中唐詩-258 寄盧仝#3 韓愈 Ⅱ韓退之(韓愈) 紀頌之の漢詩ブログ 韓愈特集-22

811年 元和六年春 韓愈44歳の作 作詩順からすると韓愈詩の35番目くらいに掲載予定であったが、孟郊と盧仝詩を掲載したので順を繰り上げて掲載。

孟郊 『答盧仝』(盧仝に答える#1~#3)中唐詩 Ⅶ孟郊(孟東野) 答盧仝#1 <24> kanbun-iinkai紀頌之の漢詩ブログ248
盧仝 新茶について述べながら、生き方、生活ぶりについて触れている。『走筆謝孟諫議寄新茶』(筆を走らせて孟諫議の新茶を寄せるを謝す)(#1~#3)

中唐詩人ID-44 盧仝 走筆謝孟諫議寄新茶#1 kanbun-iinkai紀頌之の李商隠と中唐の漢詩ブログ251


寄盧仝
#1 
玉川先生洛城裏,破屋數間而已矣。一奴長鬚不裹頭,一婢赤腳老無齒。
辛勤奉養十余人,上有慈親下妻子。先生結發憎俗徒,閉門不出動一紀。
至令鄰僧乞米送,仆忝縣尹能不恥?俸錢供給公私余,時致薄少助祭祀。』
#2
勸參留守謁大尹,言語纔及輒掩耳。水北山人得名聲,去年去作幕下士。
水南山人又繼往,鞍馬仆從塞閭裏。少室山人索價高,兩以諫官征不起。
彼皆刺口論世事,有力未免遭驅使。先生事業不可量,惟用法律自繩己。』
#3
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。
教条的なで詩の書いた春秋の解説書の三伝などはうず高くの高閣のようにたばねて積み重ねておいたままにしている、もっぱらひとりで孔子の遺経春秋をかかえこみ熟読、習得され尽くされている。
往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
またあるときは戯れに詩を作って大仝小異とふざけられたことがあり、突拍子もないようなことや奇怪なことばが衆知のものをびっくりさせていつまでもそしられていたのです。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』

近ごろでは自分でおだやかな道を探し当てたといわれるが、それでも特別な馬8頭立てのような駿馬にまたがって大空高く上ぼるような大器でおられる。

#3
春秋三伝 高閣に束【つか】ね、独り遺経【いけい】を抱きて終始を究【きわ】む。
往年筆を弄【ろう】して同異を嘲【あざけ】り、怪辞【かいじ】は衆を驚かして膀【そし】り已【や】まず。
近来自ずから説く坦塗【たんと】を尋ぬと、猶虚空に上ぼって綠駬【りょくじ】に跨【また】がる



現代語訳と訳註
(本文) #3

《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。
往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』


(下し文) #3
春秋三伝 高閣に束【つか】ね、独り遺経【いけい】を抱きて終始を究【きわ】む。
往年筆を弄【ろう】して同異を嘲【あざけ】り、怪辞【かいじ】は衆を驚かして膀【そし】り已【や】まず。
近来自ずから説く坦塗【たんと】を尋ぬと、猶虚空に上ぼって綠駬【りょくじ】に跨【また】がる


(現代語訳)
教条的なで詩の書いた春秋の解説書の三伝などはうず高くの高閣のようにたばねて積み重ねておいたままにしている、もっぱらひとりで孔子の遺経春秋をかかえこみ熟読、習得され尽くされている。
またあるときは戯れに詩を作って大仝小異とふざけられたことがあり、突拍子もないようなことや奇怪なことばが衆知のものをびっくりさせていつまでもそしられていたのです。
近ごろでは自分でおだやかな道を探し当てたといわれるが、それでも特別な馬8頭立てのような駿馬にまたがって大空高く上ぼるような大器でおられる。


(訳注)
《春秋》三傳束高閣,獨抱遺經究終始。

教条的なで詩の書いた春秋の解説書の三伝などはうず高くの高閣のようにたばねて積み重ねておいたままにしている、もっぱらひとりで孔子の遺経春秋をかかえこみ熟読、習得され尽くされている。
春秋三伝 「春秋」は孔子が編した魯の国の年代記。「三伝」は孔子がいかなる意味をこめてこの春秋を害いたかを説明したもので、三種の書をいう。「左氏伝」は、左丘明の著わしたもの、公羊高の著わした「公羊伝」、穀梁赤の著わした「穀梁伝」をいう。唐のこの頃までは、春秋を解釈するばあい、この三伝が絶対的なものと考えられ、三伝のいずれかの説によってのみ、春秋は解釈すべきものとされていたが、この時代から、三伝によらずに、直接春秋を理解しようという試みが、啖助【たんじょ】、趙匡【ちょうきょう】の二人により始められる。その学説をまとめて、書物として著わしたのが韓愈と同時代人である陸淳(?-805年)であり、そのほか、韓愈の友人樊宗師(?―824年)にも、春秋集伝十五巻があったといわれ、こうした新しい春秋解釈学は、実にこの時代の風気であった。盧仝にも、春秋の注釈書があったらしいが、すぐ失しなわれたようである。○束高閣 東にして書斎に樓閣のように書籍を束にして積み重ねていくこと。束は、束にしてすておくこと。ここでは、春秋の三伝を問題としないこと。束ねて積重ねれば見ようがない。ておくことをいう。老荘思想の晋の庾亮(289~340)、庾翼(305-345年)兄弟が「春秋三伝」を束ねしまいこむことをいったことば。○独抱 独は、ひとり。他のものの助けをからず、自分ひとりの力での意。○遺経 孔子の遺した経書。すなわち春秋の本文をさす。○終始 はじめからしまいまで。すっかり。


往年弄筆嘲同異,怪辭驚眾謗不已。
またあるときは戯れに詩を作って大仝小異とふざけられたことがあり、突拍子もないようなことや奇怪なことばが衆知のものをびっくりさせていつまでもそしられていたのです。
往年 過ぎ去った年。先年。○弄筆 弄は、たわむれにする。弄筆は、たわむれに詩を書いたこと。○嘲同異 慮仝の仝は同の字と同じ。同じ時代に、馬異という詩人がおり、盧仝は馬異と友人になって『與馬異結交』(馬異と交わりを結ぶ詩) 「不知元氣元不死,忽聞空中喚馬異。馬異若不是祥瑞, 空中敢道不容易。昨日仝不仝,異自異,是謂大仝而小異。 今日仝自仝,異不異,是謂仝不往兮異不至。直當中兮動天. 地。白玉璞裡斫斲出相思心,黃金礦裡鑄出相思淚。」 を作った。この詩は長句短句いりまじる雑言の詩で、大変奇妙な詩である。中でも有名なのは、次の数句。 (昨日、仝じからず異自から異なり、是れを大仝にして小異という。今日仝自のずから仝(同)じく異異ならず。是れを仝往かず異至らずと謂う。)大仝小異の語源。
要するに、かつて別別にいた盧仝と馬異がいっしょに交わるようになったということをいったものである。嘲は、たわむれる、からかう。○謗不已 謗りつづけられた。いつまでも謗られた。不已は、勣詞につづいて、その勤作が継続していることを示すいい方。


近來自說尋坦途,猶上虛空跨綠駬。』
近ごろでは自分でおだやかな道を探し当てたといわれるが、それでも特別な馬8頭立てのような駿馬にまたがって大空高く上ぼるような大器でおられる。
近来 近ごろ。来は、時間を示すことばにつづいて、それにひろがりを持たせる助辞。○坦途 たいらかなみち。詩文におけるわかり易いことばづかいを喩える・途は、塗と同じ。○猶 そういってもなお。それでも。○虚空 そら。空中。○綠駬 むかし馬ずきの天子として有名な周の穆王(紀元前1002―947年在泣)が、中国全土を巡るのに特別な馬(穆王八駿)を走らせていたと言われる。すなわち、土を踏まないほど速い「絶地」、鳥を追い越す「翻羽」、一夜で5,000km走る「奔霄」、自分の影を追い越す「越影」、光よりも速い「踰輝」と「超光」、雲に乗って走る「謄霧」、翼のある「挟翼」の8頭である。穆王はこの馬を駆って犬戎ら異民族を討った。馬車をひかせたという8匹の駿馬たちのこと。この「虚空跨綠駬」はそれをしめすもので、盧仝の詩が、坦途を尋ねたと自分ではいっても、なお人間ばなれした的外れかとおもえるような詩であることをたとえたものである。


庾亮(289~340)
  字は元規。潁川郡鄢陵の人。談論をよくし、老荘を好んだ。鎮東将軍司馬睿の西曹掾をつとめ、丞相参軍に転じた。華軼を討つのに功があり、都亭侯に封ぜられた。元帝が即位すると中書郎に任ぜられ、中領軍に進んだ。明帝のとき、中書監となった。王敦の乱のとき、左衛将軍として諸将とともに銭鳳・沈充らを討った。乱の平定後、護軍将軍となった。明帝の病が重く、王導とともに成帝を補佐するよう遺詔を受け、中書令に上った。政事全般を決裁したが、人望がえられぬまま、宗室を圧迫した。咸和二年(327)には蘇峻・祖約の乱を招き、建康を失陥した。翌年に温嶠・陶侃らによって乱が平定された後は、豫州刺史として出て、蕪湖に鎮した。陶侃の死後、江荊豫三州刺史・征西将軍となり、武昌に鎮した。ときに石勒が没し、中原恢復の大望を抱いて石城に移り、北伐諸軍を支援したが、勅許が下りなかった。咸康五年(339)、後趙が邾城を陥すのを救うことができないまま病没した。

庾翼(305~345)
  字は稚恭。潁川郡鄢陵の人。庾亮の弟にあたる。蘇峻の乱のとき、亮に命ぜられて石頭を守備した。乱が平定された後、太尉・陶侃のもとで参軍をつとめた。咸康四年(338)、南蛮校尉・南郡太守となり、江陵に鎮した。後趙の石虎が邾城を陥し、石城を囲んだとき、奇兵を用いて趙軍を撃退し石城を守った。功績により、都亭侯に封ぜられた。兄・亮が没すると、都督江・荊・司・雍・梁・益六州諸軍事となり、安西将軍・荊州刺史として武昌に鎮した。兄の志を継いで北伐を望んだが、襄陽に移る勅許が出ず、志半ばに病没した。