習習清風生。
七碗目は仙界と霊域に達したからには口にして啜ることはいけない、ここまで来るともう、両脇からシューシューッと爽快な風が吹き抜け新しい気分が生まれるのを感じることがわかる。
蓬萊山、在何處?玉川子乘此清風欲歸去。
仙人が棲む蓬莱山はいったいどこにあるというのか。このお茶を飲んだうえでは、玉川子(盧仝の号)が清々しい風にのって、蓬莱山まで飛んでゆきたいものだ。
山上群仙司下士、地位清高隔風雨。
山頂に棲む仙人たちのように朝廷内の官僚は凡夫であると最下級の士を管理監督している。地位が高いというだけで清廉で気高いこととは風雨によって隔てられている。(茶を飲み、至福をむかえてもそれに驕らず仁徳を持つことが必要だ。)
安得知百万億蒼生命、墮在顚崖受辛苦。
仁徳なくしてどうして百万億の多くの民衆たちの命を知りうることができるというのか。そうでなければ山の頂上のような高い地位があり、峻崖のように険しいがけのような地位もある、やがて艱難辛苦に苦しむ事になるというものだ。
便為諫議問蒼生、到頭還得蘇息否?

だから諫議大夫という地位にある君は、民衆に次のことを質問するといい。結局のところ、再び民衆の彼らが(我々がお茶を飲んで)一息ついて安らぐことができるかどうかを。(それを高級官僚にいってくれ。)


日高きこと丈五 睡り 正に濃く、軍將 門を扣(たた)きて周公を驚かす。
口傳す諫議書信を送ると、白絹斜めに封ず三道の印。
緘を開けば宛(さな)がら見る諫議の面、首(はじ)めに月の團(まろ)きを閲(けみ)する三百片。
きくならく新年山里に入り、蟄虫驚動して春風起る。」

天子須く嘗むべし陽羡の茶、百草敢えて先ず花を開かず
仁風暗に結ぶ珠琲蕾(しゅばいらい)、春に先だって抽出す黄金の芽。
鮮を摘み芳を焙ってやや封裹(ほうか)す、至精至好 且つ奢らず。
至尊之餘合王公、何事便到山人家。
至尊の餘 王公にかなうに、何事ぞすなわち到る山人の家
柴門反って關(とざ)して俗客なし、紗帽 籠頭 自ら煎吃(せんきつ)す。
碧雲風を引き吹いて斷たず、白花浮光 碗面に凝る。
一碗喉吻うるおう、兩碗孤悶を破す。
三碗枯腸をさぐる、唯だ有り文字五千卷。
四碗輕汗を發す、平生 平事ならず、盡々く毛孔に向かって散る。
五碗肌骨清し、六碗仙靈に通ず。
七碗吃するを得ざるなり、唯だ覺ゆ 兩腋 習習として清風生ずるを。
蓬萊山、いづくにかある。玉川子 此の清風に乘じて歸り去【ゆ】かんと欲す。
山上の群仙 下士を司どる、地位 清高 風雨を隔つ。
いずくんぞ百万億蒼生の命を知るを得ん、顚と崖 在り墮ちて 辛苦を受くるを。
すなわち 諫議 蒼生に問うをなし、到頭 還た蘇息を得べしや否や。


現代語訳と訳註
(本文) #3
一碗喉吻潤、兩碗破孤悶。
三碗搜枯腸、唯有文字五千卷。
四碗發輕汗、平生不平事、盡向毛孔散。
五碗肌骨清、六碗通仙靈。
七碗吃不得也、唯覺兩腋習習清風生。
蓬萊山、在何處?玉川子乘此清風欲歸去。
山上群仙司下士、地位清高隔風雨。
安得知百万億蒼生命、墮在顚崖受辛苦。
便為諫議問蒼生、到頭還得蘇息否?


(下し文)
一碗喉吻うるおう、兩碗孤悶を破す。
三碗枯腸をさぐる、唯だ有り文字五千卷。
四碗輕汗を發す、平生 平事ならず、盡々く毛孔に向かって散る。
五碗肌骨清し、六碗仙靈に通ず。
七碗吃するを得ざるなり、唯だ覺ゆ 兩腋 習習として清風生ずるを。
蓬萊山、いづくにかある。玉川子 此の清風に乘じて歸り去【ゆ】かんと欲す。
山上の群仙 下士を司どる、地位 清高 風雨を隔つ。
いずくんぞ百万億蒼生の命を知るを得ん、顚と崖 在り墮ちて 辛苦を受くるを。
すなわち 諫議 蒼生に問うをなし、到頭 還た蘇息を得べしや否や。


(現代語訳)
一碗目のお茶をすすると、まず口に広がりのどがうるおう。二碗目は、いまだ捨てきれず一人もだえている煩悩に悶々としているのを破ってくれる。
三碗目のお茶は、文才のない私の腸にしみわたり、探り出してくれ、経論五千巻が込められた茶により、詩文を蘇えらせてくれる。
四碗目のお茶は、体の中を駆け抜けて軽い汗となって発散する、何事にも平常心でむかうべきところなのに平時のことではないことになり、それぞれの毛穴から噴出してゆく。
五碗目には体の中の不純物が発散されたので肌や骨まで清らかになる、六碗目になると、ただ事ではなく仙界や霊域に行きついてしまう。
七碗目は仙界と霊域に達したからには口にして啜ることはいけない、ここまで来るともう、両脇からシューシューッと爽快な風が吹き抜け新しい気分が生まれるのを感じることがわかる。
仙人が棲む蓬莱山はいったいどこにあるというのか。このお茶を飲んだうえでは、玉川子(盧仝の号)が清々しい風にのって、蓬莱山まで飛んでゆきたいものだ。
山頂に棲む仙人たちのように朝廷内の官僚は凡夫であると最下級の士を管理監督している。地位が高いというだけで清廉で気高いこととは風雨によって隔てられている。(茶を飲み、至福をむかえてもそれに驕らず仁徳を持つことが必要だ。)
仁徳なくしてどうして百万億の多くの民衆たちの命を知りうることができるというのか。そうでなければ山の頂上のような高い地位があり、峻崖のように険しいがけのような地位もある、やがて艱難辛苦に苦しむ事になるというものだ。
だから諫議大夫という地位にある君は、民衆に次のことを質問するといい。結局のところ、再び民衆の彼らが(我々がお茶を飲んで)一息ついて安らぐことができるかどうかを。(それを高級官僚にいってくれ。)


(訳注) #3
一碗喉吻潤、兩碗破孤悶。
一碗目のお茶をすすると、まず口に広がりのどがうるおう。二碗目は、いまだ捨てきれず一人もだえている煩悩に悶々としているのを破ってくれる。
孤悶 一人もだえる。儒者であり、禅に傾倒している盧仝であるから、自ら捨てきれていない煩悩について悶々としていることをいう。


三碗搜枯腸、唯有文字五千卷。
三碗目のお茶は、文才のない私の腸にしみわたり、探り出してくれ、経論五千巻が込められた茶により、詩文を蘇えらせてくれる。
枯腸 思慮のないこと。文才のないこと。干からびた腹わた。うえたはら。○五千卷 経論五千余巻のこと。茶の生れは仏教とのかかわりが多く茶を焙煎し熟成することは、経を讀み修行をすることの中で行われた。○この聯は文才のない自分に経論五千余巻を読みながらつってくれたお茶の神髄が文才のない作者自身に才能をもたらせてくれるというもの。経論五千余巻を将来したものが僧正となる。経論とは仏の教えを記した経と、経の注釈書である論。『梁書、謝擧傳』「為晉陵郡時、常與義僧遞講経論」(晉陵郡を爲むる時、常に義僧と経論遞【たが】ひに講ず)現在でも茶をつくのは寺院でする場合が多くお経を唱えて焙煎している。


四碗發輕汗、平生不平事、盡向毛孔散。
四碗目のお茶は、体の中を駆け抜けて軽い汗となって発散する、何事にも平常心でむかうべきところなのに平時のことではないことになり、それぞれの毛穴から噴出してゆく。
平生 普段。日頃。平常。『論語、憲問』「久要不平生之言、亦可以為成人矣。」(久要に平生の言を忘れざるは、また、聖人と以て為すべし)○不平事 ここは不平ではなく、平常が平常でないことをいう。(平静=平常=平時=平事)同意語を否定につかことで尋常でないことが強調されるのである。不平不満理解すると意味は矮小化される。


五碗肌骨清、六碗通仙靈。
五碗目には体の中の不純物が発散されたので肌や骨まで清らかになる、六碗目になると、ただ事ではなく仙界や霊域に行きついてしまう。
肌骨清 発汗作用が体内の不純物を出してくれること、利尿作用も漢方における原則的なことである。○仙靈 仙界(伝説的な仙人の世界、道教の世界)と霊域(神仏を祭る神聖な世界)


七碗吃不得也、唯覺兩腋習習清風生。
七碗目は仙界と霊域に達したからには口にして啜ることはいけない、ここまで来るともう、両脇からシューシューッと爽快な風が吹き抜け新しい気分が生まれるのを感じることがわかる。


蓬萊山、在何處?玉川子乘此清風欲歸去。
仙人が棲む蓬莱山はいったいどこにあるというのか。このお茶を飲んだうえでは、玉川子(盧仝の号)が清々しい風にのって、蓬莱山まで飛んでゆきたいものだ。

蓬莱山 神仙三山(蓬莱・方丈・瀛州)の一つ。唐大明宮内の大掖池に蓬莱山があり、蓬莱殿があった。盧仝は仙界を朝廷の比喩として使っているのである。

山上群仙司下士、地位清高隔風雨。
山頂に棲む仙人たちのように朝廷内の官僚は凡夫であると最下級の士を管理監督している。地位が高いというだけで清廉で気高いこととは風雨によって隔てられている。(茶を飲み、至福をむかえてもそれに驕らず仁徳を持つことが必要だ。)
群仙 多くの仙人。『文選、木華、海賦』「群仙縹眇、餐玉淸涯。(群仙 縹眇として、玉を淸涯に餐す)」翰林学士。『琵琶記、春宴杏園』「引領群仙下翠微、杏園惟後の題詩に有るのみ。」(領して群仙を引き翠微を下る、杏園 惟だ有後題詩)ここでは山の上にいる多くの仙人に比喩した旧手の官僚を指すもの。○ 職務とする。管理監督する。○下士 凡夫。愚か者。


安得知百万億蒼生命、墮在顚崖受辛苦。
仁徳なくしてどうして百万億の多くの民衆たちの命を知りうることができるというのか。そうでなければ山の頂上のような高い地位があり、峻崖のように険しいがけのような地位もある、やがて艱難辛苦に苦しむ事になるというものだ。
蒼生命 民衆の命。○顚崖 山の頂と峻崖


便為諫議問蒼生、到頭還得蘇息否?
だから諫議大夫という地位にある君は、民衆に次のことを質問するといい。結局のところ、再び民衆の彼らが(我々がお茶を飲んで)一息ついて安らぐことができるかどうかを。(それを高級官僚にいってくれ。)
○盛唐の玄宗以来、仁徳をもって政治にあたることがなくなったこと、特に、朝廷内において、官僚のみならず、宦官の腐敗頽廃により、民衆は苦しんでいたことを述べている。


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