中唐詩-256 寄盧仝#1 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ韓愈詩集-22


811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。

孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)

中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248

盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)
中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251


寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。
玉川先生は洛陽の城内に住まわれている。それはあばら家というものでほんの数間のひろさしかないものだ。
一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
たった一人の下男といえば奴婢の中の奴ともいうべきあごひげを長くのばして頭をむき出しにしている、たった一人の下女といえばか型通り素足で歯がなくなっている老女である。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。
辛い思いをしても勤勉にはげみ十数人も養っておられる、両親を上にして下は妻子に至るまで愛しんでいる。
先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
先生は若い頃から、俗世界での人と漫然と付き合うことを嫌われており、門を閉めきり外出せぬことややともすれば十二年一回りする位である。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?
おとなりの僧侶までもが托鉢の米をとどけさせてくれる始末となっている、県令をかたじけなくも拝命しているこのわたしとしてはこのまま何もしないと恥じいることになってしまうのでなないだろうか。
俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』

公私の費用に使ったあまりの給料を、時には些少ながら差し上げて御家紋の祭祀の助けにされたい。
#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。
水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。
少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。
先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
#3
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。
往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』
#4
去歲生兒名添丁,意令與國充耘耔。
國家丁口連四海,豈無農夫親耒耜?
先生抱才須大用,宰相未許終不仕。
假如不在陳力列,立言垂範亦足恃。
苗裔當蒙十世宥,豈謂貽厥無基阯。
故知忠孝生天性,潔身亂倫安足擬。』
#5
昨晚長鬚來下狀,隔墻惡少惡難似。
每騎屋山下窺闞,渾舍驚怕走折趾。
憑依婚媾欺官吏,不信令行能禁止。
先生受屈未曾語,忽此來告良有以。
嗟我身為赤縣令,操權不用欲何俟?
立召賊曹呼伍伯,盡取鼠輩屍諸市。』
#6
先生又遣長鬚來,如此處置非所喜。
況又時當長養節,都邑未可猛政理。
先生固是余所畏,度量不敢窺涯涘。
放縱是誰之過歟?效尤戮仆愧前史。』

買羊沽酒謝不敏,偶逢明月曜桃李。
先生有意許降臨,更遣長須改雙鯉。』

#1
玉川先生 洛城の裏【うち】,破屋 数間のみ。
一奴【いちど】は長鬚【ちょうしゅ】にして頭を裹【つつ】まず、一婢【いちひ】は赤脚にして老いて歯無し。
辛勤【しんきん】して奉養【ほうよう】す十余人、上に慈親【じしん】有り下は妻子。
先生髪を結うてより俗徒を憎み、門を閉ざして出でざること動【やや】もすれば一紀。
隣僧をして乞米を送らしむるに至る、僕は県尹を忝【かたじけの】うす能く恥じざらんや。
俸銭供給す公私の余、時に薄少を致して祭祀を助く。』

#2
留守に参【いた】り大尹【たいいん】に謁【えつ】せよと勧むるに、言語 纔【わず】かに及べば輒【すなわ】ち耳を掩う。
水北【すいほく】の山人【さんじん】 名声を得て、去年去って幕下【ばっか】の士と作【な】れり。
水南【すいなん】の山人 又継いで往き、鞍馬【あんば】と僕従【ぼくじゅう】とは閭裏【りょり】を塞【ふさ】ぎぬ。
少室【しょうしつ】の山人は価【あたい】を索【もと】むること高く、両【ふた】たび諌官【かんかん】を以て徴【め】せども起たず。
彼れ皆口に剌して世事を論じ、力 有れば未だ駆使【くし】に造【あ】うことを免【まぬが】れず。
先生の事業は量【はか】るべからず、惟だ法律【ほうりつ】を用って自ずから己を繩【ただ】すのみ。』
#3
春秋三伝 高閣に束【つか】ね、独り遺経【いけい】を抱きて終始を究【きわ】む。
往年筆を弄【ろう】して同異を嘲【あざけ】り、怪辞【かいじ】は衆を驚かして膀【そし】り已【や】まず。
近来自ずから説く坦塗【たんと】を尋ぬと、猶虚空に上ぼって綠駬【りょくじ】に跨【また】がる。』
#4
去歳【きょさい】児を生んで添丁【てんてい】と名づく、意は国の与に耘抒【うんじ】に充【あ】てしめんとなり。
国家の丁口【ていこう】は四海に連なり、豈 農夫の耒耜【らいし】を親しくする 無からん や。
先生 才を抱いて大いに用いられ終わるべし、宰相未だ許さざれば終【つい】に仕えず。
仮如【たとい】力を陳【の】ぶる列に在らずとも、言【げん】を立て 範を垂るること 亦 恃【たのし】むに 足れり。
苗裔【びょうえい】当【まさ】に十世【じつせい】宥【ゆる】さるることを 蒙【こう】むるべし。
豈 謂【おも】わんや 貽厥【いけつ】に基阯【きし】無しと。
故に知んぬ 忠孝の天性に生【な】ることを、身を潔【きよ】め倫を乱るものは 安【いずく】んぞ 擬【ぎ】するに足らん。
#5
咋晩 長鬚【ちょうしゅ】来たって状を下す、墻【かき】を隔つる悪少【あくしよう】は悪 似【くら】べ難し。
毎【つね】に屋山【おくさん】に騎りて下を窺【うたが】い闞【み】たれば、渾舎【こんしゃ】驚き怕【おそ】れて走って趾【あし】を折【くじ】きぬ。婚媾【こんこう】に憑【よ】り依【よ】りて官吏を欺【あなど】り、令の行われて能く禁止するを信ぜず。
先生屈【くつ】を受けて未だ曾つて語らず、忽【たちま】ち此こに来たり告ぐるは良【まこと】に以【ゆえ】有り。
嵯【ああ】 我れ身は赤県【せっけん】の令と為【な】って、権を操【と】って用いずんば何を俟【ま】たんとか 欲っする。
立ちどころに賊曹【ぞくそう】を召して伍伯【ごはい】を呼び。
尽【ことごと】く鼠輩【そはい】を取らえて諸【これ】を市に屍【し】せしめんとす。

先生 又 長鬚を遣わして來たらしむ,此くの如き處置は喜ぶ所に非らず。
況【いわ】んや 又 時 長養【ちょうよう】の節に当たれり、
都邑【とゆう】未だ政理【せいり】を猛【はげ】しゅうすべからず。
先生は固【まこと】に是れ余【わ】が畏れる所なり、度量 敢えて涯涘【がいし】を窺【うたが】わず。
放縦【ほうしょう】なるは是れ誰が過【あやまち】ちぞや、尤【とが】に効【なろ】うて僕を戮【りく】すること前史【ぜんし】に愧【は】ず。

羊を買い 酒を沽【か】って 不敏を謝す,偶【たまたま】明月の桃李【とうり】に曜【かがや】くに逢えり。
先生 降臨【こうりん】許すに意有らば,更に長鬚【ちょうしゅ】遣わして 雙鯉【そうり】を改【いた】さしめよ。


現代語訳と訳註
(本文) 寄盧仝

玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。
一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。
先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?
俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。


(下し文) (盧仝に寄す)
玉川先生洛城の裏【うち】,破屋数間のみ。
一奴【いちど】は長鬚【ちょうしゅ】にして頭を裹【つつ】まず、一婢【いちひ】は赤脚にして老いて歯無し。
辛勤【しんきん】して奉養【ほうよう】す十余人、上に慈親【じしん】有り下は妻子。
先生髪を結うてより俗徒を憎み、門を閉ざして出でざること動もすれば一紀。
隣僧をして乞米を送らしむるに至る、僕は県尹を忝【かたじけの】うす能く恥じざらんや。
俸銭供給す公私の余、時に薄少を致して祭祀を助く。


(現代語訳)
玉川先生は洛陽の城内に住まわれている。それはあばら家というものでほんの数間のひろさしかないものだ。
たった一人の下男といえば奴婢の中の奴ともいうべきあごひげを長くのばして頭をむき出しにしている、たった一人の下女といえばか型通り素足で歯がなくなっている老女である。
辛い思いをしても勤勉にはげみ十数人も養っておられる、両親を上にして下は妻子に至るまで愛しんでいる。
先生は若い頃から、俗世界での人と漫然と付き合うことを嫌われており、門を閉めきり外出せぬことややともすれば十二年一回りする位である。
おとなりの僧侶までもが托鉢の米をとどけさせてくれる始末となっている、県令をかたじけなくも拝命しているこのわたしとしてはこのまま何もしないと恥じいることになってしまうのでなないだろうか。
公私の費用に使ったあまりの給料を、時には些少ながら差し上げて御家紋の祭祀の助けにされたい。


(訳注)
寄盧仝

寄盧仝 寄は、乎紙などを送ること。この詩は、盧仝に書いて送ったのである。盧仝(未詳一835)は、韓愈(768-846)と同時の詩人で、非常に難解なごつごつした詩を作った。うち最も有名なのは「月蝕詩」で、韓愈も、それにならって同じ題の「月蝕詩」を作っている。盧仝の生活は、この「盧仝に寄す」詩によって知られるとおりであるが、その死は悲惨であった。835大和九年甘露の変のとき、謀叛人として殺された宰相の王涯の宅にたまたま来あわせていたため、その一党と目されて、死刑に処せられている。この「寄盧仝」詩は、韓愈が河南県の令だったとき、811年元和六年44歳、春の作。長篇であるから、6分割して注釈を加えることにする。甘露の変については李商隠詩このブログでも10首程度掲載しているので詳しくは参考にされたい。 あるいは盧仝詩『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251

玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。
玉川先生は洛陽の城内に住まわれている。それはあばら家というものでほんの数間のひろさしかないものだ。
玉川先生 盧仝は茶を煎じる水をとる玉川にちなんで自ずから玉川子と号した。この最初の一段(#1)は、盧仝の日常生活の貧しさをいう。○洛城 洛陽の城郭、街中のこと(今河南省洛陽市)。洛陽は、当時、洛陽県と河南県とで分治せられ、韓愈は、河市県の令であった。○数間 間とは、家屋の柱の開の数をいう。柱二本なら一間であり、三本なら二間ということになりこの、間数が大きいほど、大きな家である。○而巳矣 限定の意を表す助辞。それだけである。[而已]をひきのばした形で、詠嘆の気持ちが加えられる。『論語、里仁』「夫子之道、忠恕而已矣。」(夫子之道は、忠恕のみ。)盧仝が儒者であるので論語風に作るもの。


一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
たった一人の下男といえば奴婢の中の奴ともいうべきあごひげを長くのばして頭をむき出しにしている、たった一人の下女といえばか型通り素足で歯がなくなっている老女である。
一奴 奴は、下男。たった一人の下男とは、費しい(もちろん比較的のはなしで、知識階級の家としては)ことをあらわす。下の一婢も同じ。夫子であれば下僕が数人から十人程度は世襲で普通にいた。○長鬚 鬚は、あごひげ。○不裹頭 当時は下男でも頭巾をかぶるのが習慣となっていたのだろう。○一婢 婢は、下女。○赤脚 はだし。赤とは、何もなぃことをいう形容詞。杜甫『早秋苦熱詩』、赤脚で下女。『事物異名録、倫属、奴婢』「鶴林玉露、楊誠斉退休南渓之上。老屋一區、僅庇風雨。長鬚赤脚、纔三四人。按、長鬚謂奴、赤脚謂婢。」(長鬚 赤脚、纔【わず】かに三四人と。按【あん】ずるに、長鬚とは奴を謂い、赤脚とは婢を謂う。)に基づいている。


辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。
辛い思いをしても勤勉にはげみ十数人も養っておられる、両親を上にして下は妻子に至るまで愛しんでいる。
辛勤 辛い思いをしても勤勉する。こつこつ苦労するさま。o奉養 奉は、かしずき仕えること。日常の生活、飲食起居をいう。『史記、齊太公世家』「令其秩服奉養此太子。」(其の秩服 奉養をして太子に此し令む。)とあり、これに基づいている。○慈親 慈は、めぐみ深いこと、親の子に対する道徳とされる。そこで親を形容することばとしてごく軽く使用される。『呂覽、慎大』「湯立爲天子。夏民大説、如得慈親。」(湯立ちて天子と爲す。夏の民 大いに説ぶこと、慈親を得たるが如し。)にもとづく。


先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
先生は若い頃から、俗世界での人と漫然と付き合うことを嫌われており、門を閉めきり外出せぬことややともすれば十二年一回りする位である。
結發 少年のときに髪を束ねることから、少年のときをいう。あるいは、冠すること、す迩わち成人になフたとして冠をつける儀式のことであるともいう。要するに、若いときから。○【ややもすれば】 〔助字瓣略〕ともすれば。左思『文選、呉都賦』「出躡珠履、動以千百。」(出づるに珠履を躡【ふ】むもの、動もすれば千百を以もってす。)○一紀 歳星(本星)が天球を一週する期間をいう。十二年。十二の干支の


至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?
おとなりの僧侶までもが托鉢の米をとどけさせてくれる始末となっている、県令をかたじけなくも拝命しているこのわたしとしてはこのまま何もしないと恥じいることになってしまうのでなないだろうか。
至令 ~のことを命ずる始末までになっている。○乞米送 乞米は、托鉢の米。布施でもらった米など。○ わたくし。がんらい、しもべということから、自分の謙称になった。○ 身分不相応な位についているという謙迎したいい方。○県尹 県の長官。すなわち県今。○能不 反語。……でいられようか。


俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。
公私の費用に使ったあまりの給料を、時には些少ながら差し上げて御家紋の祭祀の助けにされたい。
俸銭供給公私余 俸給を公私に用いたあまり。供給は、その必要に応じて金銭を使用すること。ここは、旧訓にしたがったが、意味上は、「俸給公私に供給する余」ということである。○ 時には。○薄少 ごくわずかなお金。謙辿したいい方。○助祭祀 先祖のお祭りごと、あるいは縁者への祭祀の援助。生活費といえば、相手に失礼に当たるから、こういうのである。
hinode0200

blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/



唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02